ある酒席での出来事

最近のことなのですが、知り合いとの飲み会の席で「道徳的判断は極めて主観的なものだから、道徳では社会を統治できない。社会を統治できるのは法律だけだ。」というようなことを口走ってしまいました(ちなみに、どういう経緯でこのような話をしたのかは覚えていません)。これに対して、こんな横やりが入りました。

「具体例を出せ」

この時述べたことは、『メタ倫理学入門』(佐藤岳詩 勁草書房 2017)を読んだ所感みたいなものだったので「この本を読んでください」くらいの切り替えししかできませんでしたが、前述の考えに至った理由は他にもあったという自覚はあります。とはいえ、私の場合、見聞きしたものに関して自分の中である程度の概念化ができてしまうと、実際の出来事については忘却してしまうところがあります。かつてコーチングの研修を受けた際、その講習の方針として受講者全員が講師のカウンセリングを受けなければいけなかったのですが、その時に「あなたは、出会った場面や状況の中から自分の行動を学んでいくタイプなので、今の自分がどのように形成されたのか自分自身でもおそらくわかっていない。」という指摘を受けたことがあります。そういうところがあるからこそ、本来なら証拠や記録として残しておかなきゃいけないことをそれをせずに流してしまうので、いざというときに根拠を示せなくなるというのは直すべき点であることを痛感しています。

しかし、何でもかんでもエビデンスのようなものがないといけないかというと、そうでもないんじゃないでしょうか。そもそも、いちいち具体例を示されないとイメージできないとか理解できないとかいうのは、単純に知識と経験が不足している証拠なんですよ。別の考えがあるならその場で披露すればいいし、疑問に思ったら自分で調べたらいいのです。そのほうが、お互いにとって学びになります。日常会話の中では、そういうスタンスでいることの方が大切なのだと思います。

私には、「感性と理性を結びつけろ」という座右の銘があります。遭遇した事象に対して何かを感じたら、自分はなぜそう感じたのかを考え、その結果を自らの行動に反映させるという一連のプロセスは、現在に至るまで私の生き方を規定しています。この言葉は大学のとある授業で教えられたのですが、このことだけでも私は大学に行った価値があったと今でも思っています。今回の出来事も、この言葉の重要性を想起させるひとつの契機になった気がします。

ダメ出ししてきた相手に対して「だからあんたはダメなんだよ」と言いたい気持ちを必死に抑えつつ、この体験を自分自身への反省と今後の活動に生かしたいと思います。

今回は、ここまでにしたいと思います。


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