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❖足元美術館Ⅰ❖ まいに知・あらび基・おもいつ記(2021年11月30日)

(長さも中身もバラバラ、日々スマホメモに綴る単なる素材、支離滅裂もご容赦を)
「足元美術館」
現在の勤務校の敷地内には、彩り鮮やかな木々が多くあり、授業が終わって校門を出るまでの道すがら、ふと視線を落とせば、そこには歴代の名画に勝るとも劣らない素敵な色彩世界が広がっていることに気づく。私はこの季節を楽しみにしていた。この季節の魅力を、或る人は「実り(みのり)」と考えるだろう。様々な植物が地道に蓄えた栄養を、実や根や葉の中に詰め込んで、他の生き物たちに振る舞ってくれる。また或る人はこの季節の魅力を、「日和(ひより)」と考えるだろう。夏の暑さは過ぎ去り、冬の寒さのまだ手前である丁度良い暖かさと、やや傾いた日差しの優しさが心地の良い空気を作り出してくれる。私はというとこの季節の魅力を、「彩り(いろどり)」と考えているわけである。黄、赤、橙、緋、茜、もちろん緑もある。木々たちが思い思いに、自らの装いを主張し始める。しかしこの主張は、自己存在の単なる強調ではない。木々たちが装いを変えるこの季節は、木々たちにとっては別れを覚悟する季節。それぞれの生命活動で進めてきた時計の針が止まる。自己存在との一時的な別れ。また春が来れば、大抵の木々の時計は動き出すし、再び自己存在を自覚するのだが、木々によっては、二度と目覚めぬ者もいる。だから別れを覚悟する季節なのである。だからこの季節には見た目の鮮やかさとは裏腹な儚さがついて回る。木々たちの主張は、そんな儚い季節に付随する虚しさや寂しさを振り払おうとするものである。同時にその主張は、春に自分の生命活動が再開しないかもしれない恐怖に打ち勝とうとして、最後の最後、木々たちが見せる生命活動の見事な輝きでもある。まさに「灯滅せんとして光を増す」である。その眩いばかりの最後の光が、木々の彩りを鮮やかにするのである。そして、じきに力尽き、鮮やかな葉は落ちる。足元に広がる色彩世界は、そんな木々たちの生き様の痕跡。木々たちが間違いなく最後の最後に輝いた証。だから、この美術館は、私を惹きつけて離さない。だが、木々の生命活動の儚さと同様に、美術館の展示作品も儚いものである。素敵な作品たちは、風が吹けばどこかへ飛んでいく。雨が降ればどこかへ流れていく。これを「諸行無常」で片付けてしまうのは何とも味気がない。風雨に一掃される点では「風の前の塵」が適しているが、足元に広がるのは美術館である。だから「沙羅双樹の花の色」で例えておきたい。次に勤務校を訪れたとき、美術館には何が展示されているだろうか。

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