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サザンロックの定義とは何か? ②

・アメリカ南部とは?
・サザンロックの始まり
・レーナード・スキナードの登場
前回は上記の3点についてお話をさせていただいたので、今回はその次へ行こうかと。

ジョージア州のレーベル
キャプリコーン・レコードはジョージア州メイコンを拠点とし、サウンズ・オブ・ザ・サウスはジョージア州のドラヴィルのスタジオ・ワンでレコーディングなどをおこなっていた。ご存知のように、スタジオ・ワンは、アトランタ・リズム・セクションの拠点として知られている。アル・クーパーは、スタジオ・ワンにおいて、バディ・ビューイと作業をしていたとのことである。

‘70年代初頭に、アメリカの片田舎で新しい音楽(彼らにとっては普通の音楽)が生まれようとしていたのである。実際には、キャプリコーンの方が少し早い時期から活動をしている。サウンズ・オブ・ザ・サウスの設立は’73年であったが、オールマンズは、同年にはすでに「ブラザーズ&シスターズ」をリリースしていた。

サウンズ・オブ・ザ・サウスは、モーズ・ジョーンズ、レーナード・スキナードを世に放った。これらのバンド以外にリリースされたのは、ブルース・プロジェクトとイライジャというバンドのみであり、カタログを見る限りでは、モーズ・ジョーンズとスキナードのリリースがほぼすべてであった。

オールマンズに続くアーティストたち
キャプリコーンはオールマンズに続いて、たくさんのアーティストが作品をリリースするが、’69年〜’70年では、ジョニー・ジェンキンズ、リヴィングストン・テイラー、ジョナサン・エドワーズらの「バンド」ではなく、「個人」のアーティストがほとんどである。バンドとしてキャプリコーンからリリースされたのは、’70年/カウボーイ、’71年/ウェット・ウィリー、’72年/キャプテン・ビヨンド、’73年/マーシャル・タッカー・バンドとなっている。

実際、彼らが商業的なヒット作をリリースするのは’73年頃からであり、この時期になって、ようやく「蒔いた種が芽を出す」という結果になったのではないだろうか。
‘73年といえば、オールマンズは「ブラザーズ&シシターズ」をリリースし、ニューヨークのワトキンス・グレンで、グレイトフル・デッドやザ・バンドとステージに立ったのも同年である。翌’74年には、マーシャル・タッカー・バンド「アメリカンロックの鼓動〜Where We All Belong」、ウェット・ウィリー「キープ・オン・スマイリン」のヒット、そしてエルヴィン・ビショップが「レット・イット・フロー」をリリースする。

ここまでで、ジョージア州に設立された2つのレーベルと’73年頃の状況をお話しさせていただいた。次回はタイトル通り「定義」についてお話しさせていただく予定である。

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