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監督は感動した!

試合後に取った監督の行動とは


 上の写真の方が誰だか分かるだろうか。
 すぐに分かった方は、なかなかの高校野球ファンだと思う。
 あの野球の名門校、早稲田実業の和泉実(いずみ みのる)監督である。
 御年63歳であるが、生気に満ちた顔でチームの指揮をとっておられる。
 早稲田実業と言えば、古くは巨人全盛時代のホームラン王であった王貞治や、その後も荒木大輔や斎藤佑樹などのさわやかイケメン系ピッチャー、超高校級スラッガーともてはやされた清宮幸太郎など、いずれもプロ野球界で活躍するまでに至った選手を数多く輩出した高校野球界の超有名校である。
 そしていまだに甲子園によく顔を出す伝統校だ。

 和泉監督自身も早稲田実業野球部OBであり、選手としても甲子園出場経験があるらしい。
 卒業後は早稲田大学に進学し、そこでも野球部に在籍したようだ。
 その後社会人となってからは、山口県下で会社員として働きつつ、県立高校の野球部監督をしておられたようだが、1992年にその早稲田実業野球部の前監督和田明氏の死去に伴って監督として招聘され、現在に至っている。
 そして2006年夏の大会で、前記斎藤佑樹投手を擁して決勝戦まで勝ち上がり、北海道の駒大付属苫小牧高校を再試合の末に破り優勝を果たしたほか、これまでベスト4が1回、ベスト8が2回など監督としてのキャリアも申し分ない。
 ちなみに、駒大苫小牧と雌雄を決する戦いを演じた相手投手は、あの
   マー君
こと、田中将大である。

 早稲田実業は今年も夏の大会に出場して、ベスト8をかけた試合では、島根県代表の
   大社高校
という名前の学校と対戦することとなった。
 大社?
 出雲大社があるところだから、宗教系の私立学校かなあ・・・
 最初はそう思った。 
 ところが、聞けば県立高校で、選手も全員地元島根だとか。
    だとすれば・・・ 
    大社高校には悪いが
 おそらく大差で早稲田実業が勝つだろう。
 大方の予想はそうだったと思う。
 私もそう予想したひとりだった。 

 ところが野球というものはやってみないと分からない。
(勝負事は全部そうかもしれないが・・・)
 この大社高校、なかなかどうして早実にとって手ごわい相手だった。

 実はこの大社高校は、学校創立は明治31年(1898年)で、島根県立簸川(ひかわ)尋常中学校として開校し、その後校名変更や統廃合を経て、現在の校名になったのは
   昭和24年(1949年)
である。
 昭和24年と言えば、先の大戦後まもなくであり、今の校名だけでも十分歴史のある学校である。
 早稲田実業が1901年の創立であることを思う時、むしろ歴史的には大社高校のほうが古いことになる。
 
 その大社高校、野球部としては32年ぶりの甲子園出場、しかも選手の全員が地元出身の公立高校とあって、地元の盛り上がりと応援は半端なかった。
 その攻撃時の応援のパワーの凄いこと。
 広い甲子園に地響きのようにどよめく声援は圧巻だった。
 その大声援を受けて、チームは快進撃を続けた。
 1回戦では開催地兵庫県の「報徳学園」に3対1で勝利した。
 報徳学園と言えば、昨春と今春の選抜大会準優勝チームである。
 大金星である。
 次の2回戦は、九州では強豪校として名前が知れ、部員100名を有に超す長崎県代表「創成館」との戦いだったが、ここにも延長タイブレークの末5対4で競り勝っている。
 まさに飛ぶ鳥も落とす勢いだった。
 島根県と言えば出雲の國、年に一度出雲大社に神々が集うところだ。
 神がかった力も感じずにはいられなかった。
 毎年10月の神有月に集まる全国の神々が、今年は前倒しして8月に集まり大社高校の後ろ盾となっているのではないかと思ってしまうほどの快進撃だった。
 このうえ早実に勝つともなれば、90数年ぶりのベスト8進出という快挙になるらしい。
 いやがおうでも地元の期待は高まり、応援団もさらにヒートアップした。

