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【考察】水星の魔女総括-1 男性社会の光と影の兄弟

水星の魔女全24話を視聴しての総括、その第1弾です。

私はラウダがジェターク家において妻や娘などの女性的な役割を負っていて、家庭内でのバランサー、昔ながらの男性優位の家庭においての被害者なのではないかと考えていて、それが魔女(ガンダムパイロット)に繋がったのではないかと思っていましたが、もしかして、魔女は女性だけでなく男性も指すように、彼はちゃんと男性としての魔女だったのではないか。
 
そしてそれは、グエルの対であり、彼と二人で完成するものだったのではないか、といういつものあれです。はい。

※なお、この考察はあくまで私の考えであり、確定情報ではありませんので、この先設定が明らかにされて否定されても、私自身に責任は発生しないものとします。
当ページに載せているスクリーンショットは考察による説明の補足として引用しているものであり、三次利用はいかなる理由があろうとも禁止とします。


男性社会の男として見たラウダ


先にお断りしておきますと、私は身体の性別も精神の性別も女性で、男性社会に属しているわけではない、あくまでも傍観者であり、時に巻き込まれはすれど当事者ではない立場の人間です。そこから見たり実際の男性の呟きを聞いたりして考えただけのものです。なので全然間違っている可能性があるのはあらかじめご了承ください。
 
まずラウダというキャラクターですが、顔立ちも仕草も、1期の頃は喋り方も女性的であると言えると思います。

そしてその感性も女性に近いものなのではないか?と私は感じます。
 
彼は1話で「あんな田舎者の決闘を受けるなんて」と言ったり、4話で「あまり父さんを怒らせるようなことは」と、グエルに行動の自制を求めたり、いわゆる暴力的な側面はありません。

実際に14話でスレッタに向かっていってはいますが、それは安全の確保されたランブルリングといういわばお祭りで、決闘ですらない。それはジェタークの品位を落とさないためだったり、黒星をつけたくないという思いもあったはずですが、その前はむしろ女性であるペトラがスレッタへの憎悪をむき出しにしていて、ラウダはスレッタを遠巻きに静観している。

そもそも、グエルのように直接の暴力に訴えてもいいところを、彼は最後のミオリネへのブレーキが飛ぶまで、誰にも暴力をふるっていないし、相手を恐怖で支配するような暴言は発していない。
 
そのミオリネへのブレーキが飛んだのも、「兄さんを取られた」「兄さんが変えられた」という私怨で、その暴力性が大切な家族であるグエルではなく、外部要因であるミオリネへ向くというのは、女性であればすこしわかるのではないでしょうか?しばしば浮気された女性というのは、浮気した男性ではなく女性の方を特に恨む。今はそこまでではないかもしれませんが、浮気をした自分の夫は謝罪すれば許されることもありますが、夫を「誘惑」し家庭を「破壊」した相手女性に対して許すことは、恐らく一生ないのではないでしょうか?夫の浮気癖がよっぽど酷かったり、もう愛情が冷めきっていない限り。
 
そしてラウダは嫌味をよく言います。スレッタに「空っぽの水星女」と言ったり、ミオリネに「喜べよ。これでもう、決闘ゲームの商品にならなくてすむ」など、ちょっとネチっとしているというか。グエルもミオリネに「お前は大人しく俺のものになればいいんだよ」と言いますが、ラウダに比べればまだ直球であり、彼はどちらかというと暴力という恐怖を味わわせてから絶望を与える、己に従わせる、という意味での言葉ですが、ラウダは彼女たちの精神的なコンプレックス、言われたくないことを突き付ける、という、やはり女性的というか、特に女性の嫌な部分ですね。ミオリネのズバリ本音にも似ていますが。

と、このように、ラウダ・ニールというキャラクターは、容姿、内包している感性がとても女性的なものが多い。
 
しかし彼自身の性自認は女性かと言われれば恐らく男性です。
 
言語化が難しいんですが、ラウダ自身が自分を男だと断定したことはありませんが、仕草は女性的ですがいわゆるナヨナヨしさというものはなく、顔立ちは女性的だけれども特に怒りの表情は女性らしいところはなく、シナを作ったりグエルや父親という絶対的な庇護者を失っても、外には弱ったところを見せないで会社を背負って矢面に立ち続けるなど、気質自体は男性的なのではないかと思います。

※ここで言う男性的女性的というのは、あくまで一般論であり、突き詰めればすべて「その人らしい」というものになるでしょうが、ここでは便宜上。
 
では彼は生粋の男性で、男性のコミュニティに無条件に受け入れられる人物であるか、と言われれば恐らくNOです。
 
それは彼の容姿や仕草が女性的であり、感性も女性寄りだから。
 
有害な男らしさ、と言ってしまえば角が立ちますが、男性社会のコミュニティにおいて、ラウダのようにぱっと見「女性らしさ」のある男性は、ほぼ間違いなくイジメのターゲットにされるのではないでしょうか?もっと言えば、彼らの定める「男らしさ」から外れている、属そうとしない存在は男性として認めない、コミュニティの一員として認めないのではないでしょうか?
 
それを女性社会もやっているだろう、という話は置いておきます。今回は女性男性対立は主題ではなく、あくまで男性社会の話なので。
 
例えば腰をしならせない、例えば足をがばっと広げて立つなど、「男らしい」とされる仕草にはルールがあり、それはしばしば過剰なまでに守られて、女性との対立だったり同じ男性を貶めたりなどに使われています。
 
例えば電車の中で足を広げて座ったり、万引きなどの社会的にマイナスでありやってはいけないとされることをあえてやらせる、ルールを破らせたり、女性を下げてモノのように扱えば扱うほどもてはやされたり、些細なものから犯罪、人を不快にさせたり恐怖させたりするものまで、さまざまです。
 
そしてこのルールを守れないものは、「弱者男性」というカテゴリーに入れられています。
 
足を縮こまらせて座っていれば周りに気を遣い過ぎている、ダサいと言われたり、犯罪は犯せないと断ればノリが悪いだとか正義のヒーロー気取りかと言われ、イジメのターゲットにされたり暴力を振るわれる、女性へのマウンティングに参加しなければやはりノリが悪いとか、ゲイだとか、男性機能をからかわれたり。そして一度レッテル貼りをされるとそこから抜け出せない。レッテルを貼った側も、レッテルを貼られた側も。
 
なぜならそれができないのは、「男ではない」という共通認識があるからです。虐げる方にも、虐げられる方にも。
 
男とはかくあれ、女とはかくあれ、それから外れるものは排斥して構わない。というのは、男らしい女らしいという言葉、女々しい雄々しいという言葉が未だに廃れていないで、他の言葉にも置き換わらないで存在しているので、これはもう無意識下の刷り込みであり異性を求めたり共同体を作る人間の本能的なものにも結び付いているのかもしれない。
 
でも最近ようやく、女性は女性らしいことが過剰に求められること(例えば言葉遣いだったり男性のご機嫌を伺ったりだったり)に対して疑問と反発を表現できるようになりました。
 
では男性はというと、私はまだできていないだろうと思います。成功者、いわゆる富裕層だったり女性にモテていたりという強者男性はもちろん、そうではない男性もまた、男らしさを持たない人に対してのアタリが非常に強い。
 
最近某シェフさんが女優さんとW不倫をしていたというニュースがありましたが、それに対するコメントは「あの女優相手なら手を出しても仕方ない」「むしろ手を出さないなんて失礼」などの称賛のコメントも多数存在していました。これもいわゆる男性的な、「イイ女に手を出すのは男として正しい」「そしてそんなイイ女から求められるのは男としてワンランク上である」という男社会の決まりに則っていたからです。その裏で家庭が崩壊したり、不倫された妻側の心労、というのは男社会にとってはどうでもいい。夫側は多少同情の声もありました。自分の女が取られたんですからね。
 
さて、現実社会を見てきたところで、ラウダに戻りましょう。では男社会から爪弾きにされるだろう、女性的特性を持つラウダは、男性社会において受け入れられるのでしょうか?
 
私は恐らく受け入れられないだろうと思います。もし彼が現実にいたら。
 
しかし水星の魔女世界、アド・ステラの世界において、彼は受け入れられているどころかむしろ強者男性にこそふさわしい地位を与えられています。
 
彼は庶子ではありますがジェターク家の次男として認識され、ジェターク寮では副寮長を務めていた。これだけでもすごいもんですが、グエルが突然いなくなるという混迷期にジェターク寮をまとめ上げ、絶対的支配者だったろうヴィムが死んでもすぐにCEO代理、そしてわずか2週間後にはCEOとして勤められるよう準備がすべて整えられていた。

ジェターク寮は「ジェターク寮に睨まれたくないから」と恐れられていたり、フェルシーとペトラのように、あるいは寮長であるグエルがやっているので他者に加害する可能性の高い寮です(直接殴る蹴るはしなかったとは思いますが、物に当たるとかはね)しかしラウダが寮長に就任してから、憎き水星女にそういう報復行為は特にしている様子がない。ということは、グエルではなくラウダであってもきちんと統率できているということで、ジェターク寮生たちは彼をリーダーとして認めている、尊敬しその意向に従おうという意思があるのです。
 
ジェターク社についても、こちらは大人という子供ほどの柔軟性がない世代で、ヴィムやその先代などの、強権的な強い男性が長年支配していた世界です。デリングが王様であるならば、ヴィムもまたジェターク社という小さな世界の王様です。しかし彼らもラウダを受容して、自分たちのトップとして迎え入れています。ヴィムと違い、女性的な側面が目立つラウダをです。
 
