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❖経験は認識において味方にも敵にもなる❖ まいに知・あらび基・おもいつ記(2022年1月25日)

(長さも中身もバラバラ、日々スマホメモに綴る単なる素材、支離滅裂もご容赦を)

◆経験は認識において味方にも敵にもなる◆
夜、飲み物を買いに近くの自動販売機に行った。コインを入れると、すぐに返却口に落ちてきてしまった。二、三度繰り返しても、やっぱり落ちてきてしまう。釣り銭切れかもしれないと思い確認するが、そうではないらしい。何か調子が悪いのだろうか。返却レバーを何度か下げてみたり、商品のボタンを押してみたりしてから再びコインを入れてみても結果は変わらない。

自動販売機は2台が並んでいたので、今度はもう一つの方にコインを入れてみた。しかし結果は同じだった。そして、こちらでもレバーを下げたり、ボタンを押してみたりしてから再びコインを入れてみても結果は変わらなかった。

なぜ何度試してみても自動販売機にコインが入らないのだろうか(❓)。

これまで飲み物を買うためにコインを入れて上手くいかないとき、自動販売機の中の機械が正しくコインを認識できずに出てきてしまうことがあっても、何度か入れ直すと、角度なのか速度なのか、とにかく機械はコインを正しく認識し、飲み物を購入できる経験が何度となくあった。

だからその経験則に囚われて、「原因は自動販売機にある」と完全に思い込んでいた。

イギリス経験論の祖であるフランシス・ベーコンは、人間が過去の事例を集めて一般法則を導く帰納法を用いるとき、誤った結論を導いてしまわないように偏見や先入観を取り去ることの大切さを主張した。彼はこの偏見・先入観を「イドラ(偶像)」と呼んだ。

原因は本当に自動販売機なのか、いつも以上にコインを入れ直しているうちに、私の頭の中にはそんな疑念が浮かび上がってきた。そして、疑念の矛先は手元のコインに向かった。

最初はこれまでの経験から、自動販売機のせいにしていたが、自動販売機は作られてからきちんと機能してきたものの、機械である以上、自分で途中から仕様を変えられるはずはない。もし仕様が変わるとすれば人間が手を加える必要がある。

それはコインについても同じことがいえるが、コインの方に、人為による仕様変更の痕跡が見てとれた。

コインは今までのものとは違っていた。今までならば、縁のギザギザは均等だったが、このコインのそれは不均等だった。また今までならば合金か特定の金属かに関わらず、同じ種類のコインならばその一枚の色は統一されていたが、これは明らかに二色で彩られていた。

これは新しい「500円硬貨」である。これが流通し始めたのは最近である。ということは、コインの側の仕様が新しくなり、世の中に仲間入りしたわけである。そのため自動販売機はこの新参者を受け入れる準備ができていないため、コインは認識されなかったのである。

それにもかかわらず、自動販売機にコインが拒絶される出来事を、これまでのコインと同じように考えて、自動販売機のせい(不調)と決めつけてしまうのは問題であろう。

ある出来事の一瞬の場面だけを切り取ると、どこに原因があるか正しく認識されないことがある。今回の場合、コインに比べ、複雑な構造を持つ自動販売機の方が不調や何らかの変化が起こる可能性が高く、また何度か入れ直せば購入できる経験もあって、原因は自動販売機にあると決めつけやすい。しかし原因がどこにあるかは、偏見や先入観を排除してフラットに事象を見つめ、あらゆる可能性を分析することが大切である。

こうして自動販売機にコインが拒絶される原因は明らかになり、疑問は解決した。しかし飲み物を買いたいという問題は解決していないし、この場で解決できるものでもない。

結局、新500円硬貨一枚しか持っていない私は、寂しく家に帰ることにした。

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#新500円硬貨   #帰納法

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