トラベルハウスアンバサダーとしてブツを取りにいく旅③
いよいよ感動?のフィナーレ
富裕層のマチ葉山の仙元山でトレイルラン後に昨年お世話になった第2のふるさと、勝手に思い込んでしまっている栃木県へ移動。レモン牛乳が忘れられません。
魔の首都高に吸い込まれながらも命からがら到着。
今後を鑑みて予定を大幅に変更しフェリー移動、そして道内に入るとラーメン一丁で一目散にマンディルへ。
珍道中、最後の巻です。
それでは、どうぞ。
6日目 葉山→益子 300km
朝。気温16℃。大阪の夜より暑く、手持ちのリミット3℃のシュラフ「ポリゴンネストイエローショート」ではちと汗で蒸れ蒸れになりそうなくらい。このシュラフは化学繊維(通称「化繊」)であり、濡れても保温性を発揮することはするのでスペック的には問題ないが、気持ち的にね。
おじさんが汗ばんでるのもちょっとなあというところなので、次の日は気温と相談しながら着衣も考えよう。
それにしてもトラベルハウスの断熱性はしっかりしている。悔しいが同い年である築43年マンディルの建物よりも間違いなく。
楽しみにしていた仙元山トレイルランに行く前の5:00に再びエマさん号へ招かれ朝コーヒーをいただく。昨年も東京へ行ったときにもいろいろ連れ立ってもらったり、合流するとなったらいつもお世話になりっぱなしで本当に頭が上がらない。
朝ラン集合には有料駐車場に行かねばなので、エマさん号に便乗し会場へ向かう。
近くに住んでいる参加者は走って向かっている。このグループランの仙元山トレイルクラブはおそらく日本で一番100マイラー(160kmのトレイルレースを走り完走以上の結果を残す人のこと)が集まる地区であろうと言われているところ。集合場所に伺うと、なるほど屈強なオーラ。
特に美魔女勢の強さは折り紙付きだそうで、一生懸命トレーニングしないとついていけなくなるとは竹谷さん談。
参加自由なのでホイホイ来てしまったが、いろいろ考えるとあな恐ろしいところと今になって気づいた。
この日に合わせて初参加してくれた顔なじみの順子さん(4月21日~23日に開催された100マイルトレイルレースUTMFの69kmコース「KAI」で女子3位!)、マンディルで取り扱っているブランド、TANNUKI RUNNINGの有志で行っているグループランで昨年ご一緒したゆみさん(5月の農家さんお手伝い宿泊プランに参加予定)とも再会を果たし、おもむろにスタート。
朝から気温16℃は常夏だ。
朝にも拘わらず総勢30名超のなか、見晴らしの良い定例写真スポットで自己紹介タイム。
北方からの珍客に違いないので、ありがたいことにグループランへお邪魔すると挨拶の時間をよくいただくが、やっぱり北海道、それも道東って未知の世界、異国?、僻地?(「清里町」なんて名前を知る由もない)なんだなと、本当に実感する。
本人は飛行機に乗ればあんまり遠さは感じてはいないが、そうは言ったって軽トラックで来る奴なんていないだろうしな。まあまあ珍客だ。
ラン中でもほかの方と談笑しつつ、アップダウンが小気味よくつづく仙元山。家からすぐ来れる里山ってつくづく羨ましい。
遠くは富士山が見え、海風に吹かれ、ハイカラな様相が続く街並みは欧米か。
道東だってほぼ異国で、畑の肥料のニオイがしたりする言いえて妙の北ヨーロッパスタイルだけど、原生的だからいいんだもんなんてひねくれた気持ちが吹っ飛ぶ時間だった。
手元のGPSで約6.3kmの幸せな環境。
終了後、みなさんはこれからそれぞれお仕事へ。リモートワークの方などもいるが、中には2時間近くかけて東京のオフィスへ向かう方も。仙元山トレイルクラブのみなさん、ゆみさんもありがとうございました。
そして地元民の竹谷さんにいざなわれ、朝ごはんへ。
「ブレドール葉山」というパン屋さんへ、ヌシの竹谷さん、先輩アンバサダーエマさん、わざわざ休暇を取って来てくれた順子さんと4人で訪問。
