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女優の目尻に想いを馳せる。

朝の番組に俳優の尾野真千子さんが出ているのを少し観ました。
ドラマをほぼ観ないので、久しぶりに彼女を観ました。
早いもので四十路を過ぎたそうで、笑うと深く刻まれる目尻のシワが
とてもキュートで美しく観えました。年相応な感じがとてもいいのです。
飾らない、大きな笑い声も彼女の魅力です。朝から元気をもらいました。


随分昔の話ですが、尾野真千子さんを一度だけ撮影したことがあります。
彼女はまだ一般的には広く知られていませんでしたが、
私は彼女のデビュー作を劇場で観ていました。
河瀨直美監督の「萌の朱雀」。
1997年公開。私は大学生でした。

特に20代の頃、河瀨直美監督の作品から多大に影響を受けました。
特に商業映画デビュー以前の自主映画作品が印象的で、
監督の瑞々しい感性に魅了されました。
私は当時会社員でしたが、監督のワークショップを受けたりして、
何とか自分の人生をより良いものにできるよう、
もっと自分本来の道へ進めるようにと強く想い、試行錯誤したものです。
その後、写真をやろうと決めました。

河瀨直美監督作品との出会いは先述の「萌の朱雀」で、
主演で当時中学生だった尾野真千子さんの存在は
深く私の記憶に刻まれました。
監督がロケハンに訪れた中学校で彼女が目に止まり、
スカウトしたそうです。

そんな経緯もあり、尾野真千子さんの撮影依頼を頂いた時はとても感激しました。そして悔いのないよう、全力で撮影に取り組もうと思いました。

私が写真を始めてから3年くらい経った頃、
どんなものだろうと力試しに雑誌社を数社、持ち込み営業してみました。
そのなかの1社が撮影を依頼してくれました。
モノクロの1ページを1カットで。
若い俳優さんの撮影でした。

持てる力を全て出しましたが、全くスマートではなく、
全然なってないなあと自分にがっかりしました。
普段撮影を手伝っているカメラマンのようには全く出来ていないと。
まあ、初めての依頼仕事ですからしょうがないことではありますが。
自分で作っていく流れや段取りが何かフワフワしていて、
とても頼りないものに感じました。

もう1回潜伏しよう。
そう心に決めて、さらに2年ほどアシスタントを続けました。
並行してアルバイトをし、個展を開催しました。

そして写真を始めて5年が経った頃、再度雑誌社に持ち込み営業しました。
そして真っ先に依頼を頂いたのが、尾野真千子さんの撮影でした。
再スタートでした。当然気合が入りました。

カラーの1カット1ページの依頼で、当時はフィルム全盛の時代。
カメラはPENTAX67Ⅱで、フィルムは2本だけ使いました。
ポラは持って行きましたが使いませんでした。
以降も使うことはなく、いきなり本番としました。

現像が上がったら暗室でプリントを仕上げました。
色合いや濃さを微妙に変えて何枚もプリントし、
その中から納得いくものを数カット分納品しました。
持てる力を全部注ぎ込みました。

そのポートレートはいま観ても私らしさがちゃんと写っている、
私のポートレートになっています。
記念すべき私の再スタートになりました。

尾野さんもまだそんなに撮影に慣れていない時期で、
その飾り気のなさと私の必死さとがいい感じで融合したと思っています。
撮影場所に向かうまで他愛もない話をしたのもいい思い出です。
河瀬監督への想いもインタビュー中に聴くことが出来ました。
とても嬉しかったですね。

その撮影の数日後、尾野さんはその河瀨直美監督と共に、カンヌの地で拍手喝采を浴びていました。主演映画で再度、カンヌの地で、大きな賞を受けたのです。
私はいいタイミングで撮影依頼を頂いたと思いました。


そんな思い出から随分時間も過ぎ、尾野真千子さんは国民的俳優になりました。出演されているドラマや映画を以降、そんなに観ているわけではありませんが、ずっと気になる存在です。若い頃の恩人のようでもあります。尾野さんと仕事をしたことがある人のなかには、きっとそう感じている人も少なくないと私は思います。

「虎に翼」のナレーション。
ホントに素敵ですね。
寅子なのか、尾野真千子さんなのか、区別がつかないですね。
国民的俳優となったおふたりの今後がとても楽しみです。
同じ時代に生きていることにも感謝ですね。







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