浪人について
個人的に、少しショッキングな記事を見つけてしまいました。
私は駿台には通っていませんでしたが、浪人を経験した身としては非常に感慨深いものがあります。背景を考えれば、時代の変化と簡単には片づけられない重い現象だと思うので、なおさら感傷に浸ってしまいがちです。
確かに、周辺を見渡してみると、私より若い年代の人たちで浪人を経験したという人はあまりいない印象があります。しかも、それなりに難関な大学の出身だったりするものだから、その優秀さに驚かされることもしばしばです。そのような場面に出くわすたびに、自分ももう少し真剣に頑張ればよかったと悔やむときもあります。ちなみに、私が現役で受験した時は、滑り止めも含めて全滅でした。
振り返ってみると、私は得意科目と不得意科目との差が激しく、しかも主要科目である英語と数学が苦手という、大学進学を目指すには相当不利な立場にありました。結果的に数学を捨てて私大文系型で受験に臨みましたが、改めて考えるともったいないことをしたと思います。社会人になって何度か資格試験を受けた経験から、大学受験も同じ要領でやればよかったのかなとも思います。参考書で基礎を固めたら、あとは赤本をひたすら解きまくる。といった方法でも十分合格を狙えたんじゃないかと。出題範囲が広く、出題パターンも多いので網羅的に対処するしかないと思っていましたが、対策は十分たてられたなと今にして思います。
とはいうものの、私は浪人を経験したことを後悔していません。むしろ、あの回り道の時間がなければ今の自分はなかったと思っています。それまでとは生活環境が一変するので、自分自身の新たな可能性に気づけたりするのです。私の場合、すべての科目で学力が格段にレベルアップしたので、受験の選択肢がいっきに広がりました。また、1年間のある種のモラトリアムを経験したことで、東京への進学に凝り固まっていた価値観に変化が生じ、最終的に地元での進学を選択することに繋がりました。結果として、それは良い選択になりました。予備校の講師の方々との出会いも忘れられません。皆さん基本的にポジティブでしたし、志望の大学に入れるかどうか一抹の不安を抱えながら勉強している我々を、様々な形で叱咤激励していただきました。とある先生は、受験シーズンの直前に応援メッセージのはがきをくださいました。そのはがきは、今でも額に入れて手元においています。
浪人生活には、どこか暗いイメージが付きまといがちですが、上記のように人生を豊かにしてくれる要素にも溢れています。確かに、大学は現役で合格するに越したことはありません。しかし、浪人をすることが許されない切羽詰まった状況で現役合格を志向しているのが現在の風潮であるならば、それは健全な社会とは言えないと思います。長い人生を歩む過程で、遠回りすることが許容されるゆとりのある世の中になってほしい。そんな思いも込めて、私は浪人してよかったと言いたいです。
今日は、ここまでにしておきます。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?