 早実の和泉監督も、試合が始まって闘志むき出しの大社高校の生徒を見るに及び
   これは一筋縄ではいかない相手だ
と胸中決するところがあったのではないだろうか。

 試合は後半まで双方ゆずらず一進一退の攻防が続き、手に汗を握る展開となった。
 大社の選手はピンチを脱するとグラウンド上で雄たけびをあげたり、攻撃時にチャンスとなると、大応援団の声援をバックに必死に早実ピッチャーに食い下がりしぶといヒットを打つなど、高校野球らしい球児の真剣さがテレビの画面からもひしひしと伝わってきた。
 自然と早実のナインも必死になる。
   いい試合だ
   これは歴史に残る名勝負になるのでは
と感じた。

 試合は9回裏に大社高校が同点に追いついて2対2となり、大社にとって2試合連続の延長戦となった。
 しかし大社の投手である馬庭選手は、1回戦からひとりで投げてきているエースピッチャーだ。
 疲労も極限に達していると思われ、次第にアウトを取るごとに、またピンチを脱するたびに、マウンド上で両手を高く突き上げ、雄たけびを上げるなど、もう見ていて涙ぐましくなるほど必死に投げているのが分かり、吸い込まれるように試合の成り行きを見守った。

まさに神がかり!


 そして最後に勝利の女神(いやこの場合、2月前倒しで出雲に集まった八百万の神々か?)は、大社高校に微笑んだ。
 延長11回裏、先頭バッターが送りバントで出塁し、大社はノーアウト満塁となった。
 延長の場合、ノーアウト1,2塁の状態で始まるため、先頭バッターはどうしても送りバントの可能性が高いが、この時の送りバントは一塁もセーフになってしまったからだ。
 大社にとっては願ってもないサヨナラのチャンス、早実にとっては絶体絶命のピンチとなった。
 そしてここでバッターボックスに立ったのは、ここまでその力投でチームを引っ張ってきたピッチャーの馬庭選手だった。
 何かドラマにでもなるような展開だった。
 結果、彼はセンター前にヒットを放ち、熱戦の幕は閉じられてしまった。
 マウンドで崩れ落ちる早実のピッチャー、ヒットを打ってファーストベースを駆け抜けて、両手を高々と突き上げる馬庭選手・・・
 勝負あった時によく見られる光景と言ってしまえばそれまでだが、素晴らしいドラマの終わり方だった。

大社がサヨナラ勝ち



 後刻、勝利監督インタビューで分かったことだが、大社高校の石飛監督は11回裏の攻撃に先立ち
   この状況で確実にバントができる者は
   手を挙げろ
と言ったらしい。
 この時真っ先に手を挙げたのが安松という選手だったので、監督は彼の積極性を買って迷わず代打として送り出した。
 この作戦が的中した。
 彼のバントは3塁前に切れることなくゆっくりと転がり、自らもセーフとなる絶妙のバントとなったのだ。
 試合後監督をして「ホームラン以上の価値あるバントだった」と言わしめたそのバントが功を奏して、馬庭選手のサヨナラヒットにつながった。

 勝利の瞬間、大社高校の大応援団は紫色のチームカラーが揺らぎ、大歓声となった。

 でも、感動はそこで終わらなかった。
 大社高校の校歌斉唱と校旗の掲揚が終わって、それぞれのチームが応援団の前に行き深々とお辞儀をする。
 
 そして各チームともそれぞれ帰り支度を済ませ、負けた早実は甲子園の土を持ち帰る。
 そして、まず勝ったチームが球場をあとにする。
 勝者は笑顔を、そして敗者は涙を浮かべて・・・
 中継のカメラは、そのままその出口を捉えて、球場をあとにする監督や選手の表情を撮る。

