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❖足元美術館Ⅵ(人間は休業でも自然は年中無休)❖ まいに知・あらび基・おもいつ記(2022年2月13日)

(長さも中身もバラバラ、日々スマホメモに綴る単なる素材、支離滅裂もご容赦を)

◆足元美術館Ⅵ(人間は休業でも自然は年中無休)◆
散歩は素敵な宝物と出会える時間であって、それ自体が素敵な宝物と言える。

最近の散歩の中で、たくさんの美術館を見つけることができた。

休日の散歩でも、駅周辺などの賑わいは変わらない。それどころか、様々なタイプの人が行き来するので、多様性が加わり、賑わいが増しているようにも感じる。

それに対して、住宅密集地は静かである。ただ、普段からこういった住宅密集地をウロウロしているわけではないので、普段と休日とのはっきりとした比較ができているわけではない。

しかし、ポツポツと見かける飲食店が閉まっているのを見かけると、普段よりも人通りを期待できないから、休日は営業をやめているのではないかと感じる。

まあ休日も営業して、利益を上げようという気持ちがないから、お店を閉めてゆっくり休んでいるのかもしれない。それでも利用客が多く訪れることが予想されるならば、店を開けるものではないかと私は思ってしまう。だから休みたいという気持ちがあるのは本音として、しかしそれを凌駕するほどの利用客が休日はいないから、結果として営業していないのではないだろうか。

人間はそうして、自分の気持ちとTPOを天秤にかけながら、行動したりしなかったりを決めることができるし、それが許されている存在である。

ルネサンス期に活躍したイタリアの人文主義者であるピコデラミランドラは次のような言葉で、「人間の尊厳」を説明している。

「アダムよ、われわれはお前に、定まった席も、固定された容貌も、特段の使命も与えなかった。それは、いかなる席、いかなる容貌、いかなる使命をお前自身が望んだとしても、お前の望み通りに、お前の考えに従って、お前がそれを手に入れ所有できるようにするためである。他の被造物に限定された本性は、われわれが定めた法則の範囲内に留まっている。お前は、いかなる束縛によっても制限されず、私がお前に委ねたお前自身の自由意志に従って、お前の本性を決定すべきである。」

ピコデラミランドラの「自由意志」に限らず、パスカルも「偉大さ」という言葉によって、人間の尊厳を表現している。

しかし彼らはこの人間の尊厳を絶対的なものとは捉えておらず、ピコデラミランドラは自由意志にはリスクとリターンの両面があること、パスカルは偉大さと悲惨さは表裏一体であることを示している。

彼らの表現から分かるように、人間はプラスとマイナスの振れ幅が大きい存在なのである。

それに対して、私が散歩の中で出会った美術館の展示物には、人間が持つ振れ幅のような不安定さはなかった。

展示物も人間と同様に永遠不変ではなく、変化はするのだが、自らの意志でどう変化するかを決めているわけではない。展示物は、自然法則に従うだけである。それを窮屈と感じるのは人間の傲慢さではないだろうか。展示物は贅沢は求めない。自然法則の世界の中で、十分に満足している。気まぐれはない。だからこそ展示物は「誠実」であるし、「勤勉」である。

最近、人間の叡智が生み出したAIが、「人為」の傑作として、もてはやされているが、誠実・勤勉という言葉で評されることは少ないのではないか。それは結局のところ、AIが人為の所産だからである。それゆえ「疲れない」とか「ミスをしない」とか「文句を言わない」というような言葉で表現され、人間のネガティブな本性の尻拭いのような役割を押し付けられている。

だが、そうしてAIが注目される何千年も何万年も前から、「自然」は存在している。自然は大昔から年中無休なのである。自然は大昔から1日も休まず、誠実・勤勉に地球を支えている。

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