あがり症に病んだ私の悲哀~モアイの審判
私はこれまで何回か専門家に自分のあがり症のことについて相談しました。
一回目は高校2年生の頃。
秋田の田舎の山里奥深くにあるような精神科。
誇り高かったその頃の私にとって、精神病院と呼ばれる所に行くということは自分のプライドを強烈なまでにズタズタにする出来事でした。
そして、このことは私にとって断じて人には知られてはならないことだったので、人目を忍んでコソコソまるで泥棒のように精神病院のドアをくぐったことを覚えています。
結局この時は、医師にまるで何しに来たと言わんばかりにあしらわれたような感じでした。
まぁ、むべなるかなで、医師の前で優等生のようにハキハキ自分のことを話したので、とてもあがり症には見えなかったのかもしれません。
結局一回行っただけでした。
そして大学2、3年の頃でしょうか、大学があった福島から東京に遊びに行った時に、あがり症克服の専門家みたいな所に行きました。
当時はインターネットなどなかった時代です。
情報を調べることは現在のそれと比べて比較にならないぐらい大変なことでした。
私は新聞か雑誌か何かで調べたのでしょうか、精神科医でもなんでもない何やら怪しげな「これであなたも克服できる!」みたいに書かれていた記事を頼りに東京のとあるビルに入りました。
まるでイースター島のモアイみたいな顔付きで、エジプトのピラミッドに眠るツタンカーメンのような髪形をした中年の男性が現れました。
脂ぎった肌とギラギラした目をした一度見たら忘れないような印象的な顔立ちでした。
モアイが私に何やら怪しげな療法を私に説明していきます。
こちらは世の中のことなど何も知らず、すがるようにして東北から上京して来た20ぐらいの若者です。
内容は何が何だかさっぱり分かりませんが、ただただ説明を聞きました。
やがて、モアイは料金の説明に入りました。
おもむろに言います。
「50万円です」
「・・・・・」
私は絶句しました。
モアイは無表情です。
こちらをじっと見つめます。
私はこの時パチンコでもうかっていたので15万円程度財布に入っていました。
しかし通帳には数万円しかなく合わせても全然足りません。
東京には数日しかいないので、今この時を逃せば目指す宛のなくなった流浪の民に再び戻ります。
私はもしこの時50万円持っていたら間違いなく払っていたでしょう。
例えそれが全財産だったとしても。
それだけあがり症による苦しみは切実だったのです。
私は無言の交渉に出ました。
値段が何とかならないかと沈黙で訴えたのです。
モアイはまるで見据えるようにして私をじっと見つめます。
無表情かつ無言でした。
沈黙が流れました。
私は交渉に失敗しました。
そしてその場を後にしました。
再び流浪の民に戻りました。
行くべきところを見失ったのです。
私はモアイを非難するつもりはありません。
ただ、この出来事が私に与えたことは大きかったです。
人生においては人との関わりで、立場が上になったり下になったりすることはあるでしょう。
しかし、仮に自分が立場が上になった時でも、それを傘にきて人とは接すまいということ。
そして、誰かが自分の元に助けを求めたり相談しに来た時に、断じて高い位置から接すまいということ。
そして、困っている人からの相談は柔軟に対応すること。
私は、モアイの顔立ちでツタンカ―メンの髪形の凍てつくような眼をしたあの男性のおかげで、これらのことを学び、実践しています。
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