これは私の感覚ですが、ワンマンタイプの強権的な男性社長が支配している会社において、その跡を継ぐもの、特に息子など彼の社長の縁故で選ばれる後継者は、社員から自分たちを支配するにふさわしい人間であるか、つまり強権的な部分を継いでいる、ボスであるかどうかを値踏みされるのではないかと思います。そこにラウダが出てくるのですが、彼は線が細く先に述べたように暴力的な傾向もないと、「ライバルの頭をぶっ叩いて勝ち上がってきた」ヴィムとは全く正反対の気質を持っている。
 
だから私の考えでは、ラウダは舐められる、下に見られる対象であるのではないかと思います。ナヨナヨしたボンボンが、というアレですね。
 
しかしラウダは受け入れられるどころかたった2週間、いえすべての準備が整うまでに2週間なので、本当にヴィムの死後すぐにCEO代理、実質的なCEOとして自分たちのリーダーへ据え、2週間で内外へ正式に公表する準備を万事整えていたのですから、彼はジェターク社というトップダウンの会社において、すでに受け入れられていた、ということになります。
 
それがなぜか、というのは以前にも推測を述べましたが、これについては本当に本編でジェターク社の社員がどういう人々であるのかというのかすらわからなかったので、どういう経緯で受け入れられたのか、はわかりませんが、受け入れられたという事実だけは紛れもない真実です。
 
ジェターク寮についても同じです。寮長として君臨していたラウダの兄、グエル・ジェタークは、紛れもない男社会のトップ層、彼もまた強権的で支配的な男性だからです。

兄グエルは強者男性


弟であるラウダとは正反対に、グエルは間違いなく男社会のトップ層、俗にいう強者男性です。
 
男らしい肉体。財力。社会的な地位。他を圧倒する実力。時に暴力すら辞さない狂暴性。己よりも弱いと思うものを見下して支配していいという思い上がった支配性。
まぁホルダー時代のグエルですよね。

そこから転落してからも。惚れてはいても全く親しくはない女を守ろうとするある種身勝手な一途さ。例え堕ちようと味方ではない者の手は借りない誇り高さ。かと言って仲間の手も借りず、背を向けてただ言葉少なに後を託す潔さ。
武士らしいと言われている特性ですね。

ボブ時代。彼は現実で言うところの運送業の仕事に裸一貫で飛び込むバイタリティと根性と勇気。それまでの地位を失い、誇りも何も通じない場所で下っ端として働きながら、年上の男性に可愛がられるホモソーシャルへの高い適応力。しかし有事の際には苛烈な性格でもって敵に噛みつき、チャンスを逃さずに行動する。
やる時はやる。これも憧れをもって歓迎される男らしさです。

支配的な父親への反抗もそうです。それまで逆らえなかった父親への反逆。そこからの自我の目覚めと、家という庇護下から抜け出す独り立ち。そして父殺しという強制的な父親卒業、そして子供時代からの卒業の儀式を果たす。

これだけでももうお分かりだと思いますが、まさに男社会の男の憧れる模範的行動や気質のハッピーセットのようなキャラクターなんですよね、グエルは。
 
それは人気にも表れているだろうと思います。グエルは男性からの人気も非常に高い。そしてある種の憧れをもって見られているのではないかと思います。
 
それはもちろん、彼の一生が激動なものであるから、というのもありますが、これは「英雄譚」にも近似値なんですよね。
 
英雄は何もない逆境から這い上がる物語でもありますが、傲慢で男であるという特権を振り回していた男が、逆境に何もかも失い、試練に打ちのめされ、それでも諦めず立ち向かい這い上がっていく。
 
主人公ではないかもしれなくても、それでも男性から見て彼は「英雄」と呼ぶにふさわしい美しい物語の人間です。
 
2期からの彼についても。
 
スレッタという恋の相手に失恋するとわかっても正面から向き合って、それどころか彼女の恋の背中を押して、最後まで彼女を大切に愛している。
これは騎士の役。

ミオリネと政略結婚を結び、しかし庇護すべき男として彼女のメンタルケアを積極的にこなし、彼女が引きこもってしまってからは彼女の代わりに実務を行う。
これは理解ある彼及び男性、というものですね。

そして酸いも甘いも味わわされた結果の答えとして、一人の男として父親の遺した会社を立て直すことを朝日に誓い、終生会社のために身も心も捧げる。
これも古い男性像ですね。仕事に全力。仕事が恋人。仕事が人生のすべて。

このようにグエルは男性として完璧なんですよね。
 
先ほどのラウダとの対比としては、まさに生まれながらの強者、勝ち組で、その人生は波乱万丈。最終的には私人ではなく公人として完成される。ある意味男の憧れでしょう。
 
あぁ、あとグエルは女性、異性にモテるというのもありましたね。スレッタには振られ、ミオリネには相性が最悪だったのでそういう印象は薄いですが、序盤で「グエルさま~」と声を上げていたのは女生徒です。愛ではなく憧れですが、取り巻きが女の子というのも、ぱっと見では男性の夢のようなものでしょう。秘書が女性だとか、両手に花だとか、要は見目のいい女を侍らせている。恐らく微塵もそんな関係ではないのですが。

まさに理想の男。男に憧れられる男。好きな要素しか詰まっていない。
 
でも、果たしてこれがグエルのすべてなのでしょうか?
 
グエルとは。グエル・ジェタークとは、単なる強者男性なのでしょうか?
 
私は違うと思っています。
 
なぜならグエルは、ラウダ・ニールを愛しているからです。

グエルはラウダを愛して丸ごと受け入れている


最初にラウダは弱者男性であると言いました。でもそんなラウダを、強者男性であるグエルは愛する必要は本来ないはずです。
 
なぜならラウダは男社会からの落伍者なのだから。強者男性であるグエルにとっては、それこそ目の端に映る小石ほどの価値もない。存在しないものです。
 
でもグエルは、ラウダを紛れもなく愛しているし、その存在を丸ごと全部受け入れた上で愛しています。
 
ラウダの女性的な仕草、髪を逆手でいじる、足を組んで立つ、それらは矯正されていません。(この癖は神経質な男性と称してもいいですが、いずれにせよそれもまた「男らしい」ものではないはずです)それどころかラウダは自分の癖について、それが男性らしいとからしくないとかを全く意識せず、兄やジェターク寮生という自分をよく知っていて味方になってくれる相手以外にも、自分たちを露骨に馬鹿にするセセリアやシャディクに対しても隠すことも、臆すこともなく堂々とその癖を行って立っています。

しかしラウダにとってグエルは全てです。
 
そのグエルから言われたら、自分の根幹に根差す癖であっても必ず直すのではないでしょうか?気持ち悪い、女っぽい、直せよ。こう言われればラウダは直したでしょう。
 
でもそうなっていない。ということは、グエルはラウダの癖をからかったことも、直せと軽い気持ちで言ったこともない。
 
でもグエルは設定画を見るに、やんちゃっぽい男の子ですし、「生意気な女だ」とか「水星女」とか、女性を下に見る発言もあったりするので、女っぽいなと思ったら「お前は男だろ」と言いそうなところもありそうです。

というのも、実はラウダはヴィムの前ではそういう女性的な仕草をしていないんですよね。
3話のダリルバルデ戦では髪を手にかけないし、7話のパーティーでも右手で端末を持っているので電話でもそういう仕草を父親の前ではしない(これは右が利き手だからかもしれませんが)

このことから、ラウダはヴィムにこの癖をやめるよう注意されたか、もしくはお母さんの癖だったので複雑な顔をされたかのどちらかで、ヴィムの前ではしていない。と仮定できます。
 
注意されたとすれば、命令に従うべきか迷うラウダにグエルは「やめなくていい。けど父さんの前ではやめような」というような肯定をしたのでしょう。なぜなら「人前ではやらないように」というフォローをグエルもしたのなら、ラウダは人前でもしないように気を付けたでしょうが、実際には隠す気も気にする素振りもなく堂々としているので。お母さんの癖だった場合は、尊敬して愛してやまない父親の顔が曇ろうと、ラウダの個人的な癖をやめなければならないということの方を嫌ったということになるので、いずれにせよグエルはラウダを父親よりも優先したことになります。
 
そしてグエルはラウダの癖を、父親の言うように女の子っぽいとかラウダのお母さんの癖ではなく、「ラウダの癖だ」と認識していた、ということにもなります。女の子っぽくったってラウダの癖なのだから、ラウダがやめる必要はない。お母さんの癖を真似していても、ラウダがするならラウダの癖なのだから、やはりやめる必要はない。
 
つまり、グエルはラウダを個人として認識し、とても大切にしていた。ということの証明になるのですよね。
 
そしてグエルが受け入れてくれたからこそ、ラウダは堂々と自分の癖を矯正することなく生きられた。誰に言われても何を言われても、ラウダは気にしなかったでしょう。なぜならこの癖は、グエルが変だと言わずに受け入れてくれたもの、大切にしてくれたものなので、彼にとって何ら恥ずべきアイコンではないからです。
 
だからこそ、ジェターク寮生たちも、グエルが受け入れているからこそラウダを受け入れ、ジェターク社の社員たちも、最初は違和感があったとしても、ラウダが何ら恥じるものではないと堂々としているから、それを受け入れることができた。男性としては異質なラウダを。
 
だからジェタークというのは、ヴィムの影響下にあって、グエルを絶対的なリーダーとしていただいているから、古式ゆかしい価値観の集団のようにも見えますが、こと身内というか他者の受容という観点においては、意外と先進的なのではないかと思います。

彼らは男や女という価値観で人を見ない。そのどちらもでないラウダがいるから。なぜグエルをリーダーとしていただいているかと言えば、彼の命令に従っていればいいと思考停止しているのではなく、グエルが大好きだから慕っている。自分たちの意思なんですよね、恐らく。
 
ジェターク寮の個人がグエル個人を慕って中心に据える。それが恐らくジェタークという集団の特徴であり特異性です。地球寮は個人個人が対等ですが、ジェタークはグエルがトップで自分たちはそれを支える力である。
 
