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🇹🇭哀愁、バックパッカー

約3年ぶりの投稿である。
コロナ禍が明けると、一見以前と変わらぬ暮らしが戻ったように思うが、海外旅行好き、特に2000年前後にバックパッカーにハマった中年層には溜息が出てしまう様相ではないだろうか。

1ドル150円

先進国だった日本からあえて貧乏宿に泊まり、不衛生な食事でいかに安いかを自慢し合う旅。

先進国の国から絶対貧困のスラム街や売春街を練り歩く当時の日本人は、心のどこかに「日本は恵まれている」という勝手な根拠を持っていたのではないか?


GDPでドイツに抜かれる


あれから20年。日本はバブル崩壊から30数年を経て絶対貧困とは行かないが、「相対貧困」即ち格差が広がっている


何度も言う


1ドル150円


これは日本人の持つ円の価値が当時に比べて半減に向かってもおかしくない状況なのだ。

かつ、タイで代表的なパッタイという屋台での焼きそばが2000年ごろは20バーツ、当時レートで60円だったが、いまでは60バーツ(そもそも屋台も減ったが)。スクンビットで食べれば100バーツ近く。

いま、1バーツは4円

世の中にはビックマック指数と言うものがあるが、バンコクのパッタイ指数はこの20年で3倍から4倍になった。バーツはざっくり1.5倍。円の価値もざっくり半減。


3倍✖️1.5倍✖️2倍🟰9倍

この20年でバンコクの物価はざっくり適当に換算しても対日本円でこれくらい。

・20バーツ、60円のパッタイ
・100バーツ、400円のパッタイ
    ※スクンビット

ふむふむ、ざっくり7倍か。
これに円安を換算してだいたい外れないか。

まあ、細かい計算は置いといてどんだけ日本が停滞して他のアジアが発展したかわかるだろう

そしてキツイことだが、
もう二度とあの先進国を抜け出てバックパッカーとして沈没する遊びは出来なくなる
(富裕層の遊びになる)

本当に貧困国の日本人として
貧困宿に泊まるしかない。これはあのバックパッカーとはちょっと違う。


2000年代、がむしゃらに東南アジアを渡り歩いた。若かった事もあるが、後悔はない。
やっといて良かった

それは若い感度が高い時の旅だったから良かったという意味ではない。

日本人にとって海外旅行は贅沢品に回帰するだろう、と言う事だ。

やりたい事は、今すぐやれ

あらゆる自己啓発本の表紙に書かれているが、
本当にそうだ。

老後に楽しもう、なんておこがましい。
明日も健康でいる保証もない。

だが悲観的にならなくても良い。
国内でも楽しめる場所があるって、コロナ禍で気づいた人も多いと思う。


今を大事に行こう。

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