見出し画像

飛騨の匠に学んだ一日

今日は朝から雨だった。眼科に行きたかったのだけれど、この場所から高山市へは、バスで1時間半ほどかかる。運行時間も考慮した場合、午前の診療に間に合いたければ9時には家を出ないといけない。ベッドのマットレスを受け取るために、午前中は自宅に待機していたかったので、午後の診療を電話で予約した。特別、目に何かあったというわけではなく、コンタクトレンズを処方してもらうためだった。

画像2

眼科の午後の予約は17時15分か、30分とのことだったので、早めの17時15分の予約をとった。随分と混み合っているのだなと思った。岐阜県北部にはいい病院が少ないのかもしれない。先日、診察を受けた皮膚科の病院も、人でごった返して外まで患者と思われる人がいて、まるで人気ラーメン店のようだった。

マットレスを受け取った私は、圧縮されたセミダブルのそれを広げて、試しにゴロゴロしてみてから、出かけることにした。午前11時。出発前に思い立って、飛騨市の古川町に住んでいる友人に、ハチミツをお裾分けすることにした。近所の釣り名人からいただいた、天然のハチミツだ。その友人が昨日LINEで、のどがいがいがして、例のウイルスに感染してないか不安になってきた、というので喉に良い蜂蜜をと思ったのだ。人から受けた親切だから、誰かにわたしたくなったというのもある。田舎は分かりやすい恵の循環型社会が形成されているのだ。

画像1

古川に立ち寄ったのには、もう一つ理由があった。それは「飛騨の匠文化館」を覗いてみることだった。1時間に一本あるかないかのバスから降りた私は、中華屋でラーメンチャーハンセット(800円)を平らげ、友人の家に向かう前に、文化館を目指して雨の道を歩いた。

全体的にモノクロな古川の町を数百メートル歩くと、文化館が見えてきた。靴を脱いで、中に入る。観覧料は300円。ここでは、飛騨の大工や木工職人の高い技術や、その文化や歴史について学ぶことができる。飛騨の中の展示は、一階と二階に分かれていた。一階では、受付をしてくれた女性が展示物について、丁寧に解説してくれた。触っただけでは構造が理解できない、千鳥格子や四方鎌継といった組み木の手法は、当時の匠が編み出したもので、発見されたのは400年前だという。女性は、400年前というのは、あくまで発見された年で、おそらく奈良時代からこうした技術は存在したとされていると話した。

画像3

これだけ木が展示スペースを占領していると、飛騨の立地あるい暮らしは、本当に森と近いのだなを改めて思わされる。改めて、というあえていうのは、ショッピングモールや、駅、なんなら私が借りている空き家にまで、立派な家具や木を使った内装が施されているからである。それも、さまざまな木材が利用されているようだ。文化会館にも、15種類ほどの樹木が、その用途とともに、解説されていた。

画像4

座標という意味だけでなく、文化的にも森との距離が近い飛騨という土地で、大工の技が磨かれてきたことには、説得力があった。おそらく、もっと自然が身近な存在だった匠の時代、職人が技を磨くという行為は、生きるためという意味の他に、自然を理解するためのプロセスだったのではないかと思う。何年もかけて、触って、実験をして、性質を知る。その末に、技の高さが証明されたなら、それはイコール自然に対する理解レベルだ。この地で生きるには、自然を理解し、自己研鑽する必要があったのだ。

画像5

前回のnoteで、「里山の荒廃」というワードを使った。この現象を、新たな野生の誕生、ニュー・ワイルドとして良しとする人もいるだろう。こういう話は、イデオロギーが絡むからやっかいだ。ただ、そうしてワイルドと人間の世界が分離していく先は、明るいだろうか。文化館を訪れ、たくさんの気に触れて、私はこの土地で、自然と積極的に関わりながら生きていきたいと思った。


もしよかったら、シェアもお願いします!