異国で移民となり、母国の移民のことを考えた

昨夏、家族で日本からオランダに引っ越してきて暮らし始めた。あたり前だが、仕事の仕方も、食べるものも変わった。朝の生活パターンも変わった。毎朝、7歳の長女を学校に送るのは僕の役割だ。7歳ということもあるが、学校までの距離もそれなりにあるので、毎日のように自転車で送り迎えをしている。

その学校は人口30万人ほどの中堅都市圏の郊外、5階くらいの団地が並ぶエリアの中にある。近くには、小さなショッピングモールや緑地もあり、雰囲気も良いのだが、一戸建て住宅と並ぶエリアと異なるのは移民の比率が多いところだろう。オランダは約1700万人の人口のうち、オランダ出身ではない国民の数が400万人(2019年現在の移民1世と2世を含めた数)ほどいる。このエリアで毎週金曜日に立つマーケット(テントが並び、野菜やチーズ、魚屋ナッツが売られている)も外国の出自を持つ顔立ちや身なりをした人たちで賑わう。

実は、我が家がある地域とは少し離れている。近くにも小学校はあるのにだ。毎日少し離れたこの学校に通っているのは一部の学校にしかない「国際クラス」の存在がある。僕が引越し前に調べた限りだと、この都市圏には4校ほどの小学校に「国際クラス」がある。国際クラスは、オランダ語を母語としない6歳から12歳の子どもたちが通いオランダ語を中心に学ぶ場所だ。移民の子供たちは。ここで1年間学ぶことが義務づけられている(ちなみに4歳で移民の子となった下の娘はそのまま現地校に通い始めている)。クラスには、海外から移り住んできた人たちの子どもたちがやってくる。娘のクラスの場合だと、エリトリア、スペイン、ロシア、ケニア、マレーシア、日本など、出身国はさまざまだ。片親がオランダ人のハーフ(ダブル)の子もいる。

朝、学校に着くと、国際クラスの子どもたちは学校の建物の裏玄関の前に集まる(新型コロナの影響で始まった慣習のようだ)。朝もだいぶ明るくなり、子どもたちの様子も数ヶ月前に比べるとだいぶこなれてきた感じがする。通常クラスの子どもたちもまとまりなく集まっている。彼ら、彼女らの顔ぶれもアフリカ系、アラブ系、東欧系など色々だ。

国際クラスの先生は専任の先生が1人、アシスタント的な先生が1人。生徒の数はこの半年でも出入りがあったが、だいたい5名から10名の間で増減している。多い時は15名ぐらいになるそうだ。国際クラス専用の部屋が2部屋あり、そこで学ぶ。授業の様子は娘から聞くだけだが、ワークブックを進めたり、パソコンを使ったり、動画のアニメをみたりしているようだ。週に2回、体育の時間もある。

半年経ってみて感じるのは、その教育の手厚さだ。それは、クラスが始まる前の先生との面談の時から感じ始めていた。子どもの様子や家族の様子などをしっかりヒアリングして、こちらの話も聴いてくれる。情報を書き込んでいくカルテのようなものには、言葉が通じにくい親とのコミュニケーションを助けるためなのか、ところどこにイラストも差し込まれている。2−3ヶ月ごとの面談でも、子どもの成長や学校での様子だけでなく、学力がどのレベルにあるのかを到達指標が書き込まれた表を見ながら説明してくれた。学力を把握するための意識も仕組みもあるように感じた。

しっかりとした仕組みがある中でも、子どもの目線も忘れていない。面談の会話の中で「システムに子どもを合わせるのじゃなくて、それぞれの子どもに合わせて考えるべきよね」という先生の発言には、「ああいう発言が自然と出てくるのはさすがだよね」と夫婦でふりかえったものだ。

送迎時のちょっとした会話の端々からも、子どもをよく見てくれていることが伝わってくるし、先生の教育者としてのプロフェッショナリズムを感じる。今や、私たち家族は専任のベテラン先生に完全な信頼を寄せている。

