頭真っ白。ひたすら乾杯を繰り返した班飲み

大学時代、私が所属していた卓球サークル(会員数約100名)にまつわる話。

乾杯ではなく完敗であった大学2年生春

このサークルは合宿(年2回。春・夏)が年間行事の中心といっていいほどこのイベントに力を注ぎこむし、合宿の参加を前提として、そこでのパフォーマンスは4年間におけるサークル内での評価にも大きな比重を占めるような、そんな奇特な団体であった。

大学2年生の春頃。班長のうちの一人であった私がMCとして合宿中に飲み会(各班15人くらい)をやったのはいいが、シーンとする時間が多くてどう盛り上げていいか途中からわからなくなり、プレッシャーに押しつぶされた挙句、最後の10分~15分くらいはひたすら「ではみなさん、グラスを持って」の乾杯を4~5回をくり返したあの絶望的な時間。

「あのときはつらかったけど、今となってはそれが良薬となり」みたいな感じに20年以上経っても思えない部分が実はあって、あれが果たしてよかったことなのか悪かったのか今でもよくわからない。

居合わせた先輩の一人からは合宿後のアンケート用紙に一言「コールもなにもないのはちょっと・・・」と苦言を呈されたのは今でも忘れられないし、本当はもっと書きたかったのだろう。

せめてもの理性や優しさというやつを「・・・」から感じてしまい、卒業前の先輩に不快な思いをさせたことを申し訳なく思っている。

完敗からの脱却をめざした大学3年生夏

班長をやりたがる人が少なかったこともあり、半年後に行われた夏合宿のときにMCを再度おこなったのだけど、そのときはアルコールに逃げた。

開始早々に一気飲みを連発。酔っぱらってへべれけになった自分を周囲がおもちゃのように面白おかしくイジるという台本だけ設定して、あとはアドリブ。当時付き合い始めた女性が東大生だったのをいいことに、現在では滅多に行わない男女にかかわるプライベートネタも積極的にトークへ転換。

「盛り上げられれば手段は問わず」

そのくらい私は追い込まれていたし、盛り上げるという目的をそれなりに達成することができた私は合宿から帰ってきたあとは廃人のようになってしまい交際や学業、バイト。すべてが中途半端になってしまった。

冒頭で記した「良かったのか悪かったのかわからない」というのはこういうところに出てきたりもする。

卓球合宿のはずなんだけど、合宿で学んだことは技術的には何一つとしてなく、「自身の特性を客観的に知ることができたこと」や「人には向き・不向きがあること」

「誰でもできる」とMCをナメていた私にとって、さんまさんや紳助さんの才能ぶりを本当に感じた。あれは誰でもできる芸当ではないのだと。

まとめ

年齢もかさねて乾杯のあいさつをすることが増えてきたが、おそらくあの時以上に頭真っ白になって「では、みなさんグラスをお持ちください」と発言することはないだろうし、もう10年20年くらい経ったら・・・

バラエティ的な要素を求められるMCは二度とやりたくないが、班飲みでMCをやったことを是とするはっきりとした回答は得られるのかもしれない。

記事を書いていくうちにそんなふうに想いが段々と変わっていったのだけど、そんな機会を与えてくれたnoteに感謝を申し上げ、この記事の締めくくりとさせていただきたい。






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