イートベル(ショートショート)
リンリンと遠くから音が聞こえてくる。
冷えた空気の中で聞こえてくるその音は、どこか氷のような冴えた冷たさを持っている。
年末の飲み会帰りの道。僕らは、帰り道が同じであるという理由一つで、一緒に帰っている。白い息を吐きながら、体から少しずつアルコールを飛ばしている気持ちになる。
「なんかどこかから変な音聞こえてきません?」
隣から声が聞こえてくる。僕は彼女の声に答える。
「本当ですね。なんだろう」
飲み屋のある街から少し離れて、今歩いているあたりは畑や果樹園が並んでいる。その合間を縫うように民家やホームセンターが並んでいる。
ほんの数分歩くだけで一面の畑になるあたり、この辺もまだ田舎なんだな、と思う。田舎は星が綺麗に見える。夜空を見上げる。
「○○さんってあんまり喋らないですよね。どうしてですか?」突然の質問。
こうして、普段はしないような話が始まるのは、アルコールの力によるものなのかもしれない。
「そりゃあ、僕、人と話すの苦手なので」こういう時だけすらすらと言葉が出てくるのも、きっとアルコールの力だ。
けひけひと、掠れた笑い声が聞こえる。彼女が発しているものだ。
「あー」笑い声に続けて、そんなふうに彼女は声を発した。
「あーってなんですか」僕は聞く。
「いや、なんでもないです」
ものすごくバカにされている気がする。そう思ったけれど、何も言えずに口をつぐむ。こういう時、きっとモテる人は、おどけて何か言ったりするのだろう。僕は全く思いつかないし、それを口に出す勇気もない。
「モテないんだろうなあって」
僕が頭の中で色々と考えていると、いやあ、という前置きをして、彼女はそう言った。
「失礼ですね」
僕の一言に、彼女はまた笑いだす。笑い上戸なのだろう。
そんなくだらないやり取りをしながら歩いていくうちに、リンリンという音は大きくなっていく。
いよいよすぐ隣から聞こえるぐらいに大きくなった時、その音の出所がどこなのか、周囲を見回してみた。それは、すぐ横の果樹園の樹に“実って″いた。
梨だった。洋梨。それが風で揺れるたびに、鈴のようにリンリンと音を発している。
「さっきから聞こえる音、これだったんですね」
僕は言いながら彼女の方を見る。彼女は僕が指差す方を見ながら答えた。
「ああ、何かと思ったらイートベルじゃないですか」
イートベル? 一体どんなものなんだろう。
「この梨、食べられるベルという呼び方で有名なんですけど知りません?」
知らない。今まで聞いたこともなかった。僕は首を横に振る。
「割と気づかないうちに、街の飾りに使われたりしてますからね。言われるまで知らないなんてこともあるかもしれませんね」
「そうなんだ……」
僕は、果樹園の中のそれを見る。見た目はどう見ても梨。けれど、リンリンと鳴るその音はどう聞いてもベルのそれだ。
「どんな味がするんですか?」
「梨ですね」
「梨なんですね」
「ちなみに、期間限定で飾られるオーナメントなんかに使われることが多いみたいですね。片付けが食べるだけで済むから楽だとか」
見た目はじっくり見ると、ベルに見えなくない気はするけれど。
「探してみると面白いかもしれませんよ」
「へえ、そうですね」僕は答える。ちょっと気になっている。
「案外ハマりますよ」
それ以降、僕は意識して日々の暮らしを観察するようになった。
よく見てみると、確かにベルの代わりにイートベルを使っているところを街中で見かける。
何度もその姿を見つけるうちに、今度はイートベルがどんな味なのかも気になり始めた。
何度か食べてみたいと思ったけれど、結局、街を飾っているイートベルを譲ってもらう勇気は出ず、一度も食べることができなかった。
それからしばらくして、一週間分の食材をスーパーへ買いに行った時のこと。
その出会いは突然のことだった。
「あ……、るじゃん」
思わずそんなふうに声が出ていた。イートベルだった。野菜や果物が並ぶ棚の中にそれはあった。
今まで見てきたイートベルは、もっと装飾品じみた、食べ物とは異なる存在感を放っていたけれど、今目の前にあるそれは、もっと食べ物に近い姿をしていた。
手に取ってみる。りんごみたいな硬さ。
それにしても、今まで見てきたものとかなりかけ離れている気がする。品種とかが違うのだろうか。そんなことを考えながら、手のひらの上でコロコロと転がす。微かにその実の内側で、チロチロと音が鳴っているような気がする。小さな鈴が鳴っているくらいの大きさの音。
買い物かごに入れる。再びチリリ、と音がなった。
続けて、スマホを操作する。
イートベルを見つけたんですけど、どうやって食べればいいんですかね?
先日僕に「モテなさそう」というレッテルを貼った彼女に向けたメッセージである。イートベルの存在を知っていたのだから、きっとその最善の食べ方も知っているだろう。
しばらく時間を空けて、返信が返ってきた。いくつかのレシピが載っているサイトに飛ぶことのできるURLと、最後に一言。
これぐらいは一人で調べたらどうです
今度自分で調べられることを聞いてきたらぶっ飛ばしますよ
凄まじいメッセージが返ってきたなと思いながら、まじすか、ありがとうございます。と返信した。
返信して気づいたのは、この書き方では何に対しての「ありがとうございます」なのか分からないということだ。
サイトのURLをくれてありがとうございますなのか、ぶっ飛ばす約束をしてくれてありがとうございますなのか。もちろん僕自身は、前者について感謝の言葉を述べたつもりだ。理解してもらえたかは別だけれど。
ピコン、と、再びメッセージを受け取った音がなる。なんとなく、内容を見るのが怖 面倒になったので、スマホをしまった。
とりあえずイートベルは買ったので、今日はとりあえず丸齧りしてみることにする。一体どんな味がするのか、とても楽しみだ。