しかし、この手厚いオランダ語教育も紆余曲折があって今があるようだ。この分野に詳しい社会学者の宮島喬氏の論考によると、1980年代、90年代の欧米諸国の移民政策では、今よりももっと「移民マイノリティの言語、文化、生活様式の独自性を尊重する多文化(主義)アプローチ」がとられていたという。つまり、我が家のケースに当てはめるならば、例えば、学校で週に何時間かを日本語の教育や文化を学ぶ時間に当ててくれていたかもしれないということだ。しかし、オランダは移民とその子どもたちの失業率、学校ドロップアウト率の高さが現地の言葉であるオランダ語が十分でないことに原因であるとして、1990年代にはオランダ語の習得を重視(義務化)する傾向を強めたという。(同じ論考の中で、宮島氏は、週に数時間だけ母国語や母国の文化を学ぶ時間を取ることが、学校生活の中で多くのオランダ語に触れている子どもたちのオランダ語習得に大きく影響するとは思えないと指摘している)

実際、親としての娘の教育の悩みポイントはオランダ語よりも日本語に移ってきている。すでにそれなりに伸びてきている娘の日本語能力を、どこまで親として伸ばしてあげられるのか。漢字ドリルを与え、本を読むように促すだけで良いのか。あげようと思えばいくつでも不安が出てくる。

しかし、同じような悩みを持つ家族は私たちだけではない。今やヨーロッパでは、外国生まれの人口(foreign-born population)の総人口比が、ドイツ(13.2%)、イギリス(13.3%)、イタリア(9.6%)、フランス(12.4%)、スペイン(13.2%)と高い率に達している。そして、その人口の中には、複数言語環境の中で育つ多くの子どもたちが含まれる。現地の言葉も母国語もどちらもおろそかになってしまう「ダブルリミテッド(二重の制限)」という現象も報告されている。

そして、我が母国の日本も例外ではない。コンビニの店員さんの存在から肌で感じている方も多いと思うが、実際はどうなのだろうか。気になって昨年出版された「移民が導く日本の未来:ポストコロナと人口激減時代の処方箋」を手に取った。肌感覚に間違いはなく、1998年には98万人に過ぎなかった在留外国人の数は2018年には273万人へと増加している。日本の人口の約2%が外国籍という計算になる。日本が「隠れ移民大国」と言われる所以だ。(不思議なことに、日本では「移民政策」は表向きにないことになっているから、働くためにやってくる外国人を移民とは呼ばず外国人労働者とか在留外国人という呼び方をする)

実際、多くの分野で外国人労働者が活躍している。例えば、建設業で就業する外国人労働者数は「2008年の8355人から、2018年には6万8604人にまで増加し、就業者に占める外国人労働者の比率も同じく、0.2%から1.4%」に増えている。また、地方においても主に技能実習生の増加により、在留外国人が増加している。食品製造や繊維・衣服、農業、漁業などの分野で欠かせない存在となっている。新型コロナの影響で、一時的に減速しているだろうけれど、状況が落ち着けばまた増加していくだろう。急激な人口減少真っ只中の日本では、外国人が救世主となっている現場も多いはずだ。

「移民が導く日本の未来」の中で著者である毛受氏は、日本政府が本格的な外国人受け入れ政策を充実させ、外国人が「定住」していくことを前提とした制度設計に取り組んでいくことを提言している。人手不足にかこつけて、「一時滞在者」として限定的に外国人を受け入れる状態が続けば、当の外国人にとっても、彼ら・彼女らを受け入れる企業や地域にとっても中途半端な状態となり、ビジョンが描けない。すでにメディアでも報道されているように、違法もしくは違法に近いブラックな状況に追い込まれる外国人労働者を黙って見過ごすことになってもいけない。

僕は、自分が移民の立場になってみて初めて、日本の移民問題に関心が向き、問題を問題だと感じるようになった。結局、自分の身に降りかからないと真剣に考えるようにならないという見本のようなものだ。それでも、不安な気持ちを抱える外国籍の子どもたちを迎えてくれる長女の「国際クラス」の先生のような人が、日本にどれだけいるのだろうか、ということを思わざるをえない。思うに、すでに日本各地で懸命に対応している先生やボランティアの方々がいらっしゃるのだと思う。だからこそ一層、ほぼ既定路線と思われる在留外国人の増加を見越して、政策や制度設計、予算だてをしっかり行い、地域で共に暮らす外国人家族が気持ちよく暮らしていける仕組みを整えていくべきだろう。

そして、僕自身は、今後も一移民として、オランダや日本の移民政策や教育政策についてフォローしていきたいと思っている。娘の先生にも、これからも変わらずしっかり挨拶していこうと思う。

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