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🇯🇵【沖縄】国際通りから逃げるぞ@コザ2018

沖縄といえば那覇の国際通り。
ここでダラダラと過ごすのが定番だった。
だが、何度も何度も足を運ぶと、慣れ、そして飽きが出てくる。

「面白いところはないか、観光地ではないところ。人がいないところ」

「コザ」という街が目に止まった。
沖縄の中部にある、かつて栄えた街だという。

だが、皮肉な事に隆盛期はベトナム戦争の70年代前後だったという。

そのコザは、半ば観光客に見捨てられ、寂れた場所になっていると聞き、急いで訪れた。

この写真はそのコザのメインストリートから外れた住宅街であり、白い漆喰に固められた古き良き沖縄の家々が立ち並び、静かに時が流れていた。

「沖縄市登川」ここがその住所だった。

「少しここを歩きたい」
彼女に告げると、

「好きにしてください、私は興味ないです。
車の中にいます」と。

カーナビの目的地は「美ら海水族館」。
にもかかわらず、突然高速を降りて「コザに行きたい」と言われておかんむりだった。

寂れたコザのメインストリートから数キロ北上した場所だった。

白い漆喰の屋根は古い民家だ。

沖縄は台風が多い。
建物は鉄筋のこのような形が多い。

台湾の建物と似ている。

唯一、この街の歴史を辿れるような記念碑が置かれてあったが、誰一人通行人はいない。

沖縄では、地元の人間を「ウチナーンチュ」という。対して本土、内地の人を「ナイチャー」と言う。ナイチャーがウロウロしていても失礼だし、なにより車内に置いてきた彼女と揉めるのが怖くて戻る事にした。

最後にもう一度コザのメインストリートに戻った。「コザゲート通り」という。

夜になると米兵で溢れるそうで、
パブも並ぶ。それにしても人がいない。
(実は年末の季節外れの時期、も要因)

ベトナム戦争の頃のコザの動画をYouTubeで見てみた。まるでパタヤのようだった。

戦争は、その武器を搬送する拠点周辺に繁華街を残すのが歴史の常だ。

平和が訪れれば、客が(兵士)が減る。
それでも廃れなかった街の典型はタイのパタヤだった。

もういい加減美ら海水族館に向かわないとカミナリが落ちそうだ。

私は高速のインターに戻り北上した。
とても心地よい寄り道だった

ーータケシ


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