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🇹🇭バンコクからチェンマイ〜寝台列車にて 2002

20年前の写真である。当時の私はデジカメを持ち合わせていなかった。(まだ200万画素程度のコンデジが出始めだ頃だった。)

だから今回掲載する写真はフィルム写真をデジタル化したものとなる。

バックパックにモノクロとカラーのフィルムを数十個詰め、旅立ち、どのような写真が撮れたかは当然現像前なので分からないまま帰国。

手荷物検査のX線でフィルムがダメにならないかヒヤヒヤしながら。写真屋に頼んで出来上がった写真は今にして思えばくすんだような独特な。でもハッキリとデジカメでは出せない人間の視覚で捉えたままを現しているように思える。

スコータイのワットにて、掃除屋の男達の一服

バンコク、ファランポーンから3等客室。つまり冷房なしのチェンマイ行きの寝台列車に乗り込んだ。いくらだったろうか。数百バーツ、だったろうか。よく覚えていないが、若い身体の私は疲れ知らず。

ファランポーン周辺にはバラックが並ぶ

ファランポーンを出発。アユタヤ、ピサヌロークを経てチェンマイへ向かう。窓を全開にすると生暖かい風が吹き込む。ファランポーン周辺にはバラックが立ち並び、スラムを成していた。

それもアユタヤを過ぎれば延々と田園風景が続く。雨期だった。吹き出す汗。それすらも心地良いほど身体は若く。初めての海外で目にするものに興奮してシャッターを切った。


慎重に。瞬間を逃さず。なにせフィルムは撮影数も24枚撮り、のようにリミットがある。フィルム交換のタイミングも気にしながらシャッターを押すのだ。

寝台列車の天井。湿度の高い空気を混ぜるだけ


チェンマイに行く。それだけを決めていた。あとは何も予定は立てなかった。スマホもない。「地球の歩き方」にある格安ホテルのページを凝視していた。


ドミトリー、120バーツ。個室150バーツ。冷房付き個室200バーツ…記憶を頼りにすると感覚的にこのくらいの物価だった。安かった。日本はまだ「失われた10年」などと言われていて、衰退に向かう続ける自覚も無かった。

この頃から路上の犬に注目していた
アユタヤのワット近辺でやる気のない犬達

早朝、チェンマイに着くと4時くらいだったろうか。あまりに重すぎるバックパック。だが欧米人(ファランとタイでは呼ばれる。語源はフランス人、だ)達は軽々と背負い。皆んな決まってサンダルとハーフパンツだった。ボディバッグを付けているのは大概日本人だった。

チェンマイの川下りで一緒のグループにいたオーストリア人夫妻。「ラインハルト」と名乗った


写真を見るだけで20年前の旅の風景や匂いが鮮明に思い出されてくる。連鎖的に、具体的に。

ゲストハウスのレセプション

このころから「地球の歩き方」などを見なくても目に飛び込むゲストハウス に適当にチェックインできるようになっていた。慣れてきたのだ。

ゲストハウスのチェックインも緩やかだ。皆んな笑みを浮かべて飼っている子犬を撫でていた。


「川下り、バンブーツアー」をレセプションで申し込んだ。


これがまたとんでもない過酷で危険なツアーだったのだ。


ーータケシ

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