 この時大社高校の生徒が監督を先頭に出口から出ていく時、早実の和泉監督は、大社高校の石飛監督に帽子をとって頭を下げて祝意を表した。
 敗軍の将が勝者の将に首を垂れその勝利を祝福する。
 ここまでは、これまでの甲子園でもよく見る光景だった。

 ただここからがいつもと違った。
 和泉監督は、監督に続いて出ていく大社高校の選手ひとりひとりに
   よくやった
   ナイスファイト
   次も頑張れ
   応援しているぞ
など、それぞれ異なる一言を温かくかけているのだった。

 それがカメラを通して本人の肉声として聞こえたから、テレビを見ている人にも伝わったと思う。
 そしてその顔にはいっぺんの悔しさらしきものもなく、真に勝者を讃える明るい表情でもあった。
 逆に大社の生徒が敵軍の将からエールを贈られてとまどっている感が見受けられた。

大社高校選手に声をかける和泉監督


    初めて見る光景だった。 
 普通はないことだ。
   なんと人間のできた指導者だろう
   早実の生徒はよい指導者に恵まれて
   幸せだなあ
   早実、来年は頑張れ
と、自然と負けた早実にもエールを送りたい気分になった。

 また試合後の監督インタビューで敗軍の将である和泉監督は、こうも言った。
   今日の試合は、これまでの私の監督
            人生で最も記憶に残る試合となりま
            した。
   負けたとはいえ、ここまで感動を味
            わせてくれた私の生徒たち、それに
            大社高校の生徒たちひとりひとりに
            感謝したい
   皆、実によく戦った
    このコメントで、監督の感動が視聴者の感動にまで広がったであろうことは想像に難くない。
 勝負ごとなので、最後は勝ち負けで決着がついてしまうが、この言葉にこの試合の素晴らしさが凝縮されていると言ってもいいだろう。
 どちらの応援をしていたという訳でもないが、見終わって実に爽やかな感動に包まれた素晴らしい試合だった。
 多くの視聴者がそう感じたのではないだろうか。

    そうなのだ。
    いつの時代も、正々堂々と必死になって戦った相手であれば、その後お互いをレスペクト(尊敬)する。

    先の大戦末期においても、硫黄島を巡る熾烈な戦場でさえそれが見られた。
    もはや1ヶ月近く続いた激戦により双方多大な犠牲者を出した後のこと。
    既に戦いの雌雄はほぼ決してアメリカ軍も全て硫黄島に上陸し、 残敵掃討、つまり残存する日本軍兵士に降伏を促したり、それに従わない者は攻撃するなど戦いの最終局面に入っていた頃のことである。

 ある岩山の中から負傷した日本陸軍の少佐が降伏の印の白いハンカチを掲げてアメリカ軍の前に出てきた。
 彼は
「司令官はいないか
 この穴の中には有能な30名の青年たちが残っている
 彼らを日本のため、世界のために生かしてやりたい
 私はどうなってもいいから、彼らを助けてくれ」
そう息も絶え絶えに言った。
 その少佐はアメリカ軍上陸部隊司令官スプールアンス大将の前に連れて行かれた。
 スプールアンス大将は少佐に
「お前も部下たちも助けてやろう」
と言った。
 しかし少佐は瀕死の重傷であった。
 最後に
「サンキュー」
と言って息絶えた。
 その後アメリカ軍は、青年兵士たちが立てこもっている穴の中に、タバコや缶詰を投げ入れたりして、穴から出て来るように勧告するが、それに応じず頑強に抵抗を続けた。
 数か月間の抵抗の後、何名かは餓死し、最後に残された者は手榴弾で自決して果てた。
 爆発音を聞いて司令官は部下とともに穴のところに飛んで行くと、穴の入り口に英語と日本語で書かれた手紙が置かれてあった。
 それは次のような内容であった。
「閣下の私たちに対するご親切なご厚意、誠に感謝、感激に堪えません
 閣下よりいただきましたタバコも缶詰も皆で有難く頂戴いたしました
 しかし、お勧めによる降伏の儀は、日本武士道の習いとして応ずることはできません
 もはや、水もなく食料も尽きたので13日午前4時をもって、全員自決して天国へ参ります
 終わりに、貴軍の武運長久を祈って筆を止めます