そしてそれを作り出した大きな部分はラウダです。恐らく。彼こそがまさにその支える筆頭であり、グエルが大好きでだから全力で支えると決めていて、実際に捧げていて、グエルのために頑張る、という空気を作り出している中心人物だろうからです。

だからグエルがいなくなってもジェターク寮は瓦解しなかった。ラウダが揺らぐことなく寮に留まって、むしろ突然出て行ったグエルに対して怒りを募らせていたぐらい、精神的に安定していたので。ラウダがCEOになり、ランブルリングを行う際に、「水星女を叩き潰す!」ということを決めたのでフェルシーとペトラも地球寮へ挑発を行ったので、実はジェターク寮の空気を決めているのはラウダなのかもしれないですね。

ジェターク社にしても、何度も言っていますが、ヴィムからラウダへのCEO移行が、ヴィムがテロに巻き込まれて死亡するという異常事態にも関わらずすぐに行われているので、彼らの中ではラウダが跡を継ぐものであるという認識すらあったかもしれない。もう彼らの中ではトップはヴィムでもなく、嫡子であるグエルでもなく、庶子であり決して男らしいとは言えないラウダであった。そういう可能性もまたあるんですよね。
 
学生で、まだ柔軟な思考のあるジェターク寮ではなく、大人で凝り固まりがちな思考と価値観を有するであろうジェターク社の人々がラウダを受け入れている、というのは恐らくとても意義があることで、これは福音でもあるだろうことだろうと思います。
 
他者を排斥し、虐げ、奪う。その生き方、思考の方向性というのは、他者を搾取する有害な社会を生み出すものでしかない。そしてそれはしばしば男性から女性への搾取、一握りのトップ層の男性からその下への搾取として押し付けられてきたものです。いわゆる女性への加害性と、子会社や従業員へのパワハラややりがい搾取、洗脳教育。それからの脱却。
 
異質で、男性なのに女性的特質を持っているのに、性質は女性ではない、彼はオカマでもトランスジェンダーでもない、何者にも属せない半端者であるラウダ。それを受容して、彼の肩書ではなく彼そのものを見て評価する。それは古い旧体制からの脱却と、密接に結びついているのだと、私は思います。
 
そしてそれはグエルも同じです。
 
グエルと出会えたラウダが祝福されたように、グエルもまたラウダと出会えたことそのものが祝福だったはずです。

父親に飲み込まれなかったグエル


それは、父親に飲み込まれなかった、という点に表れています。
 
グエルはヴィムにDVを受けていて、強権的な支配を受けてきて、実際にホルダーとしてのグエルはその支配の影響を色濃く受けています。

あの加害性の全部がヴィムのせいというわけではなく、何割かは彼本来の特性でもあると思いますが(本当にああいうものがちょっとでもない子だったら「待てよミオリネ!負けたら虫の言葉で謝るルールだ。こいつの謝罪を見ていけよ!ヒャハハハ!」このどれかはもう少し穏当なものに代わっているのではないかなと思うので)それでも「あんたはパパの言いなりだもんね!」という言葉に怒りを爆発させるほど、グエルは内心でヴィムと自分は違うと思っているし、その価値観と自分は合わない、合わせることができないと思っている。

でもこれって、本来なら結構ありえないのではないかと思います。
 
グエルはストレートに父親を尊敬していて、「お父さん、大事なんですね」という言葉が心に響くほどに愛しています。そしてグエルはすぐにボブとして職場に馴染んだように、すぐに周りのカルチャーに合わせることができるほど、つまり人の影響を受けやすい子供です。

そんな子が、まさに自分の絶対的なルールであり支配者、神様である父親のカルチャーに染まりきらない、というのは、よっぽど自我が強いかそのことに疑問を持てる環境だったか、というような要素が必要なはずです。
 
しかしグエルは元から父親が大好きで、徐々に変わっていってしまっただろう父親も変わらず愛し続けています。その父親は、暴力についてはわかりませんが、少なくとも言葉による精神的DVや自分の言うことを聞け、どうしてこんなこともできないとモラルハラスメントはしていたでしょうから、そういう中で、愛している父親からこうしろああしろと言われた時、幼い子供はどうするのか?
 
恐らくその父親に迎合するでしょう。自分の中の価値観を無理やりにでも父親に合わせて、それが絶対的に正しいのだと信じて、褒められる性格を伸ばしてそれ以外を剪定していく。
 
私はそういうひどい状況に陥ってしまった子供ではなく、またそういう子供たちと関わり合いになる人生ではありませんでしたが、もしグエルがこの通りの生き方をずっとしなければならなかったのなら、もっと強権的でもっと他者を圧倒する、それこそ変わってしまった後のヴィムとなっていたでしょう。
 
自分より下への憐憫はすなわち弱さである。
他者を蹴落とすことはすなわち正義である。
上昇志向こそすべて、会社のためならすべてを捧げる、夢も希望もすべてはジェタークのためでしかない。
 
そういう人間になっていたでしょう。
 
しかし実際には、グエルはまっすぐな尊敬を集めて、曲がったことが許せない、愚直で不器用でけれども優しい人間です。
 
なぜその支配や洗脳から逃れることができたのか?
 
それはやはりラウダの存在が大きい。そのはずであると私は考えています。
 
グエルにとってラウダは弟です。自分が守らなければならない、しっかりしなければならない、庇護しなければならない存在です。
 
自分が叱られたり、価値観がぐらついても、ラウダには優しく接してあげたい、父さんにこんな風に叱られてしまうことがないように俺が守ってあげなければならないと、グエルの中にある優しい心や庇護欲はラウダがいる限り殺されてしまうことはなかったでしょう。
 
そしてラウダは家族です。
 
同じ父を持ち、同じく母に捨てられた。変わってしまった父を見届けて、その支配に苦しめられてきた。同じ歴史と苦しみを共有できる唯一の存在。
これは友達や、互助会でも少し弱いんですよね。友達は別の家庭の人間なので、完全に頼ることもできないし、わかると言われても自分と同じではない。互助会も同じです。父さんの怒鳴り声が怖い、認めてくれないのが苦しい、父親がどんな人か、というのを分かち合えるのは、その瞬間に立ち会い同じ立場だった、兄弟だったラウダだけ。
 
それからグエルのことを愛して守ってくれる絶対的な味方、もっと言えば無償の愛を注いでグエルを肯定してくれるというのも、グエルにとっては大きな支えだったでしょう。
 
本来なら無償の愛を与えて、自分を肯定してくれるのは親の役目なのですが、グエルにそれはない。あったかもしれないけど、失ってしまった。親を失えば、その代わりを務めてくれる人は、例えば祖父母がいて愛を注いでくれてもそれでもその喪失を埋められない人もいる中、恐らくグエルはラウダにそれを見出した。
 
23話での「お前が、許してくれなかったらって…」これも深い愛、自分を絶対に受け入れてくれることを求めている、からこそ「許してくれなかったら」と言っているんですよね。父親殺害を許してくれること、受け入れてくれることを求めている。ラウダは被害者でもあるのに、言ってしまえば被害者家族に被害者を殺したことを許してほしい、許されなかったら、と殺人犯が願っている思っている、と考えるとそうとうすごいことをラウダに求めているんですよね。

「みんなが」と言っているので、ジェターク寮生にも求めていると考えると肉親じゃない他人にそれを求めているのはシンプルにヤバすぎるので、恐らくラウダが主軸であってみんなが、というのはグエルのちょっとした逃げだとは思うのですが、しかしもし仮にジェターク寮生が許してくれなくても、ラウダが許してくれたのなら、グエルはまだ立ち直れただろうと思います。これが逆だったとしたら、グエルは一生ラウダに許されなかったことを引きずることになったのではないかと。
 
なぜかと言えば、グエルはラウダからちょっとでも拒絶されると途端に精神のバランスを崩してしまうんですよね。
 
いや何を馬鹿なことをとおっしゃるでしょうし、あの、本当に、その、グエルとスレッタがお好きな方にいつか私はやられてしまうんじゃないかと気が気ではないんですが…
 
グエルがスレッタに告白した時、そのきっかけというのは、スレッタが認めてくれたことではなく、ラウダを失ったことに起因するのではないか?と私は考えていてェ…
 
というのも、グエルがスレッタの「あなたは強かった」という言葉に救われたのは、ラウダから強さを信じてもらえていないと思い、ラウダを拒絶してしまった、失ってしまった後なんですよね。

「お前も父さん側のくせに!」と言うんですが、グエルはこの前にダリルバルデが完全AI制御になっている時に「俺の意思は…いらないって言うのか…!」とうなだれ、ヴィムの工作に「どうして俺のことを信じてくれないんだ!」と言っていて、ヴィムがグエルの腕を信用しないでAI制御に頼り、工作までしていたという、グエルの強さを信じていない所業2連発を食らって怒りのボルテージが上がって、そこにラウダが「戦いに集中して!」と気づかわしいことを言ってきて、共犯なのに白々しいと怒りが爆発した。という経緯があります。

それからのグエルはヴィムに対して「黙れよ!」と啖呵をきって端末を叩き壊したり、「これは、俺の戦いだ!俺の、俺だけの!」と父さんもラウダも関係ない!と拒絶した。

それからの敗北。それからの強さの肯定。

スレッタは知りませんが、ラウダから自分の強さを否定された、父さん側に行ってしまった、ラウダという絶対的な味方、愛してくれる存在を失ってしまった。
だから、スレッタの言葉に対してあれだけの反応をしてしまったのではないか?
 
…う~ん、やられそう!
 
