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つまらないものですが・・・

ほんとにつまらないものなの?


  最近、我が家の前に、新築の家が建ち、そこに30台半ばと思われる若い夫婦とその子供2人が引っ越してきて、先日家族で手土産を持って挨拶に来られた。
    若いのに一軒家を建てた経済力に感心するとともに、訪れた時の主(あるじ)の発した
           つまらないものですが
   お近づきの印です
という挨拶に感心し
   若いのにしっかりしているな
と思った。
 と言うのも、「つまらないものですが」という表現は、最近はあまり使わなくなり、特に若い人の間ではその意味すらよく知らず、人によっては
   なんでつまらいものを持ってくるんだ
と、本当に欧米的な発想しかできない人もいると聞く。

 この「つまらないものですが」という言葉は、明治時代から大正時代にかけて、農学者、教育者として活躍した新渡戸稲造(にとべいなぞう)という方が書いた「武士道」という本で出てくるらしい。
 この本は、日本人の思想や生き方をあらわした本で、当時アメリカを中心とした欧米各国で高い評価を得たが、そのなかで「つまらいものですが」の意味を
    私なりに最大限に誠意をこめて品物を
            選びましたが、立派なあなたの前では
            つまらないものに見えてしまうかもし
            れません
という、相手を立てる謙遜の気持ちが込められている言葉であると紹介している。
 つまり、自分の行動を「つまらないものしか選べなかった」という謙遜した言葉で低く表現することにより、相手の立場を高めるという、日本人ならではの相手に対する敬意を表す言葉なのである。

 しかし、グローバル化した社会では、少々回りくどい表現であり、相手、特に外国人等日本の文化を十分理解していない人に対しては、誤解を生む可能性もあるのも事実だ。
 このため、最近では「つまらない・・・」に変わる言葉として
    お気に召すと嬉しいのですが
    お口にあうかどうかわかりませんが
などと言った言葉が主流になってきつつあると聞く。
    但し、そのような表現には、「つまらないものですが」という言葉に込められた相手に対する謙遜の気持ちは入っておらず、単に相手が、渡した品物を気に入ってくれるかという点だけを危惧しているようなニュアンスを感じてしまう。

 昭和生まれの者にとっては、「つまらない・・・」という表現は、親族間や友人、職場などの付き合いで、ごく自然に口から出る言葉であり、人間関係上必須ともいえる表現のひとつであった。
 確かに、言葉は生き物であり、時代とともに流行り廃りがあり、普遍的なものはないという一面もあるが、私は
    日本人特有の奥ゆかしさや相手を
                 たてる謙遜の気持ち  
が込められた「つまらない・・・」という日本古来の格式ある言い回しのほうが好きである。
 いずれにせよ、「つまらない・・・」の言葉に変わるものがあり、それで社会が機能するのであれば、それはそれで時代の流れとして受け入れるしかないと思うが、日本そのものが少しずつ伝統的な文化を失っていき、それこそ本当に
    つまらない世の中
にならないことを願うばかりだ。
 


    
                    

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