見出し画像

音楽遍歴〜高校時代から今に至るまで〜

「南壽さんの音楽遍歴が知りたいです!」

そんなお言葉を先日頂いた。確かに辿っていくといろんな音楽経歴があって今の自分が出来上がっていると思う。まとめるとなるとそれはそれは難しい気がするが、高校時代くらいから今までを何となく辿ってみた。そうすると自分でも忘れていた感覚を思い出せたりしてなんだかんだ楽しくまとめる事ができたのでここに記しておく。

Daft Punk期〜高校時代〜

Daft Punk

中学〜高校時代の音楽界はバンドブーム。RADWIMPS、BUMP OF CHICKEN、ELLEGARDEN、、、など。カラオケに行けば誰かしら歌うし、知らないと話についていけない空気感。僕ももちろん聴いていたが、そんな中YouTubeを漁っていた時に出会ったのが“Daft Punk(ダフトパンク)”だった。「Harder, Better, Faster, Stronger」との出会いは僕の中でかなりの衝撃だった。高校3年生の文化祭では特技としていたビートボックスで「Harder, Better, Faster, Stronger」をカバーしたくらいだ。何がそんなに衝撃だったのか?今振り返っても正直これといった的確な答えが出てこない。もしかしたら、以前書いた記事「変なひと」の内容の様に人と違うことをしたいという漠然とした当時の気分にマッチしていたのかもしれない。ゴールデンのテレビより深夜のテレビを好んで見ていたのも同じような感覚かも。あらびき団やゴッドタンを深夜に観てゲラゲラ笑っていた。深夜番組の中に「スーパーチャンプル」というダンス番組があった。ダンサー達が踊るBGMにダフトパンクやケミカルブラザーズ、クラフトワークがよく使われていた。こうやって振り返ってみるとエレクトロダンスミュージックを好きになったのは間違いなく高校生の時代だろう。

サカナクション期〜20前半〜

サカナクション

宮崎出身の僕にはアーティストのライブに行くということが身近ではなかった。地元で誰かがライブするなんてことはまずなくて、稀にあったとしても車で1時間半以上は走らせないといけない場所に住んでいたもんで。そんなライブと無縁だった僕が20前半の頃初めてフェスに行くことになりその日のトリを飾っていたのが“サカナクション”だった。サカナクションの存在はもちろん知っていた。アルバムも聴いていたし、そのフェスに行く頃には「新宝島」がいわゆるムーブメントを起こしていて至る所で耳にした。そしてそのフェスで目の当たりにしたサカナクションのライブは僕のライブというモノに対する価値観をガラッと変えてくれた。一本の映画を見たような感覚というかなんというか。ライブってもっとただただ演奏される曲を聴いて盛り上がるという感じくらいにしか思ってなかったが、サカナクションからもらった時間はその後の僕の“現場に足を運ぶ”というロマンをつくってくれた。もしも話で「もし無人島にさ〜」みたいなのがあるが、もし日本のアーティストを今後ひと組しか聴けないとなったら僕はサカナクションを選ぶだろう。それくらい彼らとの出会いは僕にとってかえの効かないものとなった。

The Chemical Brothers期〜20半ば〜

The Chemical Brothers

2017年以降皆勤賞のフェスがある、フジロックだ。フジロックは僕にとってのお正月。一年の計は元旦にありというが、僕にとってそれはフジロック。2019年の初日のトリが“ケミカルブラザーズ”。高校時代のダフトパンク期にケミカルブラザーズもかじっていたこともあり彼らのライブを観れることはかなり楽しみにしていた。そしてそのパフォーマンスはというと圧倒的。爆音で体を突き抜けていく音楽と共に現れる光や映像。その場の空間を別次元に変えるかの如くのパフォーマンスはライブが終わった後もまるで後遺症かの如くいつまでも心を掴んでいた。ダフトパンクでエレクトロを好きになり、サカナクションで現場というものを好きになった僕にとってケミカルブラザーズのライブはその集大成のように思えた。それからというもの、様々な場面で彼らの音楽に助けられている。精神的に参って寝れない時やその日の仕事がなんだか納得できなかった時など。エレクトロというジャンルは気分を上げるためのものだけじゃないということを彼らが教えてくれた。(PS.フジロックを皮切りに海外の音楽にさらにのめり込むようになった。ケミカルブラザーズ期としているが、フジロック期とも言える時期だ。)

