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サザンロックの定義とは何か? ①

今回の記事の内容は、私個人の解釈によるものであるため、主観の相違により違った解釈をお持ちの方もおられることを理解した上で、お話をさせていただこうと思う。

そもそも「サザンロック」とは?と聞かれれば、’70年代半ばにアメリカ南部のアーティストが注目された時期があり、その時のムーブメントを総じて「サザンロック」という言葉で一括りにした〜ということになる。

アメリカ南部とは?
では、「アメリカ南部」とは、どこからどこまでを指すのか?となるが、1861年4月〜1865年4月に、北部の「アメリカ合衆国」と南部の「アメリカ連合国」が、奴隷制の是非などを理由に勃発した南北戦争で、「アメリカ連合国」に加盟した州が「南部」という認識でほぼ間違いはない。

「アメリカ連合国」に加盟した州は、サウスカロライナ州、ミシシッピ州、フロリダ州、アラバマ州、ジョージア州、ルイジアナ州、テキサス州の7州、その後、南北戦争が始まると、バージニア州、アーカンソー州、テネシー州、ノースカロライナ州が加盟し、さらに部分的ではあるが、ミズーリ州、ケンタッキー州も加盟し、13州が連合国軍となった。南軍旗の星が13個なのは、これに起因する。

サザンロックの始まり
‘60年代後期にオールマン兄弟が、アワー・グラスというバンドを活動をするも、大きなヒットにも恵まれず、兄のデュアンは、マッスル・ショールズでスタジオミュージシャンとして生活をしていた。そんな中で、のちにキャプリコーン・レコードを設立するフィル・ウォルデンが、デュアンのプレイに目をつけ、オールマン・ブラザーズ・バンドの結成とキャプリコーン・レコードの設立につながった。

そして、デュアンの演奏を観たエリック・クラプトンが、そのプレイに感激し、デラニー、ボニー&フレンズのツアーでの経験も相まって、一気にアメリカ南部への傾倒が加速する。これがデレク&ザ・ドミノスへのきっかけになった。

オールマンズの結成とキャプリコーン・レコードの設立が、サザンロックの一つの出発点と捉えて間違いはない。

キャプリコーン インナースリーブ
キャプリコーン マーブルレーベル

レーナード・スキナードの登場
‘60年代半ばに、ハイスクールバンドとしてスタートしたレーナード・スキナードは、メンバーの交代をしつつも、地元の南部を中心にクラブサーキットを続けていた。アル・クーパーがツアー中に彼らのステージを観る機会があり、これをきっかけにして、自身がMCAレコードの傘下にスタートした、サウンズ・オブ・ザ・サウス・レーベルに迎え入れた。

そして’73年にファーストアルバムをリリース、その後はコンスタントにアルバムをリリースし、名実ともにベテランの仲間入りを果たしたが、’77年の飛行機事故により、メンバーやローディーが他界し、最悪の事態を免れたメンバーも、完全に復帰するには多くの時間が必要であった。

サウンズ・オブ・ザ・サウス レーベル&インナースリーブ

長くなりそうなので、②へ続く。

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