朝から優雅にパンバイキングなんて、今までの人生で片手の範囲内で数えられるはず。
ものすごく美味しいけど、わんこそばならぬわんこパンスタイルなので胃袋が確実に仕留められていく。
この過酷な道のりにゴールはあるのかないのか。100マイルレースより厳しい闘い。ラスボスとみられていたアップルパイはまだ中ボスとの情報だ。
仙元山を4周くらいしないと太ってしまうくらいたくさんいただき、昼食が心配になりながらお店をあとにする。
エマさんが仕事へ向かった後、順子さんがマイトラベルハウスを見たいということで、竹谷さんに便乗させてもらい駐車場に置いてあったマンディル号へ。
カロリー減らさないとね、なんて話していると久しぶりのおしゃべりで結局昼前までだべってしまうという。
話すことに暇がなく、いくらあっても時間が足りない。竹谷さんやエマさんともつながってもらうことができて、おじさんはとてもうれしい。
3年前にマンディル近隣の摩周岳登山口でお会いした時は、普通の女の子だったはずなのにいまやモンスターのようなパワーを纏っている。レース中はきっとさっき登場した犬ぐらい筋肉が切れているんだろう。あな恐ろしや、一緒にヤマへ行くとベソをかかされて上から笑顔で見下されるんだろうか。
くそう、鬼ガールめ。
そんな勝手なことを思っていると、一瞬で時間が経過するためそろそろ動き出さねば。帰り道がそこそこ同じ方向なので順子さんと居心地のよすぎる葉山を後にし、お仕事がひと段落したエマさんと鎌倉で再合流後にまた食事をしながら、あれやこれやお話ししてあっという間に13:00。
竹谷さん、エマさん、順子さん、ありがとうございました。
いよいよ大都会東京を抜けてマンディルへ遊びに来てくれた栃木県は日光のアウトドアショップ「天地」(あめつち)さんへこれから向かう。
オーナーの星野夫妻のところには昨年の秋に日光へお邪魔した際、大変お世話になったので、ぜひともトラベルハウスを見てもらいたいという勝手な思いからご連絡したところ訪問を快く受け入れてくださった。
本当に優しきご夫妻だ。
頑張って運転しても夕方。道を間違えちゃいかんと気合を入れて、最大限の集中をもって臨んだものの、関東の道はクセスゴどころの騒ぎではなく。
避けなければならないと思っていた首都高にまんまと吸い寄せられ、地下に潜ると道案内のデータが消え失せ。
グーグルさんとの揉め事はこれまでもよくあったが、そうも言ってられず出てくる案内看板を読み解いて何とか鬼門を突破することができた。
極めてラビリンスな首都高。
出来ればもう車では東京に行きたくないものだ。
走りやすいと聞いていた東北道ではスピードに気を付けながら先へ急ぎ、いよいよ日光へ。
高速の入口にあるお店へは閉店間際になるため、少し余裕をもって到着しそうな状況に安堵したのもつかの間だった。
まさかの日光ICを降り損ねてしまい、隣のICへ。はからずも昨年訪れた日光東照宮をかすめながらお店へ行くこととなった。引き寄せられた感に前世は東照宮にいたサルなんかなんだろうかと、ふと思う。
そして閉店間際の17:50に星野夫妻のところへ到着。
奥さんの由香理さんはこれから会議のためほんの少し談笑し、旦那さんの晃宏さんとはその後ショップ内でトーク。ショップの規模感が近しいのもあって、ショップあるある、よもやま話が尽きないこと尽きないこと(本ブログ②で登場のmilestone吉田さんの時のデジャヴかと)。本当に時間がいくらあっても足りない。
これまでの道すがらの話を織り交ぜるとあっという間に外は真っ暗。閉店後にもかかわらずお時間をいただいてしまった。
なんとか11月に開催される日光マウンテンランニング(日光東照宮がスタートゴール!)で再訪したいなどとお話ししつつ、その場を後に。
星野夫妻、ありがとうございました。