しかし「強さを認められた」に「家族になってほしい」という思考が出力されるのは、ギャグ時空として見るならそうかなとも思いますが、水星の魔女のリアリティラインで見ると、グエルが潜在的にそういう強い女性を求めていたか、上記のように強さを肯定してくれていた人が家族だったから、家族になって欲しいと求めたか、のどちらかであるのかなと。

グエルならそういうこともあるんじゃない?というリアリティさなんですが、しかしグエルが瞳を輝かせた、スレッタに惚れたのは、「あなたは強かったです」とその強さを認められたからなので、鼻っ柱をへし折られただけではグエルはスレッタに惹かれることはなかった。

もっと言えば、グエルの求めている、側にいて欲しい人というのは、自分を認め、受け入れてくれる人です。

そしてそれはミオリネとは真逆であり、スレッタが初めてグエルを受け入れてくれた人なのかと言えば、それもまた違う。

グエル・ジェタークの側にずっといてくれて、ずっと受け入れて肯定してくれていたのは、ラウダ・ニール、弟である彼だけです。

弟を、家族を、自分を受け入れてくれる絶対の味方を失ってしまったから、自分を受け入れてくれた人に「家族」になってほしいと求めた。

グエルがスレッタに求婚した当初は、スレッタのことを完全に好きになっての告白だったのかと言うと、私はグレーだったのかな~と思います。

我に返るとグエルは冷や汗を垂らして焦り、その後もスレッタに対して威圧的な態度で接しているし、何よりスレッタを泣かせたエランに敵意を向けたのは、グエルにとっては「彼女に進むためのものではなかった」んですよね。その後自分が死ぬかもしれないと思った時に出た言葉は「俺はまだ、スレッタ・マーキュリーに進めていない!」なので、彼の自意識としてはスレッタに進んだことはまだ一回もないのです。

私としては、エランに対して決闘を挑んだのは、彼女を悲しませないためであり、その景品として「スレッタに近づくな」と言っているのは、十分彼女に進んでいるのではないか?と思うのですが、グエルの中ではスレッタを守ろうとするこの行動は彼女に進むためのものではなかった。

じゃあ何かというと、「勝ちさえすれば父さんも文句はないはずだ」と言っているので、父親の中で失墜した信頼を回復させるためのもので、水星女を助けるのはそのついで、体のいい言い訳、そんな感じの認識だったのではないかと。私としてはスレッタに本気で惚れたと自覚したのは9話でスレッタから父親への感情を肯定されてからではないかと思いますが、それは置いておいて。
ともかくグエルの中であの決闘は惚れた女を守る行為ではなく、自分のための選択であると考えていた可能性は非常に高い。

グエルはその後スレッタに取ってしまった矛盾した行動について「恥ずかしかったから…」と好きな子に対してつい、という理由を語っていましたが、これについても「グエルがスレッタのことが好きだと自覚した後」なので、フラットなその当時のグエルの気持ちではないんですよね。

彼自身も多分なぜスレッタに初手求婚をかましてしまったのかについて理解できていないんじゃないかと思います。これは家族との断絶、父親に明確に反発した理由と直結するものでしょうから、理解できていたらもう少し父親との関係性について整理がついていてもおかしくはないんですが、未だにグエルは父親と己の切り分けが上手くいっていなさそうなので。

自分でもわかっていない行動を取っていて、それを後から冷静に振り返ったら、きっとこんな理由だったんだろうという憶測しかできないんですよね。食べようと思ったものをゴミ箱に捨ててしまって、きっと疲れてるんだなと理由付けしても、本当は何か考え事をしていたからかもしれない。何か深く考え事をしていたのに、ゴミ箱に捨ててしまったショックで忘れてしまった。のかもしれない。実際のところは、後になって考えると、前提や知識が邪魔をして、その当時の本当の理由が上書きされてしまいがちなんですよね。子供の頃の行動を考えても、「多分」「恐らく」になるように。

という風に仮定すると、グエルにはすでに「スレッタ・マーキュリーが好き」という前提があるので、その状態で過去のツンデレな態度を振り返ると、彼女が好きだったけどそれを認めるのが恥ずかしかったから、という結論になると、こういうわけですね。

実際「お前のことなんて全然好きじゃないんだからな!」というのは、ツンデレというより、「ミオリネは諦めるんですか!?」という言葉通り、グエルはミオリネと結婚する気がまだあるので、万が一にもスレッタが好きで本気で結婚したいと思われると困る、という思いであれだけ強く否定した面もあるはずだと感じますしね。グエルがミオリネと結婚しつつ、真に愛していて家族になりたいのはスレッタ、という倫欠二股思考をナチュラルに思っているんなら話は別ですが、母親が多分父親の不倫が原因で出て行った子供が、不倫や二心がある状態に猛烈な忌避感があるだろう環境なので、私はこれは絶対ないなと思っているのですが。

なら尚のこと、スレッタに妻になって欲しいと要求するのは大いなる矛盾が発生してしまうし、もし本気でスレッタが好きならもっとグエルは葛藤するのではないかと思うんですよね。彼は実直であり誠実でありたいと思っているだろう人間なので。

彼が「スレッタ・マーキュリーに進めていない!」つまり「進みたい!」と初めて表明したのは「ミオリネは諦めるんですか!?」を否定された後なので、やっと彼は政略結婚というくびきから解き放たれ、愛する女性を妻とできる世界を得られたので、その前であるプロポーズもスレッタを拒絶してしまったのもすべて、きっと愛することがないであろう正妻がいる状態なので、スレッタを愛すること自体にブレーキをかけていたとしても不思議ではない。

もちろん、ちゃんと初めからスレッタに対して明確に恋愛感情を抱いていた、という可能性もあります。ただ私個人としては、

自分を認めてくれていた存在であり家族であるラウダを失った直後に、スレッタに自分を認めてもらったことによって、失った自分を認めて愛してくれる存在を取り戻したいと、スレッタにプロポーズをした。「家族になって欲しい」と求めた。
スレッタに明確に恋愛感情として惹かれたのは、冷静になってから「父親が一番大切なんだ」というラウダ以外誰も真には理解してくれなかった自分の心を、改めて理解を示され、父親が一番大切という自分の価値観を改めて肯定してもらえたから。本当の自分を見てもらえて、それを尊重してくれたから。

だから好きになった。

という心の動きだったのでないかなと思います。

つまり最初はラウダを失った穴を埋めるための代替の存在としてスレッタを選んだのか?

…すく、なく、とも、わたし、は、そう考えて、おり、ます…。

ただそれは「スレッタに微塵も惹かれなかった」とイコールでは決してありません。
他の誰でもないスレッタを選んで、その後もエランから守ろうとしたりしているので、グエルの中では明確にスレッタは特別です。

しかしそれが「恋愛スタートだった」かについては、色々な捉え方があり、少なくとも私はこう思っている、ということです。

…いや、これなら初手「結婚してくれ=家族になってくれ」をミオリネ争奪戦を諦めている訳でもないのに言っている意味が、彼が好きになったら初手プロポーズをかます男、以外にできるな、と思うので…。

また長々となってしまいましたが、あの初手プロポーズですらラウダを失ったこと、もっと言えば自分の実力を信じず父さん側についたということで、ラウダから拒絶されたのだということから起因したとすると、グエルはラウダから拒絶されたと考えたら途端に言動がバグってしまう、ということになるんですよね。 

そしてグエルはラウダに関しては、一貫して「らしくない」んですよね。

「花嫁から逃げられた男だ」と嘲笑った男、自分に迎合しない女、自分に逆らう女。彼は自分に対して侮るもの、反発するものを許しません。

しかしラウダに対しては、「授業中だよ兄さん。早く撤収しよう」「あんな田舎者の決闘を受けるなんて」と言われても、なだめはしても全く機嫌を悪くすることはありません。

「授業中だよ兄さん。早く撤収しよう」「こいつは俺を笑ったんだ。花嫁から逃げられた男だとなぁ」

「あんな田舎者の決闘を受けるなんて」「瞬殺してやるさ。俺はドミニコスのエースになる男だからなあ」

最初の「こいつは俺を笑ったんだ」については、前後の文章が繋がっていないのでラウダとの会話ではなさそうな気がしますが、その前にグエルにはミオリネも他の生徒も話しかけていないので、そうなるとグエルがデッカイ独り言を言ったことになるので、そうではないとするならば「早く撤収しよう」に対する返答であるはずです。
というのは前にも言っているので、もっと踏み込んだものはこちらをご覧いただければと思いますが。

ラウダの言葉自体は多分にグエルへの呆れを含んでいるんですよね。でもそれに対してグエルは何ら機嫌を損ねることなく、笑って応対しているので、自分に対して意見を言ったり、あまつさえ呆れられてもグエルは甘んじてそれを許している、ということになるんですよね。

これは一話の話なので、三話で仲がこじれるまでの通常の態度であるとすると、グエルはいつもラウダを格別に許している。というのは紛れもない事実です。

それからも、誰にも弱味を見せたがらず自分の役割は自分で背負いたがるグエルが、自分の代わりとしてラウダに温室の修復を頼んでいるので、彼はラウダを信頼し実際に頼ることすらできている。

四話から、九話で「前を見て歩け、田舎者」と言う時にはスレッタの目を見ることもできていたのに、ラウダに対しては絶対にその目を見ることはなく、わざわざラウダの方に背を向けて踵を返したり、心配するラウダにさっさと背を向けて、「寮を頼む」と頼みごとをしているのに一切見ることはない。

堂々とした性格で基本的に相手から顔を逸らさず対峙するのがグエルの常であり、スレッタに対して自分が助っ人には行けないという後ろめたさというのっぴきならない理由から見れないのに、ラウダには初手からもう見れていないんですよね。

もちろんラウダに対するいら立ちや遣る瀬無さもあるはずですが、しかしそれならそれで怒っているのにラウダと面と向かって喧嘩をするのではなく、避けるという行動を取っているので、これはこれでとてもグエルらしくない行動です。彼は何しろ、些細なことで決闘をするほど頭に血が上りやすく、吹っ掛けられた喧嘩は全部受けて自分からも売っているであろう人間なので、ラウダに対してだけは絶対にそうしないというのはとても異例で特別な対応です。