SUPER BEVER期〜コロナ禍〜

SUPER BEVER
(アー写が少々古いが、僕にとってビーバーといえばこの写真なのでこれを)

2020年の4月から世の中はコロナに蝕まられた。緊急事態宣言により仕事ができず家からも出れない。むしゃくしゃして家でひとり飲みをして脱水症状で倒れかけたこともあった。そんな世の中をガラッと変えたコロナ禍に明日を生きる活力をくれたのが“スーパービーバー”だった。ボーカルの渋谷さんとはほんの少しだが交流があり、コロナ禍に配信ライブをするということで視聴させていただいた。コロナで心がぐちゃぐちゃになっている僕に本当に勇気をくれた。彼らの音楽は決して現実逃避では無く、今と向き合う力をくれる。「嫌なことの後にはいいことが待ってるよ」みたいなことではなく『その嫌なこととしっかり向き合うんだ!なりたい自分には自分しかなれないんだから!』と、今持つべき感情ややるべき行動を自分で見出す力をくれ、明日を生かしてくれるのが彼らの音楽なのだ。彼らはコロナ禍でもライブ活動をやめなかった。もちろん強行突破とかではなくライブをするにあたって設けられたルールの範囲の中でだ。2022年はライブに4回も足を運んだ。コロナ禍を乗り越えることができたのは彼らのおかげと言っても決して過言ではない。僕は2020年は当時27歳。コロナ禍に芽生えた「これからの人生はこうやって生きていく」と確固たる決心を自らデザインに起こして体にも刻んだ。

The 1975期〜コロナ明け声出し解禁〜

The 1975

2023年4月。待ちに待ったコロナによる縛りからの解放。約3年にも及ぶ制限のある生活は家にいることが苦手な僕にとって退屈極まりなかった。そんな制限から解放されライブでの声出しも解禁になったタイミングに足を運んだのが“The1975”のライブだった。コロナ禍の間、スーパービーバーに生きる活力をもらっていたがThe1975の音楽には踊らせていただいた。彼らの音楽はダンスミュージックのように踊らせてくれるのではなく、ヘッドホンで聴きながら街を歩くと僕を物語の主人公にさせてくれる。まるでミュージカル映画のワンシーンに今自分がいるような気分にさせてくれるのだ。ライブに行った2023年の4月から僕はちょうど新しい挑戦をするタイミングだった。死ぬまでに一回はやりたいことに挑戦し始めたのだが、それが故に休みがほとんどなく体力的に結構キテいた。精神力だけは一丁前なのでやりたいことができているというメンタルで乗り越えていたが、さらにその背中を押してくれたのが彼らの曲だった。挑戦先の第二の職場までの片道1時間の電車の中でThe1975ばっかり聴いていた。通勤中に聴く彼らの音楽は「今の自分イケてる!」と思わせてくれる。最近急に僕がパーマをかけてオールバックにしネクタイを締め始めたのもフロントマンのマシューをマネしてだ。なかなかマシューのようにカッコつかないが、ネクタイを締めるとThe1975が憑依する感覚になる。強くなれるのだ。自分を好きになれるのだ。

まとめ

他にも僕の人生に影響を与えてくれた音楽はたくさんある。今回は5組に絞ったが苦肉の5組だ。けどこうやってまとめてみると、自分の人生を振り返ってる感覚がこの記事を書いてよかったと思った。忘れていた何かを思い出せたような気がする。書いてる間、高校時代の友人をふと思い出したりもした。

Apple Musicでプレイリストをよく作っているがその中に「もしもの時」というプレイリストがある。これは自分にもしものことがあったらこれをかけて欲しいという内容だ。縁起でもないがそれくれい大切にしている曲が入っている。そして今回ピックアップした5組もこれにもちろん入っている。自分の人生を支えてくれている曲なのだ。

よかったらあなたにとってのそんな曲も教えていただきたいな。

ありがとうございました。
南壽タケル



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?