本来はここで本日終了でどこか車を止めて休むところだが、昼間にサプライズでお邪魔しようとした益子町の「カフェマシコビト」さんにもやはり行きたい。そう思って急遽連絡したところ、明日の早朝に里山へ連れて行ってもらえることに。
途中のスーパー銭湯ですっきりさせたあと、マシコビトさんの駐車場をお借りして明日に備えることとした。
7日目 益子→大洗 70km
益子町での朝の気温は4℃。寝る前になんだか寒いなと感じていたが、そりゃ寒い。前日とのギャップがまあまあなかなか。
道東とさほど変わらない状況で、室内オーバーハング部分の寝心地をテストしていたが、寒さと窮屈さもあって益子の夜は眠り浅め。
床下をしっかり遮熱するスペックのグラウンドシートの使用もしくはベッドとなるものが必要と感じた。
いま室内はまったくもって無加工の状態。寝袋がリミット3℃であったため、これ以上の冷え込みとなる北海道の冬をこの中で過ごすにはしっかりとした道具と合わせて暖房を使用すること、寒さを軽減する造作が必要となる。
益子町、良いシチュエーションを与えてくれた。
そうこうしているうちに「カフェマシコビト」オーナー、黒子さん登場。
昨年11月以来2度目の訪問だが、お店の準備もあるのにもかかわらず快く朝ランに誘ってくれた身体も心も大きい御仁だ。
ホーム里山であるタイタニック岩、足尾山、御岳山に連れて行ってもらうが、なんて素敵な道のり。
ピリリとした登りの斜度、稜線へ抜けるまでの手ごろな所要時間。
うーん贅沢。
整備のお話しや行政との話など、お店の立地的にマンディルと少しだけ近しいものがあるので、結構濃ゆい話をしながらさくっと1時間程度。黒子さんの熱い魂もあってか朝の冷え込みもどこ吹く風だ。
黒子さん、仕込み前にありがとうございました。
当初はここから青森まで行って函館に上陸を考え、勢いで行けるだろとタカをくくっていたが、調べてみると約600kmの行程。
そして函館からマンディルまでも約600km。2日1,200kmを高速道路に乗りっぱなしでもなんとか行けるかという道のりに怖気づき、身体と相談する。
おい自分、行けるのかいけないのかどっちなんだい。
行ーーけない。
経費的なところと運転に飽きが出て眠気が出ないよう、できるだけ下道を使うようしてきたがこの状況はそうもいかず。
ショップで扱うブランドの春夏物新作が押し寄せているいま、今週まで休んでしまうとなにか今後恐ろしい状況になりそうな予感がしていたため、日曜日にはショップをオープンしたい。
現実を鑑みた結果、大洗港より北海道帰還をわりと速攻で決定する。
となると一気に1日の詰め込み加減が解放され、疲れが突然表面化してしまう。人間張りつめていたほうが集中力が上がっているものだ。先を急がなくなったため、ご当地グルメもいっておきたい。蛇足も出てくる。
エネルギー補給を含めて水戸のスタミナラーメンをいただいてからフェリー乗り場へ。
三井商船フェリーのキレイな「さんふらわあ」にゆられ、早々と風呂に入りゆったりまったりぬくぬく過ごす船内で体を整えた。
本州よ、さらば。
8日目 苫小牧→マンディル 360km
すっかりだらっとしてこのブログの予定稿を書くなど、次の日の昼まで船内でゆっくりできたことからバッチリと体力回復。
陸路で栃木から青森までなんて行ったことがなく、頑張れなかった気持ちもあったが自分の出した答えだから後悔はしない。
福島、宮城、岩手、青森が消えてなくなることはきっとないはずだ。
生きているうちに行けばよいのだす。
そんな自分の気持ちを納得させ、到着後は苫小牧訪問時に一択化しつつあるラーメン屋「ニングル」で腹ごしらえして、一気にマンディルへ。約360km。
ここからの話は膨らまない。
まっすぐ走って帰るからのもあるけど、膨らまない。
そりゃ道のりも勝手知ったる道だもの、負担を感じすらない。それほど本州の道は難く、北海道の道路は慣れっこになっている。
