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街明かり(ショートショート)

 あぜ道を歩きながら、遠くの街明かりを眺める。
 ほんの数キロ先にある明かりが、こんなにも遠くにあるように感じるのはなぜだろう。
 靴底から伝わる砂利の感触と膝下を漂う生ぬるい空気の温度が、少しだけ歩くスピードを鈍らせる。
 まだ大人になれない僕は、何年かのち当たり前みたいに、目の前の景色や、こことは別のどこかへ自由に行き来できるようになる想像をする。
 それはきっと、何ものにも代えがたい幸福で、今のどこにも行けない僕にとってはいつまで経ってもやって来ない遠い未来のことだ。

 大人じゃないということがとても窮屈だ。どこにも行けないし、何もできない。
 それに、僕がなりたいと思う大人は、僕の今の世界にはいなかった。
 僕が今よりもっと小さかったとき、世界は夢とかワクワクで溢れていた。それがいつの間にか、新しいことを知っていくたびに、学べば学ぶほど、窮屈な箱の中に押し込められているような感覚になっていった。
 狭い、苦しい。つらい。
 心の中でこだまする声が、繰り返し脳みそに刷り込まれていく。いつの間にか、頭の中がまるっきり変質してしまったみたいに、あの頃のワクワクを取り戻す方法が分からなくなってしまった。まるで、僕とは違う誰かの人生を経験していたみたいに。

 遠くの街明かりに手を伸ばす。その一部だけでも、この手に掴めないだろうかと思う。掴んだままもぎ取って、昔作った宝物入れにずっと保管して。
 いつか大人になったとき、久しぶりに開けた箱の中の街明かりを眺めて、そういえばこんなものも入れてたっけなあ。とか感慨に耽るんだ。
 ゆっくりと伸ばした手の指先をすぼめる。
 掴めるはずのない光をそっと、優しく包み込む。すっと、こちらに引き寄せる。
「あれ?」
 手の平に温かく発光する何かが触れた。指先を開いてみると、蛍のように静かに明滅を繰り返す明かり。
 それはしばらく手の上で舞った後で、空に向かって飛んで行った。
 その明かりだけが僕の心の中を知っているような気がして、今の息苦しい感情をどこか遠くへ連れ出してくれないだろうかと願った。

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