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ビジュアルデザインの根っこ

デザインは、誰かのために在って、使われるために在る。デザインをするときには常に「何のために」を意識してそれらを扱う。

私は普段、WEBの構築・運用をしていて、デザインに入り浸る生活をしています。
プロとしてデザインをアウトプットして、初心から今までの4年間を振り返ると、デザインをする上でのヒントのようなものが浮かんできたので共有します。


キャラクター化の視点と定義付け

まず、題にもある「キャラクター化の視点」とは何か?

それは、「擬人化」のようなもので、デザインを生き物のように扱い、観察し、細やかな感覚を投影するニュアンスです。感情、性格、雰囲気など、対象のデザインに関する全ての感受性を指します。それが、デザインの目的や意図に紐付き、像を浮かび上がらせて世界観の構築(肉付け)に繋がります。

もう少し噛み砕くと、そのデザインを利用するユーザーはどんなものが好きで、ユーザーはどんな雰囲気で、どんな感情を受けているのか、どのように共感してくれるのかをイメージすることです。

そういう一つひとつの定義付けが重要なのです。


定義付けが説得力になり、魅力になる

そのキャラクター(デザイン)の小さな所作が表現されてくると、目的や意図に沿った、デザインが生まれてくるのです。

そのデザインは、「シャープなラインが特徴なのか?」「丸みがあって可愛らしいのか?」などの見た目の印象や、「どのようなキャラクターか?」などの全体像、「どんな生活をしているのか?」の物語性を構築していくイメージで、それがクリエイティブ全ての説得力と魅力、感情のリアリティになります。

これは、1つのドキュメンタリーを描いている感覚に近いかもしれません。


その視点に思い込みはないか?

ただ、妄想を膨らませることに没頭することでは良いものは生まれません。

デザインは、既存のモノの融合であることを理解する必要があります。既存を理解、意識しなくては、誰にも理解できない未知不明の自己中心的なアウトプットになるからです。なので、情報が足りないなら情報収集や調査をして補完することも必要です。

観察を繰り返し、「使ってくれている人はどんな人か?」「競合や同カテゴリーなど、他の様相はどのようなものか?」「他との差(オリジナリティ)は何なのか?」、問いに問いを重ねた末にイメージを定義することができます。


案外ちっぽけになっている

気づかずに妄想の世界に没入していることもあります。根拠もなく勝手に自分自身で感動を錯覚して、思い込むように「〜であるべきだ」と決めつけているときです。
すでに、定義付けしたものを何度も反芻しながらこれで良いのか、決めつけて思い込んでいないか、立ち戻りながら眺めることが大切です。

これは感覚的ではありますが、個人個人には癖というものがあって、ある人は「作業に没頭して見えなくなる」こともあれば、ある人は「無意識的に見失っている」こともあると思います。
そうした自分自身の癖を理解していくことも、このキャラクター化には必要かもしれません。

寧ろ、自分のキャラクター化を定義して分析するのもいいかも。


最後に

これは、私が模索の末に行き着いたプロセス、仮説であり、今もこのプロセスでいいのかを反芻する毎日です。実体験はもちろん、色々な人の言葉や経験に影響を受けながら今の自分を構築しつつもあります。

そして、これが少しでも誰かに影響し、デザインを志す人に向けて糧になることを願っています。

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