鹿追町周辺の「馬横断注意」の看板や阿寒横断道路の道路真ん中を堂々と闊歩するエゾシカなどはもはや日常。目に見えるのは歩く食肉だ。
立ち寄ってお披露目したい先も数々あったが、夜が更けてから連絡してもさすがに迷惑が掛かるため、ひたすら前進。
21:30にはマンディルへ無事終了した。
フェリーに乗る前後はほぼ軽トラックでのグルメドライブ旅、しかも膨らまない話になってしまっているが、「充実」という言葉で片づけてはならないくらい、たくさんのものを携えての帰還。
たかだか1週間しかいなかったのにもう本州仕様の体になったのか、地元はとても寒い。すっかりかぶれ者だ。
翌日以降の話であるが、日中の気温がマイナスになる手前の日があり、雹も降ったりと普段通りの暖房必須生活に舞い戻った。
終わりに
帰還後の翌日には、トラベルハウスを店舗の前庭へ設置する作業を一人で実施したあと軽トラックをお返しし、今回の日程はこれで本当の完結。
マイカーの広い運転席に慣れない日々が続いたが、ショップの準備であわただしくも平常の生活が戻った。
たくさんの方たちに支えられて実現し、そして無事終えることができた。
とはいえ、アンバサダーとしてはここからがスタート。すでにSNSなどで発信しているが、楽しさも盛り込んだ活用方法を伝えていけるよう邁進していかねば。
それにしても「ものづくり」をする人たちの技術や熱意は本当に尊敬の念がやまない。
トラベルハウスはもちろん製品を作り出している人、会社。トラベルハウスに限らず、自社の製品を世に広めるよう尽力する人。お店を媒介としてコミュニティを作っている人。一人メディアとして存在を確立している人。
「もの」という言葉に集約できてないかもしれないが、ひっくるめて「何か」を作り出している人から直接話を聞けるというのは、本当に大きな財産となる。
コミュニケーションの手段がはからずも発達してきた昨今、それでも人と人が対面して伝える熱量というのはとても重要であり、感動すら覚える。出会ってお話ししている人たちが素晴らしい方々であるというのももちろんあるだろう。
若かりし頃に取材という仕事をやってきたこともあり、当時鉄則であった「現地現認」という言葉はどうも身体の奥底にしみ込んでいるようだ。
今回の旅でその魂を大事にしてきたことが間違いではなかったと強く実感している。
店舗を構えている以上は時間的・経費的な制約も実際には出てくるが、誰もが来たくなる場所にマンディルを昇華させるため、可能な限り動き回ってインプットすることはやめてはいけないのだと思う。
無駄なあがきだとか、効率的ではないナンセンスなことという意見もあるだろうが、こうした足で稼ぐ体験を活かすも殺すも自分次第だし、信じて突き詰めていくほかないだろう。
決して集客力がある場所とは言えない、きっと経営塾などで習う理想の立地条件などとは対極をなすドドドドド田舎のお店ではあるが、近しい境遇の方や取り組む術を実践している方々にもヒントをたくさんいただいた。
フィールドが目の前にあることは掛けがえのない財産で、素晴らしいところであるとも言っていただいた。
ただの励みにするだけでなく、多くの人が1度は行ってみたいマンディル、という所にしていくため、得たものを反芻しながらチャレンジを続けていく。
こちらへ来ていただいた方の今後の人生に何か彩りを添えられたら、これ以上のことはない。
そんなまじめな雰囲気になってしまったが、要するにかいつまんで言うとマンディルに来て、遊んで、話を聞いて、トラベルハウスを見てほしいという、至って長めの営業話なのである。
突拍子もない旅路のお話しにお付き合いいただき、ありがとうございました。
ということで締まったようで締ってないような終わり方だが、さあビシバシ動きながらこれから日常だ!
おわり
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