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『ファートンいきもの記』【8】

今日の「いきもの」は≪アリキサンダー≫である。
奴らは紀元前334年にマケドニアを出発し東方遠征を開始した。奴らの団結力は他の軍隊とは比べ物にならないほど凄まじいものがあり、各地で勝利し、東へ東へと進んでいった。マケドニアのペラから、サルディス、ティルスなどを経て、エジプトのメンフィスを陥落させた後は、切り替えしてダマスクスを陥れ、紀元前331年末には早くもバビロンに到達したのであった。そこからさらに東方へ進軍し、アケメネス朝ペルシアの両首都とされたスサに続いてペルセポリスに至り、奴らはこの新首都を焼き討ちにしてしまう。そして逃走していたダレイオス三世を追撃するためエクバタナ(メディアの旧都)へ向かい、そこでも敗走したダレイオス三世はその後、サトラップ(知事)のベッソスの裏切りにあい命を落とすことになる。その後、奴らはバクトリアから北部に進軍してソグディアナ各地を攻略し、紀元前327年にはインドのパンジャブにたどり着く。パンジャブでは象を率いた軍隊とヒュダスペス河畔で戦い、奴らは勝利を収めている。歴史上はここから奴らは西に進路をとったとされているが、奴らの一部が実はその後も東へ進軍していたのではないだろうか。なぜなら私がシンガポールで遭遇したあの軍隊は、奴らの特徴を持っていたからである。おそらく大部分が西に向かったため、奴らの一部のその後の東進は苦戦が強いられたことだろう。それでも長い時間をかけ着実に東へ歩を進め、ユーラシア大陸の端まで到達したのだろう。奴らに遭遇したのは、私が夜の散歩に利用していたウエストコースト・パークだった。

奴らの「とくしゅ(特殊能力)」は「ファランクス」である。これは一般に古代ギリシアで用いられた密集方陣のことであり、奴らは「外骨格」という鎧と盾を装備し、「大アゴ」という武器を持って、密集した隊列を組み、一丸となって戦うのである。それは「防御こそ最大の攻撃」または「攻防一体」の典型と言えるのである。しかしこの隊列は前方に対して絶対的な強さを誇るが、側面や背面が弱点なので、歴史的には騎兵がその部分を守るのである。シンガポールに進軍していた奴らも、中央の密集方陣の弱点をカバーするために、周辺に騎兵のような役割を担う別の奴らが展開していることが写真や動画からも分かる。

#アリ #シンガポール #アレキサンダー #アレクサンドロス #ファランクス

(以下では奴らのファランクスの動画を紹介)

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