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引用のきまり(1)──補足や強調をするとき

論文などで他の文献から引用するとき、大前提となる原則があります。それは、元の文章を一字一句正確に記述するということです。これは、読者に正確な情報を提供するという技術上の問題である他、引用元の文献に敬意を払うというモラルの問題でもあります。

とはいえ、元の文章を一字一句記述することが自分の文章の体系と干渉するときがあります。その典型例は、

(1) 引用文に補足説明や強調をするとき
(2) 引用文中に誤植があるとき
(3) 引用文の途中を省略するとき

です。今回は、(1)の場合の処置の仕方を説明します。

補足説明をする

読者の理解を促す目的で、引用文に自分で説明を加えるときは、括弧を使うことになります。しかし、そうすると、括弧自体が元の文章のものなのか、後から加えられたものなのかがわからなくなってしまいます。そのため、引用文に括弧を使う場合は、

〔未知の感染症という〕経験したことのないタイプの危機に接し、政治や経済の指導者たちも手探りが続く。(括弧内筆者)

のように、末尾に「(括弧内筆者)」という記述が必要です。括弧が原文のものならば、「(括弧内原著)」となります。

それでは、引用文の中に既に括弧があり、更に自分で説明を加える場合はどうすればいいでしょうか。そういうときは、

〔ウェルズ・ファーゴ〕が想定する最悪シナリオで、3月のGDPが半減すれば9000億ドルの付加価値(所得)が失われる。(亀甲括弧内筆者、丸括弧内原著)

と、括弧の種類を使い分けて記述します。

強調をする

強調の場合も同様です。例えば、原文が次の通り記述されているとします。

二重思考とは、ふたつの相矛盾する信念を心に同時に抱き、その両方を受け入れる能力をいう。党の知識人メンバーは、自分の記憶をどちらの方向に改変しなければならないかを知っている。従って、自分が現実を誤魔化していることもわかっている。しかし二重思考の行使によって、彼はまた、現実は侵されていないと自らを納得させるのである。この過程は意識されていなければならない。さもないと、十分な正確さでもって実行されないだろう。しかしまた同時に、それは意識されないようにしなければならない。でなければ、虚偽を行なったという感情が起こり、それゆえ罪の意識がもたらされるだろう。二重思考はイングソックのまさしく核心である。なぜなら、党にとって最も重要な行動とは、意識的な欺瞞を働きながら、完全な誠実さを伴う目的意識の強固さを保持することであるからだ。故意に噓を吐きながら、しかしその噓を心から信じていること、都合が悪くなった事実は全て忘れること、その後で、それが再び必要となった場合には、必要な間だけ、忘却の中から呼び戻すこと、客観的現実の存在を否定すること、そしてその間ずっと、自分の否定した現実を考慮に入れておくこと──これらは全て、なくてはならない必要条件である。

(ジョージ・オーウェル(高橋和久訳)『一九八四年』、早川書房、2009年、328―329頁)

ここで、10文目の「意識的な欺瞞を働きながら、完全な誠実さを伴う目的意識の強固さを保持すること」を、自分で強調したいとします。その場合は、

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のように、末尾に「(太字原著、圏点筆者)」と記述します。

なお、句読点に圏点は付けません。

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