それからも、ラウダに「許してくれなかったら」と恐怖して向き合うことから逃げ続けるという、グエルらしくない行動を2期では全体的にしていることを23話で明かしており、ここでも「ガンダムなんて、もう乗るな」と言う時に目を閉じているし、その前の「お前が許してくれなかったら」も顔が見えないので目を開いていたかはわからないんですよね。

このようにグエルはラウダに対しては23話の腹を貫かれて搭乗機が大破寸前という土壇場の場面に至ってまで、彼を見ることができない。それはグエルがもしラウダを見てしまったら少しでも縋りついてしまいそうだったから、それだけ死にたくなかったからなのではないかというのは以前に考察しましたが、やはりグエルの中でのラウダはとても特別な存在だと言えます。

そして大きな存在です。

スレッタ・マーキュリーに進めていない!と、進むことを決意したのと同じくらい、グエルはジェターク社が潰れそうなこと、すなわち残してきたラウダが苦境に立たされていることを知って、彼を守るためにもう一度宇宙に戻ることを決めたのです。あの時の「あとは俺に任せろ」というのはラウダを排除してCEOになるのではなく、CEOになって向けられる敵意や悪意、いざという時の責任、そういったマイナスを全部自分が引き受けてラウダを守る、という意味での言葉なんだろうなと思います。現にグエルは「俺たちで何とかしないと」と、自分だけではなく誰かと協力してジェターク社を立て直すつもりで、素直に考えればこの誰かというのはラウダであり、ラウダの代わりにCEOになるのは追い落とすのと同義であり、彼のキャリアプランを潰すことになるので、自分が全部やるということではなく、実務はラウダに支えてもらい、代わりに盾になって人に頭を下げるなどの嫌な仕事を一身に引き受けるつもりだった、とした方が自然です。

実際問題、グエルはヴィムから「俺の仕事を学べ」と言われる段階なので、まだまだ会社経営についてはぺーぺーで、そのことをグエルもわかっているはずなので、ラウダに成り代わる気は全然なかったと思うんですよね。

だからグエルが戻ってやろうとしたことは、ジェターク社の再建であり、何よりラウダを守るためだったと考えられるのです。

多分この二人は、ずっとこの関係性は変わることはないのだと思います。それこそ、出会った時から。

「弟(ラウダ)がいたなんて嬉しい」と抱きしめて存在すべてを丸ごと受け入れたグエルと。
受け入れられて初めて光を取り戻して、それまで絶望していた自分の境遇に希望を見出し、その「兄さん(希望)を支える(守る)よ」と誓うラウダと。

あの抱擁は、出会えた奇跡でもあると共に、恐らく彼らの根底はあそこから今まで変わっていない、という表現でもあるのかな~と感じます。

そして23話の関係は出会ったあの瞬間からすでに構築されているとするならば、ラウダを守るために、ラウダと共にいるために、グエルは父親にもきっと抗うことができたしやってきたのだろうと思います。

23話でグエルは自分の命も、父さんの会社を守るという信念も、ラウダに許されたいという願いも、全部捨てる覚悟でラウダを止めたので。ならきっと、幼少期の一番の脅威である父親に対しても飲み込まれることなく戦って、ラウダという一番の大切な宝物を守った。そしてそれはそのまま、グエルのグエルたらしめる大切な素養を守ることにもつながったのだと、そう私は考えています。

彼らの出会いは、互いを祝福するものであり、欠かせないものであったのだと。

グエルはラウダを失うことが何よりも恐ろしい


グエルがラウダから少しでも拒絶されると精神のバランスが崩れる、という話と繋がりますが、グエルという人間はラウダを失うということを極端に恐れているんですよね。

その割には20話でシャディクと対峙する最前線にラウダを連れてきたりしているので、矛盾しているんですが…

23話の「よせ!シュバルゼッテはお前の命を…!」「ラウダ!もうやめるんだ!これ以上は!」と、必死にラウダにガンダムでこれ以上戦うなと訴えているのは、直球にラウダが死ぬことを防ごうとしている行為ですし、「…お前の言うとおりだ…父さんのこと、お前が許してくれなかったらって…」と、ずっとラウダに父殺しという自分の一番の罪を明かすことができていなかったその理由は、ラウダを傷つけたくないという理由が大きいのではなく、自分が許されなかったらという恐怖感からであったとグエルが吐露しています。

それはそのまま、ラウダから拒絶されること、嫌悪されること、失うことをグエルはたまらなく恐れている、ということになるのではないかと思います。

先にも述べましたが、グエルは自分の命よりも、父さんの会社を自分が守るという信念よりも、最終的にラウダを止めることを優先して実際に実行しました。

彼の中でラウダは本当に、何よりも大切で、誰よりも大切な存在で、絶対に失いたくない彼の宝物です。

だからこそ、あの15話が私は大好きなんですよね~。

あの時のグエルは、ラウダのことをまだ「父親側である」という認識を覆せていないはずなんですよね。ずっとラウダは自分の味方で、退学させるという父さんの意思に逆らって守ろうとしていたぐらいに、愛してくれていたんだ、と思い知るのは帰ってラウダと対面してから、つまり16話でラウダが気を失って目覚めて話し合ってからなので(退学にしようとしていたことはきっとラウダはペトラたちには言わずに自分の胸の内に秘めていたはずなので)

だからあの時点でのグエルは、「父さん側のラウダ」から、明確に拒絶されるかもしれないと覚悟しながらも、それでも戻ることを決意したはずなんです。
ラウダから「今さら何なんだ!」と今さら戻ってきたことを詰められるかもしれない。自分がCEOとして君臨しているのに、その立ち位置を脅かす兄が帰ってきて「邪魔だ」と否定されるかもしれない。「どうして父さんじゃなくて兄さんが生きているんだ」と、頼りになる父親ではなく兄が生きていることを嘆かれるかもしれない。

まぁここまで考えてはいなかったかもしれなませんが、それでも父さん側だとしても、歓迎されないのだとしても、もう自分は愛されていないのかもしれなくても、ラウダのために何かできることをしたい、助けたい、失いたくない、という思いだけで、グエルは戻ることを決めたんです。

ここでちょっと顔が下がって、暗いというか悲壮な決意~って感じの顔になるのも、多分そういうことなのかなと。

グエルにとって、この「ジェタークに戻る」という決意は、決して明るい日の出だけではなく、目覚めなければならない朝も意味しているのかなと。すなわち、今まで目を背けてきたラウダと対峙して、彼の本心を知ることですね。夢や眠りに逃げるのではなく、現実を見つめてそこで生きなければならない時が来た。…やることがある朝に目覚めたくないよ~!!

いや、この表情がそう見えるのはお前だけ、でもあるかもしれないんですが、これは彼の決意表明であるので、顔は上げさせたままでもいいのにわざわざ下げさせているので、何かしら意味があるはずなんですよね。って考えると、こういう嫌さも含まれているのかな~と。

まぁ、現実は「兄さん!兄さんが、生きて…」と、兄さんが生きてるだけでウルトラハッピーな弟がいたわけなんですが。

グエルはこれめーっちゃくちゃ嬉しかったろうなと。一度は拒絶されることも覚悟したのに、実際には拒絶されず、詰められることもなく、ずっと一番愛されたままだったんですから。

しかもラウダは、実際にめちゃくちゃ大変な思いや苦労をしていて、グエルが帰ってきて安心して緊張の糸が切れてしまって、気を失ったので。この気絶したって、私も最初は面食らったんですが、恐らくグエルに対してはあの時点でできる中でも最上のアンサーだったのではないかと思います。
だって気絶って、絶対自分の意思じゃできないじゃないですか。気絶したフリはできても、本当に意識を失うことはできない。だから百の言葉よりも何かをすることよりも、確実に「グエルが生きていてよかった」と心の底から思っていたことを伝えられる。

そしてあの時のグエルは、精神的にそうとう追いつめられている状態なので、誰が見てもわかりやすく、ペトラという第三者からも「ラウダはグエルが帰って来た安心感が原因で気を失った」と担保されているというのは、余計な邪推を生まない、まさに100%グエルにラウダの本心が伝わる。

「あなたが何より大切だ」と。

グエルとラウダのこういうふとした言動が、傍から見たら滑稽だったり異常だったりして、それが笑いを誘うものなんですが、しかし彼ら自身は非常に真面目であり、ちゃんと互いに本心が伝わっていて、全くもって真剣なんですよね。
これはパターンとして、とても喜劇に似ているなって。

我々観客である視聴者や、傍観者である第三者からは、ラウダのグエルへの想いは喜劇的なんですが、本人はとても真剣である。喜劇のキャラクターも、真剣にやっていて、それが結果として上手くいかなかったりするだけで、彼ら自身はふざけているわけではない。

これは本ですが騎士になろうとしたドン・キホーテ、それこそシェイクスピアの間違いの喜劇でも、登場人物たちは自分たちの願望ややることに真剣です。彼らは喜劇にしようと思って喜劇になるのではなく、真剣にやっているのになぜか喜劇になってしまう。だからこそ面白いのです。

私たちの日常生活でも経験ある方はいらっしゃるのではないでしょうか?その時は必死で茶化すような奴がいたらぶっ飛ばすぞ、というような出来事があって、いざそれが過ぎて思い返したら、妙に笑える内容だったなと思い、思い出話の鉄板になるようなことが。

