「アート思考」で面白がり力アップ
「面白がり力」についての分析、使い方、応用編をお届けしています。
初めての方は ▼「面白がり力基礎編」からお読みください。
「アート思考」とは?
今日は、「アート思考」という観点から、「面白がり力」について考えてみたいと思います。
と言っても、実は僕自身「アート思考」という言葉を知ったのは最近です。
ある書評家が紹介していた「ハウ・トゥー・アートシンキング」という本を買って読んでみたところ、すごくおもしろかったので、その内容を引用しながら書きます。
▼この本です
本のサブタイトル「閉塞感を打ち破る自分起点の思考法」というのも、まさに「自分の面白さ」を軸に生る面白がりスト的発想そのものです。
もちろん、「面白がり力=アート思考」というわけではありませんが、
僕の提唱する「面白がり力」を肯定してくれるような内容が満載で、読んでいて気分の良くなる本でした。
著者は、そもそも「アート思考」という定義自体が曖昧で、この本も何かノウハウや答えを指し示すものではない、と言っています。
「本を読むことで、逆にモヤモヤが増える可能性もある」とさえ言っています。
本の構成にも「アート思考」を反映させたということで、本を開くとまず「第2章」から始まり、次に「13章」、「11章」と続きます。
▼こんな感じ
この時点で頭がモヤモヤしてきそうですね(笑)
そもそも、「答え」や「正解」を求めるよりも、「ちがい」や「想定外」や「モヤモヤ」を楽しもう、というのがアート思考の考え方。
「ロジカル思考」「デザイン思考」といった考え方と対比すると、、
こうやって他と並べて説明してもらえると、わかりやすいですね。
「ロジカル思考」や「デザイン思考」が、受け手に対して、共通認識や共感といった共通のゴールに向かうことを目的としているのに対し、
アート思考は、受け手が自由に解釈できるような表現方法を使う。
もっと言うと、アート思考は、あえてわかりにくくすることで、「多様性」や「新しい価値」を生むもの、だということです。
わかるかなあ、、?
ひょっとして、僕のつたない説明では、よけいにわかりにくくなってるかなあ、、
まあ、「アート思考」に関しては、僕が説明するよりも、この本を読んで実際に「アート思考」を体感してもらうのが良いと思います。
僕の提唱する「面白がり力」に共感してくれている方には、特におススメの本です。
▼kindle版
僕自身も、今後「アート思考」に関する別の著者の本も読んで、もっと勉強してみようと思っています。
今後も「面白がり力」を分析していく中で、アート思考的な考え方は節々で引用させてもらうともいますが、
ここでは、僕が「ハウ・トゥー・アート・シンキング」を読んで、考えさせられたいくつかのことの中から、一つだけ挙げて、面白がりスト的視点から解説してみます。
アート思考は「愛」である
本からの引用というか、本の内容の一部を、適当に短く編集して紹介します。
つまり、
「愛」があればどんな困難も乗り越えられるし、その先に「自分」という個性が生まれる。
「愛」ではなく「得」や「楽」に流れてしまうと、人は惰性的になり、個性は薄まっていく
ということですね。
その「愛」がわからないから困っている!
それで、この部分を読んで僕が思ったことは、
その「愛」がわからないから、「得」や「楽」に逃げてしまうし、「すべき」や「せねば」に支配されてしまうんですけど~!!
ということです。
色々なところで囁かれている「愛」とか「幸せ」とか「成功」論に対しても同じです。
「言いていることは分かるけど、どうやったらそうなれるの?」
というのが、いつも最大の疑問であり、やる気が起きない原因でした。
もともと「愛」を基に生きてきた人は、愛の前に立ちはだかる困難を、困難だとも感じないだろうし、
むしろ、困難があるほど面白さを感じるのかもしれません。
でも僕のように、今まで「愛」を基に生きてこなかった人はどうでしょうか?
「得」や「楽」ばかりを選んで生きてきた人、または、「すべき」や「せねば」を中心にして生きてきた人は、
愛によるエネルギーも知らないし、愛が何なのかもわかりません。
そんな人に、「愛があれば困難も乗り越えられる!」と言ったって、困惑するだけです。
「自分を愛して欲しい」という依存心や、「離れたくない」という執着心のことを「愛」だと思い込んでいるような人は、そんな言葉を聞いて一瞬はテンションが上がるのかもしれません。
でも、依存や執着を元にした思考や行動は、愛によるものとは全く逆の結果を招きます!
「愛」という名のもとに、「依存」や「執着」を増幅させてしまうのです。
だから僕は、「愛」なんて言葉を気安く使っている人は信用しない!
あ・・すいません、思わず感情的になってしまいました。
きっと、愛にまつわる嫌な思い出でもあるんでしょうね(笑)
気を取り直していきましょう!
「愛」よりも「面白さ」の方が安全で健全
僕は多分、「愛」というものを知らずに、または「愛」から逃げ続けて生きてきたのだと思います。
「愛」から逃げて生きてきた人は、例え何かに微かな愛を感じていたとしても、ほぼ無意識に「得」や「楽」へと逃げてしまいます。
先に書いたように、「愛」だと言いながら「執着」や「依存心」を増幅させる危険性もあります。
増幅した執着や依存心は、他人や自分自身を傷つけ始めます。
愛というのは「諸刃の剣」です。
そんな危険な「愛」よりも、僕は「面白がり力」をおススメします。
特に、「愛を見失った人」にとっては、
「愛によるエネルギー」なんかに期待するよりも、「面白がるエネルギー」を沸かせた方が安全で健康的です。
「困難を面白がる」という発想とスキルがあれば、愛が無くても面白さで困難を乗り越えることができます。(乗り越えなくてもいいんだけどね、、)
面白がって乗り越えた(挫折した)結果、そこに「愛」が生まれるかもしれません。
自分の中に眠っていた「愛」に気付くことができるかもしれません。
「愛」という「幻想」を捨てて生きる
最近増えている、やる気の出ない人、惰性で生きる人を見ていると、彼らも僕と同じように、人や物事に対する「愛」を感じられなくなっているからではないかと思わざるを得ません。
「面白がり力」は、「得」や「楽」に逃げてしまう癖がついた人たちが、「愛」を思い出し、本当の自分に出会うための手段になると、僕は思うのです。
ちなみに、本からの引用で「愛」という言葉を使ってはいますが、僕自身は、「愛なんて幻想だ」と思うようにしています。
「愛なんて無くても面白ければいい」と思うようにしています。
仕事も、趣味も、家族も、、
そこに「愛」なんて感じなくても、憎しみが湧いていたとしても、とりあえず、それをそのまま面白がってみます。
もし、自分の中に「愛」というものがもしあるんだとしても、そこにはいつも「愛」以外の不純物がまとわりついています。
「愛」を妄信してただ「良いもの」だと思っていたら、不純物のほうに支配されてしまいます。
だから、愛への妄信をやめて、愛に絡まった不純物も含め、俯瞰して面白がるのです。
それが、より安全で健全に「本当の自分」に出会う方法だと、僕は考えています。
なんか、結局「アート思考」についての話ではなくなった気もするけど、
多分こういう、どこへ向かうのかわからない感じが「アート思考」なんじゃないかと思うので、今日はこれで良しとします(笑)。
ひょっとしたらそのうち、「愛とは面白がることである」とか言いだすかもしれません。
とりあえず今は、「愛がわからない自分」を面白がって生きています。
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