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飲水思源の父っつぁん

3日ほど前、引越し先の近所で和菓子屋を営んでいる父っつぁんが、周辺を案内してくれた。60代、無類の釣り好きである。ぼくもそこそこ釣りが好きで、引っ越してきた飛騨でも何度も釣りをした。そういう経緯でここが気に入っていたこともあり、父っつぁんが漁協や、地元の釣り好きによる同好会で建てたという小屋、土木工事によりでかいドブみたいにされてしまった支流などに連れて行ってくれた。

サワラで作られた立派な小屋の中は、「清渓」の文字が彫られた巨大な飾り板や、炉端が渋い雰囲気を醸し出していた。広さは十数畳といったところだ。壁には、笹魚と呼ばれる、寄生バエが笹に作る虫コブも飾られていた。言い伝えでは、これが川に落ちてイワナになったのだと、父っつぁんは説明してくれた。小屋の目の前には、生簀があり、そこで生まれたというニジマスが生簀の脇の水槽の中で泳いでいた。

「ほな、たけちゃんやな」

前に挨拶した時には苗字しか名乗らなかったので、ぼくの名前を知った釣り名人はそういった。ドライブをしながらぼくらは隣町の漁協にまで顔を出し、最後は富山まで走って回転寿司を食べて帰ってきた。翌日も父っつぁんは「たけちゃん、いま家おるか?」と電話してきて、茹でたホタルイカをお裾分けしてくれた。友人が富山で採ってきたのだという。もらってばかりで、どうお返ししようか頭を悩ませてしまうくらい、親切な人だ。

ドライブの途中、ぼくは気になって父っつぁんについてもあれこれ尋ねた。東京の大学を卒業して、下宿をしながら都内の和菓子屋で働いた。東京では7年ほど暮らしたが、故郷に戻り実家の和菓子屋を継ぐことにした。本人は、釣りをするために帰ってきたといっていたが、あながち嘘ではないかもしれない。それくらい釣り好きだ。バブルのころには、釣った鮎を1尾1500円で、東京の料理屋に卸していたという。そういう人だから、自然をこよなく愛しているし、とかく水のことにはいつも気を配っている。

飲水思源という言葉を教えてもらった。シンプルに、漢字そのままの意味を持つこの四字熟語だ。ぼくはこの間まで南米チリに滞在し、サーモン養殖を取材していたけれど、この四字熟語は取材の動機やその後まとめた作品のメッセージに非常に近いと思った。この四字熟語をすぐに気に入った。

家の周りは、自然であふれている。目の前には山と川。少し車を走らせれば、沖縄の海みたいな色をした清流がある。昨日はその川に友人と釣りに出かけた。残念ながら釣果はなかったが、あまりに野性味溢れるいいスポットだったので、今度その川を2泊3日ほど釣りながら遡上してみることにした。

帰宅後、川辺で見つけたワサビを、台所に引いてきている山水のおけに浸けた。お蕎麦用に摺り下ろし、葉と茎はおひたしにしようと思っている。フキノトウは天ぷらとふきみそにしよう。

日頃は山水のおけから水をすくって飲んでいるが、今朝はワサビが占領していた。仕方ないので、ワサビを避けつつ、蛇口から出る山水をコップにためて飲んだ。目の前にあるワサビと、喉を通る山水を感じながら、野生の清流を思い浮かべた。

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