きっとジェタークは全体的にそうなんじゃないかなと感じます。

グエルなんか直球に、プロポーズだとかラウダから逃げ回っていたとか、喉元過ぎればだいぶ若かりし思い出ですし、フェルシーとペトラも地球寮に対する態度だったり、ミオリネに対するいかにもな態度は分別つく大人から振り返ればなーんて嫌なガキだったんだ、でしょうし。ヴィムですら、あの介入に「見ろ!俺の言うとおりにして正解だろう!」と、ラウダに対してやたら野球観戦やらクイズ番組のウザいお父さんみたいな絡み方してますし、デリング暗殺を実は何回もやってたらしいというのも、後から兄弟二人で話したら「ほんと父さんはさあ!」というぐらいの思い出になったでしょう。
…まぁ、ラウダは兄関連には恥ずべきことはないけれど、もっと他にやり方あったろうな~とか、スレッタに私怨で絡んだのは自分としてもちょっとという思い出になりそうですし、ガンダムに乗って戦闘したのはグエルに事あるごとに一生ぶちぶち言われるものでしょう絶対。

私たちが笑っているシーンというのは、彼らの「人生」においては、大切な記憶の一ページでもある。

だから、ギャグはもちろんギャグなんですけれども、そればかりに注視してしまうというのは、あまりに勿体ない楽しみ方ではないかな~と。

水星の魔女全体が、テンペストを元とした劇であるのなら余計に、劇のキャラクターたちにとってはその劇こそが人生の全てで、真剣に向き合っている。

私たちはそれを見させてもらって、あーだこーだ言っている立場に過ぎない、というのでも同時にあるんですよね。

あたたかいご飯をお腹いっぱい食べて柔らかいベッドで眠ることができる、奪わなくても生きていける恵まれた立場の人間で、
その立場から彼らを見ているけれど、彼らは一分一秒を真剣に生きている。ということは、忘れないで見ていきたいな、と私は思っています。

二次元キャラに人生を見出してこわ…と言われるかもですが、まあそうじゃなきゃこんな考察なんて書けませんからね~…。

話がまたそれましたが、グエルは拒絶されることも覚悟していざ戻ったら、ラウダは自分を拒絶するどころか生きていることに喜んでくれる、真逆の結果を得ました。

そして話し合えば、CEOを自分がラウダから奪うのと同じことを言っても、それも受け入れてラウダからサポートする役目を負ってくれ(ただろう)、さらには自分の退学届をこっそり留めていてくれていた。居場所を守ってくれていた。

特に退学届のことについては、父親の命令に逆らってくれていたということなので、もしかしたらこれだけでグエルは「ラウダは最初から父親側ではなかったんだ」ということがわかったのか、もしくはダリルバルデで裏切られたこともいっぺんに許せたのかもしれませんね。

グエルはヴィムの命令に逆らったら決して許されないことを痛いほどわかっているので、それがバレるリスクを負いながらも父さんからも会社からも逃げ出さずに留まり続ける、それがどれだけ凄いことなのか、それもグエルにはきっと伝わっているはずです。

「進むことがどれだけ怖いかやっとわかった」だから怖くても進み続けるスレッタはすごい。

それと同じぐらい、自分が苦しくても逃げ出したくても逃げないで、大切なものを守り続けることを選んだラウダもまた、グエルにとってはとても強くて尊い選択をした相手ではないかと。
だってグエルは逃げ出してしまった側なので。父さんからもスレッタからも、ラウダからも逃げて、全部をリセットしようとした。

でもラウダはそれから目を逸らさなかった。父さんの暴虐にも、不甲斐ない兄が間違えてばかりで挙句逃げ出しても、父さんが死んでしまったことからも。一切逃げずに何とかしようと全部背負って戦ってきた。

戦闘でドンパチやることだけが戦うことではありません。嫌味を言われても責められても粛々とやるべきことをこなし、テロ行為にデスルターが使われてその販売ルートを特定しなければならないなんていう、CEO代理として着任して早々学生である自分には本来関係ないことを調査しなければならない、それもまた戦いです。社会人として、ジェターク社を束ねる者としての戦い。それは一般人である私たちにとっても、ありふれていて大変でそれでも逃げ出すわけにはいかない戦場です。

大人でも逃げ出したいような針の筵にも、ラウダはずっと逃げないで踏みとどまり続けてきた。それは進むことよりも劣っているのか?と言われたら私はNOであると言いたい。何も得られない現状維持でも、進みたくても進めない状況というのはあるものなので。

まぁそんな私の社会人としてのクレーム対応だとかの恨みつらみは置いておいて。
困難な状況においても逃げ出さなかった、ということで、グエルはラウダがどれだけの覚悟を持ってここにいたのか、辛い思いを味わってきたのかということがわかるはずで、そんな状況に置かれてもなお自分を優先してくれていたことがわかるんですよね。

そりゃあもう失いたくないだろうなと。

とはいえ、あの抱擁からこの方、ずっとグエルはラウダを失いたくないでしょうが、グエルは一回ラウダからの愛を失ったと思っているので、喪失を経験しているんですよね。それをもう一度味わえるかと言われたら、恐らくグエルは二度も耐えることはできなかった。

それに今回はさらに、ラウダから愛されないだけでなく拒絶される危険性もまた発生します。

父さんを殺したグエルを、憎悪したり、受け入れられないと言われるかもしれない。

「許してくれなかったらって…」

この言葉を言った背景、ラウダに許してもらいたかった背景として、やはりラウダに罪を犯しても自分を許して受け入れてほしい、という意味が込められているはずです。

このように、グエルはラウダを絶対に失いたくないし、どのような自分も受け入れて欲しいと思っているんですよね。これはほぼほぼ確実です。出会ってラウダを抱きしめた瞬間から、そういう思いが発生しているというのも。

あれはラウダの思い出だけではなく、グエルの大切な思い出でもあるからです。演出上。

ラウダが知らないはずの、グエルがラウダを見て直前でほほ笑んでいた、ラウダを抱きしめた時の表情も映っている。もちろんアニメだからどちらか片方の記憶だとしてもそういうことができるんですが、その前にこれは機動戦士ガンダムシリーズなので、こういう可能性もあるんですよね。
あれは二人の魂の交流であったと。

グエルをラウダは睨んで身構えるが←→目を伏せる

機動戦士ガンダムシリーズ、特に宇宙世紀という共通世界には、ニュータイプ、という概念があります。このニュータイプは、まぁスーパーパイロットっていうのでもありますが、その元となっているのは旧人類を超越した超常能力を持っているという、まさに新しいタイプの人類です。

敵の思念を感じて位置がわかったり、攻撃がわかったり、要はテレパシーみたいな力を持っていて、そのせいで敵のパイロットと記憶や感情を共有して、通信ではなく直接会話して交流する、という展開がされたりします。

翻って水星の魔女だと、こういう心の交流というものは多分誰もやっていないんじゃないかなと思います。エランも、自分の大切な思い出は思い出したものの、それをスレッタと共有はしていないし、本心を明かすことなくスレッタの前から姿を消していて、スレッタも彼の運命についてわかっていませんし。

水星の魔女にはニュータイプに相当するような能力やポジションはないから、ないのは当たり前ですが、しかしあれだけ初代やZなどの宇宙世紀ガンダムのオマージュをして、そこでも重要な位置を占めているニュータイプ同士のエスパー的邂逅はしない、というのは、少々寂しいというか、オマージュだけしたいという張りぼてのものではないでしょうか?

確かに水星の魔女では、GUND技術というものが中心で、パーメットという特異性が話の中心であるので、ニュータイプという人間の特異性についての注目はしないでしょうが、パーメットとは情報を共有する物質で、カルド博士がGUNDは地球と宇宙を繋ぐだとか、ノートレットがクワイエット・ゼロの技術は植物の生存戦略をベースにしているなど、どうもコミュニケーション系で革命を及ぼす技術だったのでは?という片鱗が見えるので、人間間での情報の共有、すなわち心の共有などもできるのでは?という考え方もできます。

という前提で見ていくと、あの初めて会ったときの思いでは二人にとってとても大切なもので、二人が同時に思い出していたものである、というものであったのだと、そう思います。

ラウダにとって出会いの日は終生「兄さんを支える」と決めた大切な日であると同時に、グエルにとっても「すっげぇ嬉しい」大切な宝物ができた日でもある。
ラウダがあの日をずっと大切な指針として生きているのと同じで、グエルもあの日出会ったラウダを大切にしている。

そしてまた、グエルがラウダを抱きしめている時に、ぎゅっとさらに抱きしめ直しているんですよね。それだけ大事なんだなという表現でもありますが、この大切な宝物は自分のもので、絶対に守りたい、という表現でもあ…ってほしいですね…。

動画で見た方が変化がわかりやすいですが
薬指の骨の線とラウダの髪の毛がくしゃくしゃになってるのとグエルの顔の位置から
より強く抱きしめなおしているのがわかります

グエルとラウダで、感情の期間が異なっている、というのも引っかかるんですよね。

この二人、ラウダの方が明確にグエルを愛していて比重が偏っているように見えるんですが、それは外部資料も込みで、本編だけで見れば普通にグエルに注意はするし、「決闘はダメだ!」と強い口調で止めるし、23話の口喧嘩でも一歩も引かずに言いたいことはバンバン言っていて、盲目的な重さではない。グエルはラウダに対して、先述の通り罪を犯した身でも受け入れて欲しいと願っているので、むしろ逆に、言わないだけで盲目的な重さなのはグエルの方とも言えるんですよね。

このように重さはほぼ同じであるとすると、ラウダは出会ったその日から思い続けているのに対し、グエルは明確にされていないのでいつからここまで思いつめていたのかについてはっきりとはわからないので、期間だけ二人は不均衡になる。

そしてはっきりと「出会ったその日から」とラウダが言っていて、出会ったその瞬間がグエルにとっても宝物なら、グエルもまた同じく出会ったその日からラウダを愛している。というのもまた可能性としてはあります。

もしそうであるならば、強く求め、必要として、得たいと切望しているのは、グエルの方ではないのかな、と個人的に思っています。

ラウダじゃないの?ってとこなんですが、実はラウダはあくまで本編の描写を見る限りですが、グエルがいなくても生きていけるし、いずれ彼は違う場所に行くことを覚悟しているはずなんですよ。

