星屑コーンポタージュ
土砂降りの中、帰宅する。折り畳み傘をさしても意味がないほどの大雨に滅入りながらも、なんとか玄関の扉を閉めてため息をつく。
ぽたぽたと傘の先から落ちる水滴の音を聞きながら、手探りで玄関の照明スイッチを探す。
傘はしばらく乾かしておこう。バンドで束ねず、そのまま傘立てに挿す。
天気予報が外れていきなりの大雨。ツイていない。とりあえずスーツはハンガーにかけて水気とか取っておかないと。夕飯は少し前に作り置きしていおいたあれとあれ。まだ食べれるでしょ、たぶん。うん、いけるいける。
あとは体冷えてるから、湯船にお湯、張ろうかな。いや、いっか。長めにシャワー浴びれば。
早く動かなければ面倒くさくなってしまうから、テキパキとこなさなければ。なんで仕事終わってからの時間もテキパキ動かなきゃいけないんだろう。それは他に家事をやる人が居ないからで、そんなことは充分理解しているんだけれど。
一通り終わって、あとは夕飯か、と思いながら、シャワーを浴びる。ちょっといつもより熱いくらいがちょうどいいかも。首元からじんわりと暖かくなっていくのが分かる。ここまで来てようやく気持ちが少しほぐれる。
「ふうー……」
ここまで張り詰めていたものを一気に緩めるための一呼吸。
そういえば、この前買っておいたアイス残ってたかも。
***
髪をタオルでざかざかと拭きながら、冷凍庫の扉を開ける。
「あれ? ない」
しまった。食べちゃったんだっけ。うーん、ツイてないな、こんな時に限って。ちゃんと残りの本数、見とくんだった。
扉を閉めて、仕方なく水を飲むことにする。コップを取り出して水を汲む。それを一息に飲む。うーん、ぬるい。アイスの冷たさを求めていた口が、心の中で贅沢を言う。
左手に持ったコップをくわえながら、今度は冷蔵庫の中に入れてあった作り置きのおかずを取り出す。タッパーの中の残りは一食分あるかどうかぐらい。これなら今夜の分は大丈夫。電子レンジで温める。
明日の朝と昼のご飯、どうしよう。今日はあまり作る気になれない。明日はいつもより早めに出発して、途中でどこかで買っていこうか。最悪朝は食べなくていいや。昼にまとめて。
電子レンジが鳴る。扉を開いて、タッパーを取り出す。別にこのまま食べればいいや。下手に洗い物増やしたくない。
テーブルのほうに持っていく。熱さを和らげるために、鍋掴みを片手だけつけて運ぶ。スマホ、作り置きのおかず、解凍したご飯とインスタントの味噌汁。いただきます、と手を合わせて、まずは味噌汁から。
スマホの画面を眺めるそのおかずに、ご飯を食べるみたいな感じ。
なんだか急に眠くなってきた。自分でも気づかないうちに、疲れが溜まってたんだろうか。いざ、機能してほしいときにスマホのブルーライトは全然効かない。眠気にすとんとさらわれる。
***
「わぶ!」
変な声を出しながら起きる。やばい、どれくらい寝てしまっていたんだろう。周りを見回す。
「あれ?」
ここどこ? 喫茶店? なんでこんなところに居るの? 私。
「いらっしゃいませ」
私以外の声が聞こえて、さらに驚く。声の主を見ると、静かにその人はお辞儀をした。おそらく、この喫茶店の主人なんだろう。
「あの、変なこと聞いてもいいですか?」
「はい、構いませんよ」
「ここ、どこですか?」
「ここは森の奥にある喫茶店です。名前は来てくださった人それぞれに、自由に付けてもらっています」
分からないことだらけ。「なんで私はここに?」
「どうしてか、確かなことはあまり分かりませんが、ここにいらっしゃった方はみなさん、日々の生活に癒しを求めていることが多いように思いますね」
「日々の生活に癒しを」
「ええ」
なんだか不思議だけれど、腑に落ちた。確かにここにいると、自然と心が癒されていくような感じがある。
ふと、カウンターのメニューが目に入る。
「何か、ご注文されますか?」
「あ、すいません。今、家に夕飯が──」
言いかけて、気付く。あれ、どこにいったんだろう、夕飯。というか、そもそもどうやって家に帰ればいいんだろう。
「とりあえず、しばらくここに居てみてはいかがですか?」
「え」
確かにここで焦ったところで、何かが変わるだけではないし。まあ、少しくらいいいか。
「では、何にいたしましょう?」
「そうですね……」
メニューを眺めていると、素敵な料理名が目に飛び込んでくる。
「星屑コーンポタージュ……」
「星屑コーンポタージュですか。こちらは、新鮮なスイートコーンと、一万度を超える星屑を集めて混ぜ合わせて作ったコーンポタージュです。とても体が温まりますよ」
「一万度以上の……? 大丈夫なんですか? そんな高温」
「はい、ちょうどいい温度に冷ましてあるので」
「へ、へえ、ちょっと気になります」
「では、この星屑コーンポタージュを一つ、ですね」
「あ、でも料金が書かれていないですよね? 一体いくらに」
「大丈夫です。この喫茶店では、お客様の"空想"をお金の代わりに頂いているので」
「空想?」
「ええ、この室内に浮かんでいる光、見えますか?」
周りを見渡すと、確かにそれはあった。様々な色の、蛍みたいに揺れる光。赤にオレンジ。黄色、白。
「これが、お客様から頂いた"空想"です。綺麗でしょう」
「へえ、綺麗ですね」
お店の主人は、話しながら手を動かしている。
「色んな人たちが子供のころに夢見たこと、その時の感情や、想いが見える形になったのがこれです。」
「いいですね……」
しばらくして。
「では、完成しました。星屑コーンポタージュです」
「あ! ありがとうございます」
眩しい薄黄色。その上に一回し、白金色に輝くクリーム。おそらくこれが星屑なんだろう。真ん中には彩りのパセリパウダー。
きらきらしている。スプーンですくって一口。おいしい。じんわりと疲れた心に沁みる。思わず心の中で、あああああ。と唸る。はたから見たら、ただその味を噛みしめているだけに見えるようにした。
ゔまい!! という、低音ボイスを発してしまわないように気を付ける。
「気に入っていただけたようで、よかったです」
「はい、すごくおいしいです」自然に笑みがこぼれてしまう。最高だ。
一通り味わった後で、確認する。
「そういえば私、さっき話してた"空想"、まだお渡ししてないですよね。どうすればいいんですか?」
「ああ、それなら心配いりません。あそこに」
主人が指さす方を見ると、そこにはふわふわと浮かぶ"空想"があった。
「あれ、私の"空想"ですか?」
「はい、そうですよ。素敵な"空想"ですね」
何だか不思議な気分だった。自分の空想が誰かに見える形で存在しているなんて。けれど、悪い気はしない。浮かび方が少し危なっかしい気もするけれど。私の性格みたいだな、と思う。
「また、来てもいいですか? というか、来れますかね」
質問する。こんないい場所に来れたのだ。また来たいと思うのは、自然のことだと思う。
「ええ、いつでも開いておりますので、好きな時にお越しください」
部屋中に浮かぶ"空想"を眺めながら、私は答える。
「はい、ありがとうございます」
どうやって来ればいいかもよく分かっていないにも関わらず、私は答えた。何となくだけれど、また来れるような気がしたのだ。
「お待ちしております」
お店の主人は、にっこりと笑って、そう答えた。