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ゆっくりと 狂ってゆく夏

地下鉄だから、
駅前にロータリーのない、
東京、白金台の駅前では、

さほど広くもない歩道上で、
バスを待つ人たち、
その脇を走り抜ける子ども、
ぶつかりそうになる
スーパー帰りのお母さん、
さらに、
ベビーカーと電動自転車、
主人を待つ子犬、

様々な若い粒子が、
狂ったように入り乱れ、
どこか忙しい、

夏の夕暮れ。


横断歩道を渡り、
この辺りでは古株のお茶屋さんの脇を、
住宅街へと続く坂を降りて行くと、

途中、
見逃してしまいそうな小径がある。

いや、
見逃してしまった方が良いのかも知れない。

小径の角に、
緑のペンキで塗られたトタン作りの塀、
築50年は経っていそうな木造の家屋、
桜の木の下に、
忘れ物のように佇む骨董屋さんがある。

別に、忘れても良い気もする。


夕暮れ時、
店の前の小径に出て、
老夫婦が、掃除をしている。

スープの熱を、
充分過ぎるほど冷ましてから、
かなりゆっくりと、
口に運ぶかのようなスピードで、

老夫婦が、
箒で小径を掃いている、
かなりゆっくりと。


おそらく昔は、
駅前の人々のように動いていたけれど、
今では、
骨董の人形のような風情のふたり。

塵取りで、何かを回収している。

今日一日分の、
人々がやり過ごした何かを、
まるで骨董品を収集するかのように。
拾い集めている。

骨董品って、
忙しかった一度目の人生を終えたモノたちが、
今度はペースを変えて、
二度目の人生を歩き出す仕組みなのでしょうか?

日々の忙しい暮しの中で、
見過ごされ、
やり過ごされ、
若き日々を過ごした後、

誰かに回収されたものが、
骨董品と名前を変えて、
店に並べられているのでしょうか?


ふたりを遠目に、
小径にカラダを投げ出して、
やる気なく腹ばいで寝ている猫。

こちらは、
アスファルトの熱を、お腹で吸収する秘技を、
長い間に身につけているみたいな風情。


長く近所で可愛がられているのに、
最近あまり食べないのか、
お腹がペッタンコなのは、
夏だから?
それとも、
食が細くなったから?

夕焼けを眺めていると、
どこからか
「ジ〜、ジ〜、」と蝉の声、

夏の音?
などと、風流に気持ちを寄せてみたら、

それは蝉ではなく、
どうやらわたしの「耳鳴り」のようだ。


また1ページめくられた、
何でもない夏の一日。

忍び寄る夕闇の気配も、
どこか楽しく思えてくる、

ゆっくりと、
狂いはじめる、

おっと、
暮れはじめる、

64回目の夏の夕暮れ。


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