ドミニコス隊のエースパイロットというのをグエルは目指していますが、それって果たしてCEOと兼務できるのかっていうのは、私はどうしても疑問なんですよね~!あそこは軍隊と同じであるとすると、エースパイロットとしての腕があろうが総裁の娘婿であろうが、入隊すればぺーぺーの新兵として扱われ、こき使われるだろうと思うんですよね。新兵は雑用でもあるので、先輩の手伝いから何から何でもこなさなければならない。魔女であるガンダムパイロットがほぼいないのなら、暇もあるかもしれませんが、どうもケナンジもトラウマになり、戦術も組み立てられているぐらいには会敵しているとすると、そういう暇もないでしょうし。

と考えると、ドミニコス隊、それもエースパイロットになるにはCEOを兼務するのは難しいし、ジェターク社をやりながらの片手間では、そもそもエースパイロットになること自体難しいと思います。腕が良くても「片手間に所属している」というのは心証が悪いですし、そういう相手に命を預けられるかと言われれば預けられないでしょうし、片手間の戦績で成り上がれるほどエースパイロットという肩書きは安くはないはずです。

そしてそれを察することができないほどグエルも頭は悪くないとすると、彼は最初からジェターク社を継ぐ気はなく、少なくともエースパイロットになるということを最優先事項として努力してきたと考えた方が、私は自然じゃないかなと思います。彼は長男で嫡子ではありますが、一人ではなく、弟であるラウダもいるのですから。

「これは兄さんだけの戦いじゃない。ドミニコスのエースパイロット、諦めてはいないんでしょう?」

この発言と、その後グエルが否定せず自信を取り戻したところを見るに、この夢はグエルだけでなく、ラウダと目指した夢である。そのラウダは、恐らく7話のシャル・ウィ・ガンダムよりも前からヴィムの仕事を手伝っていて、だからこそプロスペラの足止めという重要な役目を任されたのだとすると、ラウダは現段階でもかなり高いポジションにいて父親からの信頼も得ていると考えられます。

ジェターク社を継ぐのはラウダで、グエルはドミニコスのエースパイロットとなる。そういうプランを二人で考えていて、着々とそのためのキャリアプランを遂行している。

そうじゃないとちょっとグエルから見たラウダの立場って微妙なんですよね。

グエルは父親が好きで、きっとその役に立ちたいと考えている。その彼から見たら、仕事を手伝って直接的に父親を助けていて頼りにされているだろうラウダは、面白くないか直球に嫉妬の対象になるはずです。

多少嫉妬していた可能性もありますが、それなら頼りにしないはずでもあるので、グエルはラウダが父親に目をかけられることを問題にしていないし、むしろ予定調和なので、気にすらしていなかったのではないかなと思います。と、考えると、グエルはドミニコスのエースパイロット、ラウダはジェターク社CEOというのが、グエルのライフプランだったのではないかな~と。

そしてそういうライフプランだと、どうしたって二人は物理的に離れるんですよね。グエルはドミニコス隊として寮に住んだり訓練や配属で各地を飛び回り、ラウダはラウダでジェターク社CEOとして忙しく立ち働く。全く縁がなくなることはないでしょうが、それでも望んだ時に会いに行くのはかなり限られる。

でもその夢を、グエルがやりたいということでラウダから「やりたい」と言ったわけではないだろうことでも、ラウダは受け入れるどころか協力しているので、ラウダはグエルと将来離れ離れになることの覚悟はもうできているんですよね。

その通りに、多分3話以降露骨に自分を避け始めたのだろうグエルから離れている。4話でグエルはラウダを見ないで距離を離しているのが、今後の関係性を画面で説明しているのだとすれば、あの筋トレの場面でラウダがいないのは、グエルが避けているから。そしてそれを無理に追うことなく、ラウダはグエルが望むように離れているし、それに心を乱していることもない。(多分)

グエルはフェルシーとペトラにただ呼ばれた時点から不機嫌なので、平常心だったかは大いに疑問の余地がありますね…。個人的に。筋トレしてんのも、内心もやもやしたものがあるからとかなんでは~?

という邪推はともかくとして。ラウダはグエルが出て行ってもジェターク寮が空中分解しない程度には平常心だし、出て行ったグエルに対してストレートに怒っていても連れ戻してやると無茶な行動はとっていないし、グエルは死んでるのかもしれないと考えてもジェターク社を守るために孤軍奮闘するだけのメンタル強度は持っているので、ラウダはグエルがいなくなることに死ぬほど狼狽することはないんですよね。

翻ってグエルは、先ほどのフェルシーたちに対する初手から不機嫌そうな感じだったり、自分から出て行ったのにベネリットグループと聞いた途端動揺して、それから眉をひそめたり、周りがもうやめろと言っているのにデスルターについてテロリストに噛みつき続けたり。見てください、この表情、そして心配してくれてる船長や先輩方に返事もしない。絶対反省してない。思いっきり銃を抜かせて危険な目にあわせたというのに。

とまぁこんな感じで、割とグエルの方がラウダがいないことにダメージがありそうなんですよね。
いや、ラウダが原因じゃないんじゃって考えもありますが、スレッタへの初手プロポーズだったり、フェルシーとペトラですらヤバいとわかっているのに勝てば文句ないだろとヴィムにバレても上等とエランの決闘を受けたり、どうにもこうにもグエルの行動がより過激になったり露骨に墓穴を掘り始めるのは、ラウダがいなくなってから、とも言えるタイミングなんですよね。

こういう直接的な行動以外でも、スレッタという恋心と、ミオリネというビジネスパートナーとも、なぜかその天秤にラウダをかけるんですよね、グエルは。

会社を存続させなければならないから恋をしている時間はない、ということでもあるんだろうとは思うんですが、「大切なものは、もう失くしたくないんだ」「大切なんだ」と「大切」をダブらせているし、なんか意味深なんですよね。そもそもスレッタはミオリネの婚約者でまさしくグエルは横恋慕の立場なので、今さら明かすつもりもなく、成就させるつもりもなかったから、改めての告白に「好き」と使わなかったのかなとも思うんですが、けれども同じ「大切」という言葉を使って、この告白は成就する見込みがないとわかりきっているということは、グエルもまた大切の比重はスレッタに傾いていない、ラウダに最初から傾けさせていてその天秤をスレッタに傾けさせるつもりはないんです。

会社じゃあねぇのか、なんですが、会社の危機に「家族のことなんだ」と言ってからの「もう失いたくないんだ、俺と父さんを繋ぐもの」からの、「俺たちで何とかしないと」「大切なものは、もう失くしたくないんだ」なので、ラウダのことも多分に入っているし、彼の中で会社を存続させるのはすなわち家族を守ることに繋がるものである。
だとすれば、この大切なものというのは、唯一残された家族であるラウダで、グエルにとって今一番大切な存在はスレッタではなくラウダなんですよね。

だから、「大切」の天秤にスレッタとラウダがかかる。両方ともグエルにとって大切な存在で、いざという時にスレッタではなくラウダを選ぶ、そういう覚悟を恐らくグエルはしている。

その後の行動がラウダ忘れた?って感じなのでよぅわからなくなってるんですが、この時点ではそうなはずです。

ミオリネは、婚約者兼ビジネスパートナーができた、のでラウダを弾いている、のでもっと露骨に訳わからん天秤にかけているんですよね。優秀な補佐役二名体制の方が絶対にいいのに。まぁこれはもっと何かイベント、それこそ父親がラウダを便利に使っていたことが判明したので、自分はラウダをそんな風に扱わない、という理由で遠ざけたとか何か理由があったんだろうと思うんですが、それはともかくとして、そうした理由であったとしても、ミオリネはビジネスパートナーとして苦難を分かち合えるのに、ラウダはそういった目には絶対にあってほしくないし、そういったことからなるべく遠ざけてやりたいと思っているので、庇護して守るべきものなんですよね。

ここら辺はミオリネからスレッタへの感情にも近いものがありますが、グエルにとってラウダはその身を挺してでも守るべき大切な宝物である。

つまり相手に縋りつくほどに相手の存在を求めているのは、グエルの方とも言える。んではないかな、と、はい。

となると、弱者男性であるラウダを、強者男性であるグエルが愛し、求めている構図になるんですよね。

グエルとラウダの関係性は男性社会に受け入れられるか?


