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なぜNLPを学ぶことになったのか(2)

自分探しを始めたのが25歳。その後、私のライフイベントは…

25歳:父親が脳梗塞で倒れ、40歳まで15年間の介護生活が始まる。
26歳:結婚
28歳:長男・次男誕生(双子)
29歳:転職(1) A社入社
30歳:三男誕生
35歳:転職(2) M社入社
40歳:転職(3) T社入社 その後父親逝去
41歳:転職(4) 自営業を引き継ぐ
44歳:転職(5) T社復職
51歳:転職(6) M社復職

平坦ではありませんでした。でも、世の中ほとんどの人が平坦ではないんだろうなと思います。皆さんはどうでしょうか。

さて、NLPのLABプロファイル(言葉と行動を分析し相手の思考パターンを把握するスキル)では
・内的基準
・外的基準
と分類される「判断基準」というパターンがあり、それぞれの動機づけの特徴は
・内的基準:自分の内部にある基準に基づいて、みずから判断を下す。
・外的基準:判断を下すために、外側からのフィードバックを必要とする。
ということです。

働く、仕事をするというコンテキストにおいて、私の判断基準はやや「内的基準」が強めです。成果に納得できなければモチベーションが上がらない。でも、誰かの役に立ちたいという気持ちも強く、外側からのフィードバックがないと不安になる。

…というように、NLPを学んだ今なら自分自身を客観視することもできるのですが、その当時の私は

「仕事はものすごく頑張っているのに、やってもうまく成果が出せないのは環境に原因がある。」

このように考えていました。嫌なやつですね。40歳くらいまではそう思っていました。

NLPを学び始めたときに「原因側に立つか、結果側に立つか」という問いに出会いました。はじめはなんのこっちゃ?と思いましたが、

原因側:物事の原因側に自分を立たせる=今起こっていることの原因は私にある。
結果側:物事の結果側に自分を立たせる=今起こっていることの原因は私にはない。

なるほど。。。

環境に原因を求めていたので、いつまでたっても、何をやってもうまく解決できず、環境を変えることに解決を求めていました。

ちなみに、この考え方は、社会学習理論の開発と制御の軌跡の研究で知られるアメリカの心理学者ジュリアン・B・ロッターの、ローカス・オブ・コントロール(Locus of Control)という考え方によく似ており、ロッターが活躍した時代はNLPを開発したリチャード・バンドラーとジョン・グリンダーよりも前ですので、バンドラーとグリンダーがロッターの理論に影響を受けたのではないかと…これは余談です。間違っていたらごめんなさい。

原因側:物事の原因側に自分を立たせる=今起こっていることの原因は私にある。

原因側にいつも自分自身を立たせるために、何が必要なのか。
他責と自責という考え方にも近いかもしれません。自責思考を持つために何が必要なのか。

私は「謙虚であること」と考えていました。

そして、何度も失敗しました。

それはなぜか。多分、謙虚である人に対するイメージが崇高すぎて、頑張って謙虚になろうとしてもどこかで謙虚ではない自分自身に気づく→落ち込む、ということをくり返していたからだと思います。

そして、再び「全然アカンやん、俺」に回帰するのです。

じゃ、どうすれば原因側に立つことができるのか。

原因側に立てる人 = 謙虚な人 = 立派な人、というフレームを外す必要がありました。でも、これに気づいたのはつい最近です。時間かかりすぎました。。。

NLPを学び始めて「リフレーミング」というスキルに出会いました。

NLPを学ぶまでも「リフレーミング」という言葉は知っていましたし、NLPに関連する本を読んだり、マネジメントセミナーに参加したりして、何となく意味も理解していました。

実際、NLPを学ぶ中で「リフレーミング」を体験すると、今までの理解がいかに浅かったか…ということを痛感しました。そして、初めて「使えるリフレーミング」を身につけることになりました。

そして、他にもいくつかのNLPのスキルやプロセスを使いながら、

原因側に立てる人 = 普通の人で大丈夫 = 柔軟性を発揮できる人

というフレームを持つことができるようになって、初めて「原因側に立つ」ことに対する得体のしれない恐怖から少しずつ解放されました。

ということで、今日はここまで。。。

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