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「立ち上げ大好き!三足のわらじ」キャリアに悩むあたなたへ。転職7社、やりたいことをやって幸せになるためにボクがしてきたこと(21)

ウェディングプロデュース会社に入社して半年で、ボクは会社で一番多く結婚式を担当しているプランナーになりました。そして入社から1年も経たないうちに、新会場の立ち上げメンバーに抜擢されるのです。

東京と鎌倉を駆け巡る

もともとボクは都内の老舗料亭の結婚式を担当をしていましたが、1年後、鎌倉の地に、会社としても初めての自社会場を持つことが決まり(それまでは、既存のレストランを中心にプロデュースとして入っていました)、その会場の立ち上げメンバーの一人として選ばれたのです。新会場とは他に、既に鎌倉では神社やレストランでの結婚式をプロデュースしていて、そちらも拡大している中で人手が足りなくなっていたため、新会場立ち上げまでは、鎌倉の既存会場も一緒に見ることになりました。そこから約半年の間は、東京の会場、鎌倉の既存会場、そして新会場の準備と、三足のわらじで仕事をする日々でした。

住まいは鎌倉の近くに移し、東京会場の新郎新婦との打合せや式当日は都内まで出て、鎌倉でもすぐに担当婚礼数が増えていきました。東京での打合せはなるべく同じ日に入れたり、パートナーさんにお願いできる打合せはお願いをしたりして、ハシゴの予定があるときは都内から鎌倉へ帰る湘南新宿ラインのグリーン車が寛ぎの場所でした。今の環境からしてみれば信じられないのですが、当時はノートパソコンでもなく、会社にいなければ資料にアクセスできなかったので、都内で何組も重なる打合せは、それなりの事前準備も必要でした。

そうすると、やはり業務は回らなくなってきます。ボクはもともと人に仕事を振るのが下手で、自分でやってしまった方が早いと思ってしまっていました。なかなか上手くアシスタントのパートさんたちに仕事をお願いできず、パートさんもそのことにヤキモキしていました。徐々にではありますが、ボクの仕事を、そのままお願いできるような形を創っていくことで、自分の時間を創り出していきました。

立ち上げはやっぱり楽しい

そうこうしているうちに、半年ほどで東京の担当を抜けて、鎌倉の既存会場と新規会場立ち上げの二足のわらじになりました。ただ今度は、既存会場の担当数がどんどん増えていて、自社会場とは別の新規会場の立ち上げもやらせてもらったり、既存の会場でも何かと問題や課題が浮き彫りになり、なかなかなにハードな日々でした。担当以外にも、広報のディレクションをさせてもらったり、新会場のオペレーションを作らせてもらったりと、短期間にたくさんの経験をさせてもらいます。新会場オープン直前まで既存会場の担当があり、新会場のみにコミットしていたわけではなかったのですが、目まぐるしく過ぎていく日々はあっという間でした。

幸運にも、新会場での初婚礼の担当もボクが受け持つことになり、新会場の工事が終わり、引っ越してから初婚礼日までの約1ヶ月は、学園祭のような楽しさでした。その1ヶ月間は、3日に一度、数々のオープニングレセプションやウェディングフェアなどを開催して大忙し。でも、毎晩のように、立ち上げメンバーと飲みに行っていました。(飲みに誘うのはボクなのですが、カシスオレンジ一口ですぐに眠ってしまっていたのもボクでした。)

制約の中で最大限を考えること

会社としても初の自社会場で、全てをディレクションしていた社長も、日々ものすごい勢いで進めていました。その中でボクがメインで考えていたのが、当日のオペレーション。今までは1日1組限定をウリに、料亭や神社での結婚式をプロデュースしてきた会社でしたが、新会場は初めて1日2組の入れ替え制。待合、挙式、披露宴を、決して存分にスペースがあるわけではない日本家屋を改築した会場で、どうオペレーションを組むかは簡単なことではなく、それを創り上げていくことはとても楽しいことでした。

会場のコンセプトや、制約といったことは、クリエイティブな人たちが創ってくれた中で、その中でいかに満足度の高いものを提供できるのか、を考え創り上げることがボクの仕事で、ボクにとっての得意だなということも改めて気付かされました。

こうしてたくさんの人たちの協力の中、無事に会場をオープンさせることができたのです。

かなやんレベル24→25
・やっぱり立ち上げ大好き
・0→1より1→10が好き


ここまで読んでいただきありがとうございました!