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「大学サッカーの指標」

サッカー部では「激痛インスタグラマー」と称されている、
国士舘大学の関沢 武(せきざわ たける)です。

本当に「激痛」か否かは、各々の価値観があるので、
私がどうこういうことではありません。

ただ、興味を持ってくれることが
私にとって何より嬉しいことです。

前置きはこのくらいにして、本題に移ります。


自分の大学サッカーを振り返ると、、。



2020年のコロナ禍からはじまり
大学サッカー最初の1年を棒に振った。
チームの活動も下のカテゴリーはほとんどなかった。




そして、自分がサッカー部の部員として
認められているのかもわからなかった。
この心情になっているのは自分以外にも沢山いたと思う。





でも、もしかしたらこの中断期間の1年間が
16年間のサッカー人生で
1番サッカーと向き合ったかもしれない。

ジョギングは1日最低15分、時にハイアルチ。
筋トレor体幹メニュー、ボールトレーニングは、
自分でメニューを考えて毎日欠かさずやり切った。

これは胸張って言える。







規制の解けた練習再開後に
必ず関東リーグで活躍してプロになる、
少しでも早くTOPチームに絡むためには、、


その想いで、
自分を奮い立たせていた。





でも、この想いは
再開後の初めの1週間の練習で
一蹴された。




結果を言うと、
目標に掲げていたTOPチームどころか
「C3 (最下層カテゴリー、5軍相当)」で
大学サッカーは終わった。





でも自分にとって
その結果以上に
語れる知見を見つけた。



これまで、自分が感じたことのない


殺伐とした鶴川(グラウンド)のあの空気感、
気づいたころには遅いあの獲物に迫るスピード感、
置き所ずれたら足ごと持ってかれるあの球際の強度、


多分、全国どこを見てもこれを上回る大学は、無い。

実際、3年の夏には日本一にもなった。




自分の周りにいたのは、
これまでJユースや高校サッカーで
名を馳せてきたタレント集団。

それに引き換え、自分には輝かしい経歴も選抜歴も何もない。
1人のサッカー選手としてのキャリアは天と地。


見栄は張っていましたけど、、(笑)



時に自分に限界を感じて、
人前では出さないが
重症な自己嫌悪に陥った。



選手とは違う
裏方の雑用も「嫌」と言うほどやった。

自分がこれまでかいてきた汗、
努力、労力、時間。
全てが水の泡になった。
そんな気がした。




自分は基本なんでも暢気で
少し辛い思いしてもその都度受け流せて
深く傷つくタイプでもない。

そう自分を分析してたけど
一筋縄ではいかないことが多々あった。





人生における
教育機関の最終地点で、

サッカーを通じた
人と人の潰し合い、削り合い、肉弾戦。
物理的にも心理的にも。

こんな世界線が待っていたとは。

覚悟はしていたが
想像の遥か何倍、
ひとまわりふたまわりも、
超えてきた。



これまで感じたことのない
誰にも、何にも、守られていない
素の自分の杜撰さ、孤独感。




「だから、味方からボールを受けることも怖くなった。」








その時思った。
「自分はプロになれない」


もはや、
「アスリートにも向いてない」






小学校1年生からサッカーを始めて
初めて感じた感情。






練習や紅白戦で日々感じる自分がサッカー下手な様、
インスタのストーリーで流れる
キャンパスライフが楽しそうで愉快に見える様、






「大学サッカーやめようかな」とは
ならなかったが、

「何で大学サッカーやっているのかな」というのは
常に頭の中で考えていた。



でも、その度行き着く答えは決まっていた。




自分をこれまで育ててくれた
家族や友人への感謝。


もちろんそれはあるが、


何より今までに出会った
「恩師」の顔がいつも出てくる。







自分が
国士舘大学でサッカーできているのは、
スポーツ推薦とか、
高校のとき有名で特待生になったわけでも
なんでもない、







当時の高校サッカー部の監督に
ねだって、
せがんで、
頼み込んだから。






1人のサッカー選手として、

「自分に僅かな可能性を感じる限り」

追い求めることをやめたくなかった。


それが全ての原点。




大学で続けられた要因は

能力に自信があるから
就職で有利になるから
そんな理由ではない。



「サッカーへの熱い想い」



ほんとにそれだけ。




他にも理由はあったかもしれない。
でも
その想いが自分を強くしてくれた。




だから、
後輩に自分のモノマネもされた。
試合中に仲間からの罵声も浴びた。
学連(運営、裏方業務)で練習に出れなければサボりとみなされた。


正直イラッとくる。
でもいつからか、何とも思わなくなった。



それは、仲間からの期待、
「愛」なんだと
解釈できるようになったから。




練習試合に出るって
わかっただけでも
表には出さないけど
言葉にできないくらい 
嬉しかった。





公式戦(インディペンデンスリーグ)に
出るとわかったときには、
必ず親に連絡した。


きっと普通にサッカーやってる人の
書くこういう文書は
サッカーの戦績やプレーの振り返りを
取り上げて話すと思うが、
自分は違う。







サッカーできること。
そのものが、幸せだった。


楔(縦パス)を挿せたのに、横パスに逃げたときの自分の遣る瀬なさ。
練習の最初、10周走から始まる日々の憂鬱さ。
絶対に相手ボールなのに「マイボーッ」と叫ぶときの無邪気さ。



そして何より、
点が決まったときに爆発する
言語化不可能な感情。



いろんなことに
心揺さぶられたこの期間。



どんなことよりも、
なんてことのない
鶴川(練習)で感じる


最高の環境があること。
マネージャーや指導者がいること。
そして大いなる刺激をくれる仲間がいたこと。




これは当たり前じゃない。


言葉にはできない幸せだった。




最高峰のレベルで
大学サッカーができる環境に
身をおくことが
自分を大きく成長させ
それがきっと財産になる

そう思ってサッカーとは向き合っていた。



それが自分にとっての

「大学サッカーの指標」であり

「全て」だった。

「多様性」という言葉では収まりきれない集い、仲間。国士family。ありがとう。


具体的に、今後自分がサッカーにどの程度干渉するのかは決めていません。選手なのか、指導者なのか。完全に手を引き、ただのファンなのか。

模索中ではありますが、変わらず「関沢 武」をよろしくお願いします。
そして、国士舘大学サッカー部の応援もよろしくお願いします。


最後までお読みいただきありがとうございました。


国士舘大学
理工学部 理工学科 4年
関沢 武 / Takeru SEKIZAWA

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