見出し画像

❖選ぶ責任、選んだ責任~Responsibility when choosing, responsibility after choosing~❖ まいに知・あらび基・おもいつ記(2022年3月7日)

(長さも中身もバラバラ、日々スマホメモに綴る単なる素材、支離滅裂もご容赦を)

◆選ぶ責任、選んだ責任◆
「選手に責任はない」
「スポーツと政治は切り離されていなければならない」
最近のスポーツ界から発せられているメッセージである。
"Athletes are not responsible"
"Sports and politics must be separated"
This is a message from the sports world these days.

そのメッセージに込めた思いはもちろん分かる。しかし違和感が全くないわけではない。
Of course, I understand the thoughts I put in that message. However, it is not completely uncomfortable.

スポーツ選手は大抵の場合、私たちと変わらず、どこかの国に帰属していると思う。国際的な舞台で競技をするとき、その帰属する国との関わりが出てくるし、その国の政策としてスポーツ振興関連の予算から補助を受けてきていると思う。

だから、スポーツ選手は国と無関係ではないと思う。

それだけではない。私たちもスポーツ選手も、民主政治を基盤とする国に帰属しているならば、有権者として代表者を選んでいる。つまり、現在の政治の原因は私たちにあると言える。さらに国籍の変更はできるわけで、その国の政治に不服があっても変更しないならば、その国の政治を受け入れていることになる。
That is not all. We and athletes have elected representatives as voters if they belong to a nation based on democratic politics. In other words, we can say that the cause of current politics is us. Moreover, we can change nationality, and if we are dissatisfied with the politics of that country but do not change it, we are accepting the politics of that country.

「私は反対だったから、選挙結果は認めたくないし、国の政治も認めない」という主張は多数決原理の根底を破壊しかねない。納得できない結果だったとしても、だから無関係だという主張は多数決原理を採用している民主政治の否定に繋がってしまう。

「現在の政治」に関わっている代表者は、有権者である私たちが選んだ人物であり、私たちは政治の責任と無関係ではない。

「現在の政治」は、このようなメカニズムで説明できるが、海外に住んでいると、このメカニズムを超えた政治との繋がりさえ自覚しなければならないことに気づかされる。

それは「過去の政治」との繋がりである。シンガポールに住んでいたとき、かつて日本はシンガポールを占領し、そこで多くの華僑の命を奪った歴史に配慮しながら生活することの大切さを痛感した。フォード博物館の展示や血債の塔だけでなく、シンガポール各地に「過去の政治」の跡があった。

「過去の政治」は私が生まれる前の出来事であるが、海外では「現在の政治」だけでなく「過去の政治」についても、私は日本国籍を持つ者として無関係ではない立場と見做される。
"Politics of the past" was an event before I was born, but as a person with Japanese nationality, it is considered that not only "politics of the present" but also "politics of the past" is not unrelated overseas.

「過去の政治」と無関係であると私自身が思っていたとしても、海外の他者はそう考えていないのである。「過去の政治」との関係がそうであるならば、いわんや「現在の政治」をや、である。

「民主主義は一言でいえば責任です。リーダーが責任を持つと同時に国民も責任を持つ。一方だけが責任を持つということはあり得ません。」
これはミャンマーの民主化運動指導者であるアウンサンスーチーの言葉である。この言葉の通り、選挙で選ばれた側も選んだ側も責任がある。

ウクライナ侵攻を決めたロシアの「現在の政治」を動かしている人物たちが選ばれる元には、選んだ国民がいる。スポーツ選手も国民、会社員も国民、アーティストも国民である。だから、選ぶことに関わった責任はあり、無関係とは言えない。

だからこそ国民は「現在の政治」に対して、無関心であることは許されず、どんなメッセージを送り続けていくかが大切である。選ぶだけが主権者の役割ではないはずである。
That is why the people are not allowed to be indifferent to "current politics", and what kind of message they continue to send is important. Choosing should not be the only role of the sovereign.

#ウクライナ情勢   #ukraine
#peace_for_Ukraine   #stand_with_ukraine
#民主政治   #主権者   #民主主義
#アウンサンスーチー     #公民がすき
#シンガポール   #血債の塔

画像1
画像2
画像3

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?