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我楽多だらけの製哲書(74)  ~到達した節目とルイス・ブレイン・ハーシー~

今日、朝に投稿した記事によって、大きな節目に到達した。
以前から断続的に投稿はしていたが、毎日何かしらの投稿を続ける形にしてから、今日でちょうど1年が経過したのである。noteでは、投稿するごとに「連続〇〇〇日」というような表示が出てくるのだが、その表示が今日の朝の投稿で「連続365日」となったわけである。

タイにきてしばらくしてから「連続300日」のときの投稿でも、次の目標は「連続365日」と書いていたので、無事にその目標に到達し、ひとまず安堵している。

「1年間欠かさず投稿した」という表現よりも、「365日欠かさず投稿した」という表現の方が個人的には重みを感じる。私は元来、飽きっぽい性格なので、よく続けられたものだと我ながら感心している。

続けられた要因の一つはnoteが「連続〇〇〇日」というように、自分の取り組みを「見える化」してくれていたことだろう。日々の積み重ねが毎日増えていく数字によって実感できるので、1日1日の活動の手ごたえとなっているのである。

「365」という数字は分かりやすい節目の一つであろう。
ただ何をもって節目とするかは、人によって、地域によって、時代によって必ずしも同じではない。

「少年は親たちが思っているより三年早く大人になっている。しかし、自らが考えているよりは二年ほど遅い。」

これはアメリカ陸軍の将軍であったルイス・ブレイン・ハーシーの言葉である。
何歳をもって大人となる節目とするのか、法律上の成人年齢は国によって決まっているが、それとは別に個人個人で大人になったという認識に違いがあることが、ハーシーの言葉は示している。特に子どもたちは早く大人になりたいし、大人として扱われたいという思いが強く、周囲の認識よりも先んじて自分が大人になっているのだと思っているのである。これに対して、大人は子どもたちをまだまだ大人にはなっていないと思う傾向が強いのである。

かつて日本では大人の仲間入りとしての元服は、「11歳~16歳」とされていた。しかし明治9年の太政官布告によって成人年齢が「満20歳」とされ、その後、民法改正で現在の成人年齢は「満18歳」となっているので、成人という大人の仲間入りの節目は時代によって変化していることが分かる。

また世界を見てみると、かなりの国が18歳ではあるものの、シンガポールは21歳、ネパールは16歳、北朝鮮は17歳、そしてプエルトリコは14歳など、国によって違いがある。

さて、数字としての節目に話を戻すと、100や200や300もキリの良い数字として、一つの節目と考えてよいだろう。すると、365の次は「400」ということになるだろうか。

100の積み重なりということではそうだが、数字の区切りとして「5」を基準にした場合には、「500」の方が区切りとしての分かりやすさがあり、それと比較したときの「400」は何となく中途半端なものに見えなくもない。

しかし、単なる数字の積み重なりとして「400」や「500」の関係を論じていると、このような悩みは尽きないだろう。

「365」がなぜ節目としての安定感を持っているのかというと、それが「1年間」という別の視点に置き換えられるからかもしれない。

もちろん10進法とつながる基準で考えれば「400」もれっきとした節目といえる。また、すでに通り過ぎてしまったが60進法または円という図形とつながる基準で考えれば「360」だって節目といってよいだろう。

やはり節目は固定的・普遍的なものではなく、あくまで何らかの基準によって「何となくの合理性」が与えられる相対的なものということになる。

そのように考えると、365の次に来る最も近い節目は一体どんなものになるのか気になってしまった。そこで1日増えただけの「366」という数字は節目になりうるか、「366日」「節目」という検索語で調べてみたところ、『366日』というタイトルの歌があったり、2月29日も含めて366日を一つのまとまりと考えるもの(1日1日を花で表した花個紋というものがあるようだ)があったりした。

では「367」はどうかと思い、同じように「367日」「節目」という検索語で調べてみたが、こちらは366ほどのヒットがなかった。「368」も似たようなものであった。

しかし「369」はエンジェルナンバーであったり、発明家ニコラ・テスラの法則だったり、語呂合わせで弥勒菩薩との繋がりを論じたりと色々な情報との関わりがあった。

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