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ダンベルエクレール

「最近、筋トレしてるんですけどね、全然うまくいかなくて」
 男は喫茶店の店主に愚痴っている。
「この時間まで起きていたら、それは体も休まらないのでは?」
 店主の至極全うな返答に、男は返す。
「そうなんですけどね、筋肉がつかないー、とか考え出すと、余計に眠れなくなってしまって。それで結局、遅い時間に色々食べちゃったりして……」
「あらあら、それはなんとも」店主は、困りましたね、と笑う。
「だから、せめてこの不安感を和らげられないかなと思って、ここに来たわけです」
 店主はなるほど、と頷き、こう提案した。
「リラックスするためのお茶なんかもありますけど、これはどうでしょう?」
「なんですか?」
 店主は、ちょっと待って下さいね。と言い残して、一度カウンターから離れる。
 男はぼんやりとした意識の中で、天井にふわふわと浮かぶ発光体を眺めた。
 照明とは別のものらしいけれど、その説明を聞いても男にはさっぱり分からなかった。一応男の中では、よく分からないけど、ふわふわと浮かんでいる照明、ということになっている。
「お待たせしました」
 店主の声に、男は視線を前に戻した。店主は何やら皿の上に載せて持ってきたらしい。薄暗さのなかで目を凝らすと、それはダンベルだった。
「ダンベル、ですか?」
「そうとも言えますし、違うとも言えます」
「というと?」
「これは、ダンベルエクレールです。筋トレが出来るエクレール、まあ、よく聞く言い方で言うとエクレアですね」
「はあ」
 男は、これまでにないくらい、きょとんとしている。その状態に気づくことなく、店主は続ける。
「さて、まずは何キロのものから始めますか? ちなみにラインナップは五キロ、十キロ、十五キロの三つです」
「……えっと、十キロで」
「十キロですね、分かりました」
 店主が男の前に置いたエクレールは、食べ物とは到底思えない、鉄塊のような音がした。
 男は驚きすぎたがゆえ、何でもないことみたいに、このおかしなエクレールを注文してしまったことに、気づいていない。
「……これ、食べられるんですか?」
「ええ、問題なく。元はキンゾクマメ科、テツマメ属の、テツマメという名前の豆なので。植物性のタンパク質が豊富です。あと、鉄分も補給できます」
「ソイプロテインなんですね」
「このエクレアは、優れものですよ。なんと言っても、筋トレをしながらゼロ秒でタンパク質補給できるんですから」
 男は、十キロの鉄の塊のごときエクレールを数回持ち上げて、いい感じですね、と答える。
「これを使えば、自然に体を鍛えられること間違いなしです」
「最高じゃないですか」
 男はなおも筋トレをしている。持ち上げ、一口食べ、また持ち上げては食べる。
 ゼロ秒補給のタンパク質。男はなんだか、これでようやく落ち着いて睡眠ができる気がしてきた。


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