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❖真面目の裏に潜む顔❖ まいに知・あらび基・おもいつ記(2021年11月6日)

(長さも中身もバラバラ、日々スマホメモに綴る単なる素材、支離滅裂もご容赦を)

自分にとって真面目と怠惰は、実はコインの裏表かも。真面目にコツコツと続けている自分がいる。それ自体は評価してよいように思えるが、なぜ続けているかというと、止まってしまったならば、倒れてしまい二度と動き出せない自転車のような人間だからかもしれない。動き続けているのは、一種の惰性。途中で止まっても、再びやる気を出して力強く動き出す自信も、動き出したい明確な意思もないからかもしれない。だから、止まってから再び動き出そうと考えるのが億劫で、とりあえず続けていた方が楽だと思って、コツコツと続ける。なぜ続けるのか、その核心をつかれると、中身がなく、答えられないことを自覚している。それは、その都度その都度、自分はなぜそれをしているのかを問いかけることを避けたいという精神的怠惰の状態である。同様に自分が何者であるか、自分の存在意義や存在理由を疑わず、日々の暮らしに埋没する、そんな単なる「ひと」として生命活動そのものだけを続けるのを、真面目と言ってよいものだろうか。多分、ハイデガーに怒られるだろう。自分の現在地の意味や意義を問うこと、現在地からの動きの目的や手段を問うこと、そういった問いかけをやめて、精神活動が惰性を帯びたとき、それは怠惰になるはずである。ダーザインとダスマンの違いはそこなのではないか。だから、真面目に映っているコインをひっくり返すと、怠惰が顔を出す。

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