 昭和20年5月13日
 日本陸軍中尉 浅田真二
 米軍司令官 スプールアンス大将 殿」

 スプールアンス司令官は、深い感激を持ってこの手紙を読み終えた。
 ほぼ勝敗の決まった戦いのなかでも、敵軍の施しには謝意を述べつつ、なお軍人として降伏を拒み、最後まで戦い抜いた彼らに感銘を受けた。
 日本人とはなんと崇高な民族なのだろうと・・・ 

スプールアンス司令官

 戦後彼は、本国に帰り除隊となってから、全米各地を講演して回り
「アメリカの青年たちよ、東洋には素晴らしい国がある
 それは日本だ
 かって日本には君たちが想像もつかない立派な青年がいた
 ああいう青年がいた国なら、やがて日本は世界の盟主になるに違いない
 奮起しろ!」
と言って、この手紙を紹介したらしい。

 硫黄島を巡る戦いは、大東亜戦争期間中を通じて唯一米軍のほうが犠牲者が多かった戦いだった。 
 このため当時米国内では、戦争の継続を危ぶむ声や司令官の資質を問題視する声が上がったほどだった。
 米軍もこの島を占領するのに必死だったのだ。
 一方日本軍も、少しでも日本を守ろうとして必死だった。
 その島が敵にわたり飛行場が奪われれば日本全土が猛爆撃にさらされることが明白だったからだ。
 日米双方にとってその最後の雌雄を決するとも言える戦いであった。
 だから皆、正々堂々と必死になって戦った。

 しかしスプールアンスは真の軍人だった。
 どれだけ自らの責任を問われるような母国の世論に晒されようとも、最後まで正々堂々と戦った敵に対して敬意を払うことは忘れなかった。
 死に際してもなお敵兵から
   武運長久
を祈願されたことを忘れず、その態度には礼節をもって、戦後そのような行動に出ている。
 真に戦った者同士は敵を敬うのである。

 その後スプールアンスの予言通り、日本は奇跡的かつ驚異的な復興を見せて世界を驚愕させ、戦後は経済大国として世界に君臨することとなった。
 しかしその陰には、浅田中尉のように、自らの命と引き換えに正々堂々と戦ったあまたの英霊が礎となっていることを決して忘れてならない。
 また硫黄島には、今なおそのような多くの英霊が人知れず眠っていることも。

 ちなみに、早稲田実業に勝った大社高校ではあったが、次のベスト4をかけた戦いでは鹿児島の上村学園に負けて、彼らの夏は終わった。
 しかしここでも大社高校は、敗者としても相手に敬意を払うことは忘れなかった。
 そのゆうに3000名は越すであろう大応援団は、試合が終わり上村学園の校歌斉唱と校旗掲揚になると、なんとその勝利を祝して、上村学園の校歌に合わせて盛大な手拍子をしてくれたのである。
 選手も素晴らしかったが、応援団も素晴らしかった。
 本当にいいものを見せてもらった。

 君たちは実によく戦った。
 90数年ぶりのベスト8進出という素晴らしい結果を胸に堂々と地元島根県に凱旋すればいい。
 そしてその大社の前に屈した早稲田実業も、大社高校同様に胸を張って凱旋すればいい。
 君たちは正々堂々と最後まで戦かったのだから。 
 それは全国の高校野球ファンや日本人に長く記憶に留まることだろう。

 願わくばこの高校球児たちのように、日本も国を守るために正々堂々と戦った英霊には、感謝の念を持って手を合わせることが特別なことではない普通の国になって欲しい。

硫黄島司令官栗林中将




    


 



 
 
    





 

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