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オールマンズの「ディンプルズ」考察

私は自己紹介にあるようにサザンロックが大好きで、メジャーなアルバムはもちろん、マイナーなアルバムを掘り出すのをライフワークの一つとしている。今回はサザンロックファンだけでなく、多くのアメリカンロック、ブルースロックファンが避けては通れぬアーティスト、オールマン・ブラザーズ・バンドの一曲を掘り下げてみようと思う。個人的な意見なので、正しいか正しくないかというより「そういう考え方もあるのか」というスタンスで読んでいただけたら幸いである。

その一曲は「ディンプルズ〜Dimples」で、’90年にリリースされたCD「ライヴ・アット・ラッドロウ・ガレージ」ディスク1の4曲目に収録されている。この曲はジョン・リー・フッカーの作によるものであり、オールマンズ以外にもアニマルズやスペンサー・デイヴィス・グループなど、ブリティッシュブルースロックのアーティストによって好んでカバーされていた。もちろんアメリカ勢でもキャンド・ヒートらによってカバーされている。

彼らのそれぞれのバージョンは’60年代〜’70年代にかけて録音されており、アレンジは違いはあるものの大同小異である。ところがオールマンズのバージョンだけが大きく異なっている。相違点としては、「歌部分の1クールの構成と長さ」と「後半のインプロヴィゼーションにおけるキメフレーズの有無」が、まったく異なっている点である。

まずはジョン・リー・フッカーがヴィー・ジェイ・レコードで録音したオリジナルバージョンから。録音は’56年3月、リリースは’56年8月となっており、共作者のジェイムス・ブラッケンは、ヴィー・ジェイ・レコードの創設者である。

続いて、アニマルズ、スペンサー・デイヴィス・グループのバージョンをどうぞ。

いずれもオリジナルのジョン・リー・フッカーのバージョンを元にしているのが非常によくわかる。それではオールマンズのバージョン(ライヴ・アット・ラッドロウ・ガレージ)を聴いていただこう。

オールマンズのバージョンは’70年4月10日に録音されたものであり、メンバーはご存知ようにオールマンズの6人である。オールマン・ブラザーズ・バンドとして活動を始める前に、デュアン・オールマンはセッションミュージシャンをしていたという経緯があり、この時期の音源は「アンソロジー(1&2)」として広く知られることとなった。この中に収録されているジョニー・ジェンキンスの「ダウン・アロング・ザ・コウヴ」において、デュアンがスライドギターを弾いているのは有名であるが、このジョニー・ジェンキンスのアルバムに、デュアン以外のオールマンズ人脈が参加しているのである。

アンソロジー1&2/デュアン・オールマン

そのジョニー・ジェンキンのアルバム「トン・トン・マクート!〜Ton Ton Macoute! (‘70)」には「ディンプルズ」が収録されており、そのバージョンはオールマンズのバージョンに酷似している。このアルバムが録音されたのは’69年〜’70年とされており、リリースは’70年4月であることから、「ラッドロウ・ガレージ」と「トン・トン・マクート!」のバージョンは同一といってもいいのではないだろうか。

ジョニー・ジェンキンスのバージョンのパーソネルは以下の通りである。

ジョニー・ジェンキンス(ボーカル、ハーモニカ)
ピート・カー(ギター)
ロバート・ポップウェル(ベース)
ジョニー・サンドリン(ドラムス)

いずれもキャプリコーン・レコードと縁のあるアーティストである。さらにこの「トン・トン・マクート!」には先のメンバー以外にも、デュアン・オールマンをはじめとして、ベリー・オークリー、ブッチ・トラックス、ジェイモー・ジョハンソン、ポール・ホーンズビー、エディ・ヒントン、そしてジミー・ノールスも参加している。ちなみにジミー・ノールスは’77年にオールマンズから分裂したシー・レヴェルに参加したギタリストである。まさにオールマンズ人脈総出演というべきラインナップと言えよう。

それでは問題のジョニー・ジェンキンスのバージョンをどうぞ。

以上の点を繋ぎ合わせれば、’69年〜’70年頃には、すでに「ラッドロウ・ガレージ」で聴かれるバージョンは完成していたと考えられる。それが時間の経過とともに、ツインリード、ツインドラムやインプロヴィゼーションを生かしたスタイルに変わっていったのではないだろうか。

とりわけ、サザンロックは地元のミュージシャンが集まって、ある意味 自然発生的にスタイルが出来上がってきたというのが事実だと考える。’90年になって初めて日の目を見た「ラッドロウ・ガレージ」ではあるが、超名盤「アット・フィルモア・イースト」の1年前、’70年に何が起きていたのかは非常に興味深い。

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