結局のところ、こういう結論を言いたいんですが。

男性社会に受け入れられない、どっちつかずのラウダを、完璧な男であるグエルが求め、縋り、守り、一生を共にするストーリーというのが、もし当たっていて、それがお出しされたのなら、男性社会に受け入れられたのか?という点は、とても私は興味深いし、とても有意義なものだったろうと思うんですよね。

ラウダは最初にも述べたとおり、性自認も身体性別も男性です。髪弄りの癖は神経質、足をクロスさせたり柔らかい仕草はナヨナヨしていると多分男性は称するのではないでしょうか?私は女性で、多くの女性が、ラウダに女性的な面を見出しましたが、どちらかと言うと「女みたい」という感想になるのかな~と。

ですが「女みたい」な男も、神経質で感情的で「女に怒りをぶつける男」は、男らしさの規範から外れ、軽蔑や差別の対象になるはずなので、やはり男らしさの欠片もないラウダを、グエルが愛し求めるという構図は変わりません。

そしてこの二人は、一生を共にする予定でもあったんだと思います。

なぜか?
恋愛感情を抱いた相手と添い遂げるというのもまた、男社会の模範であり規範の一つだからです。

しばしば妻のいない男性というのは、「一人前ではない」という扱いを受けて、やはりバカにされがちです。ところによっては信頼すら得られないこともある。

最近はBLというのも男性の中でも受け入れられてきましたが、それも彼らが「恋愛感情によって結ばれている」という点も大きいのではないかなと思います。

逆に恋愛感情の絡む余地のない二人が一生を共にする、というのはなかなか想像しづらいというか、そもそも受け入れづらいのではないかなと。兄弟いつまでもべったりとか、恋愛感情のない同性の友達同士でずっと一緒に暮らしている、というのは、おかしいだったりホモなのか?と聞いたり。

結局血のつながらない他人と暮らしている、というのは、「ホモなのか?」と聞かれているので、やはり恋愛感情が絡まないのに一つ屋根の下に暮らしている、伴侶を求めて独り立ちをしようとしないというのは、かなり男性にとって奇異なことなのではないかと思います。

そしてだからこそ、グエルとラウダは異母であっても兄弟である必要性があったのだと私は感じています。

彼らは兄弟なので、絶対に恋愛的に結ばれることはないし、恋愛感情が芽生えることすらない。つまり、上で言う恋愛感情が発生しないのに一生を共にして、二人で生きていくという関係になる。男性社会から外れた関係性になる。

実は二人は幼馴染で兄弟同然で育った、という関係性でもあるんですよね。

二人ともある程度育った状態での合流なので、兄弟ではなくどちらかと言えば友達に近い、兄弟同然として育ったけれども血のつながりはないとしても良かったんですよね。ジェターク姓を与えているので、ヴィムはグエルをちゃんと跡継ぎにする予定だったとすると、ラウダに求めているのはCEOではなくCEOの補佐役なので、元からそういう子供を引き取って育てる、という展開もできるっちゃあできるんですよね。弟を最初から補佐役として育てるというパワーバランスの偏りの不均衡というのも、引き取った子供だから、という理由もできますからね。

でもそうはしなかった。そうなると一緒にいるのは「二人が恋愛感情を抱いているからだ」という余地が生まれるから。であると、私は勝手に考えております。

恋愛感情が生まれてしまってはダメなんですよ。二人が恋愛関係で、だから一緒にいるというのは結局のところ男性社会の規範の内でしかなくなってしまうので。でも兄弟であればそのような余地はなくなる。

作中でも「兄弟愛重すぎ~」「兄弟喧嘩で死ぬとか、マジ笑えないっすから!」と、グエルとラウダは兄弟であるということが一期と二期との、どちらも結構終盤で強調されるので、この二人の関係性は濃厚であっても兄弟愛であって、それ以上ではありませんよ~としている。

でも、幼馴染の距離感の余地も残している。だからダブルで意味が入っているんですよね。血の繋がった兄弟と、気心の知れた親友。そのどちらも恋愛感情が芽生えることがなく、故に恋愛感情が理由でずっと一緒にいるわけではない。そして恐らく、二人は誰かを恋愛的に愛することなく、この恋愛感情のないフラットな関係を保ったまま生きていく予定だったのだと私は思います。

どれだけ魅力的な人間が出ようとも、視聴者から望まれようとも、ただ二人が生きていたいように生きていく。
グエルとラウダ、二人でいることが何よりも幸せだから。

ってことだったんじゃないかな~と。

そうなると、スレッタとミオリネを無意識にラウダと天秤にかけていることにも説明がつくんですよね。

スレッタはそれこそ恋愛的に愛していた女性、ミオリネはトロフィーワイフとして完璧で仕事仲間としても悪くない。男性社会からすれば、どちらとも結ばれて構わない。ミオリネの代わりにラウダを切り捨ててミオリネをビジネスパートナーとして選んだ選択は、間違いどころか正しいものだと受け取られているはずです。

しかしグエルはその道を選ばない。

スレッタと親密になってラウダと疎遠になる道を選ばず、ミオリネをビジネスパートナーとして仮面夫婦となる道を選んだのはラウダを守りたかったからで、そして最後には「錯乱した弟を殺してみんなを守る」英雄としての道も、「父さんと俺を繋ぐもの」であるジェターク社を放り出してでも、過ちを犯した自分はラウダと共に生きることを許されないかもしれないと逃げ回っていた自分自身から逃げずに、ラウダが生きてくれる道を選んだ。

これも男性の物語としては特殊なんではないかなと思うんですよね。しかもこれでグエルは生き残るので、そうまでして守ったラウダと向き合い、生きていく道が残されている。だいたいこういう時、どちらかが死んで、「男らしい」生き方をするものなので。

だから24話で、飾りの「男らしさ」を捨てたグエルがラウダと向き合い、明確にラウダを選んでいるという展開が入ったんじゃないかな~と思うんですが、これは置いておいて。

グエルとラウダは二人で生きていく。それは男性社会の規範には沿わないどころか、逸脱した選択である、とすると。それが男性社会にどう見られ、どう反応がきたのか、私はとても見てみたかったな~と思うのです。

男も憧れる男であるグエルが、男らしくないラウダを選ぶことに幻滅するのか。

そうした判断をグエルにさせたラウダをそれこそ「魔女」として批判して弾圧するのか。

二人の選択をとりあえず目をつぶってなかったものとするのか。

それともグエルとラウダの生き方も、「それもまたあるのか」と希望を見出すのか。

見たかったですね~。いやこれが当たってなきゃ意味はないんですが。もっと違う関係性や答えだったかもしれない。それはわからないんですが、それを言い出すとこの考察自体意味がないものになってしまうので、私はこう思いました、というところは変えず邁進していきたいのですが。

ただこの関係性って本来は男性だけがこの違和感に気づくようにしていたのではないのかな、とここまで考えて思ったんですよね。

私はラウダの女性的な特性にばかり注目していて、家庭内のバランサーの役割を担っていて、それがジェターク寮などの小さな社会にも波及していて、いわゆる男性優位の古臭く有害な家父長制の否定だったのではないかな~と感じていました。

でもこうやって考えて、これはもっと大きな男性社会全体の話だったのではないか、と。ですが放送終了後、24話が兄弟推しとしてはあの、ね…と思って、隅々までよ~く見かえして、初めてあれ?と思ったので、女性は気づきづらい、と仮定すると。

これ、恐らくここまで計算してキャラメイクをしていったのではないか?と。

つまり女性と男性で、グエルとラウダの課題やメッセージとして受け取るものが違う。ので、女性と男性で意見がバチバチにぶつかり合うことがない、そんな流れになったんではないかな~と。視点が違うので。

そうなると、水星の魔女という作品全体としても、女性v.s.男性という構図に巻き込まれるというマイナスポイントを一つ潰すことができる。リスクヘッジができるんですよね。水星の魔女という作品の特性上、考察や議論は避けられないですし、マイノリティの物語でもある以上、そういったところからの視点、虐げられる側、問題にしてこなかった側、気に食わない側からの色々は避けられないので、もっともホットで母数が多く収拾がつかなくなる女性対男性の構図だけは絶対に避けなければいけない。

多分これは主人公であるミオリネとスレッタもそうで、女性である彼女たちと、男性であるグエルとラウダは、女性と男性で気づいたり問題にするポイントをずらして、話題が被らないようにしている。

そのために、ラウダはあれだけ女性的な側面を目立たせていて、スレッタは行動についてはヒーロー的というか、男前だったというか、いやスレッタとミオリネに関してはあまり見れていないので輪をかけて自信はありませんが。

ただ、私たちは、女性は女性の尺度で、男性は男性の尺度でアニメを見て、判断をする、そしてそれを水星の魔女は計算に入れていた、というところは確かなんじゃないかな~と思います。個人的に。

女性はラウダの女性的な面を見て、男性はラウダを神経質な男として見る。女性はスレッタを一人の女の娘として見て、男性は責任ある主人公として見る。

テーマや見るもの性差を意識して、誘導する。そうすれば男性も女性もそれぞれに楽しむポイントがまた違い、どちらも楽しむことのできる作品になる。

そして男性、女性、それぞれの解決していない、根深い問題に切り込んでいけば、それこそ監督の目指す30年続くアニメになったろうし、とてもチャレンジングな作品になった、なったろう作品だったのだろうな~と、私は考えています。

おわりに


ラウダというキャラクターは、弱者男性といういわゆる男性社会の影を担うキャラクターで、グエルというキャラクターはいわゆる強者男性で、男性社会の光を担うキャラクターだった。

しかしそういう男性社会にそぐわないものを踏み台にして、男性社会から排除するべきなのに、逆にグエルがラウダを愛し求め、人生を共にする、そういう物語でありテーマだったのではないか。

というところです。スレッタとミオリネの抱えるテーマについてはまた今度…考察のー3かな?を予定しています。

いや~、どう、なんですかね~。何せ解釈の余地になってしまったので、でもだからこそ何かおかしくない?という陰謀論込み込みの考察をしちゃってるんですが、はい。

でもね~…どう考えても23話の「後」「それから」の兄弟の決着というのは絶対に必要だったと思うので、これから下のは恨み節です。恨み節?というか、どう考えてもおかしいだろ~!というメッセージを受け取ったからな~公式~!バカバカ!というやつです。狂いをね、見たい方はぜひに、どうぞ。

※なお、この考察はあくまで私の考えであり、確定情報ではありませんので、この先設定が明らかにされて否定されても、私自身に責任は発生しないものとします。
当ページに載せているスクリーンショットは考察による説明の補足として引用しているものであり、三次利用はいかなる理由があろうとも禁止とします。



みなさん狂いを浴びる準備はできているか~!イェ~!


はい。

これからはまぁ言いたいことを言うコーナーで、あくまで私個人の意見でしかないことをご留意いただきたいのですが。

いや~、でも24話見た時、どう、でしたか!?私は全てにぽかーんとしつつ、宝石の日々が流れてる間ずっと「ちょっと待って!?」でしたが。

というわけで24話を違和感なく見られた方はこれ以上は危険ですが、
でも全体的に全部が違和感があるように作られているな~と思うので、
私はあれ、明確に
バッドエンド引いた世界なんじゃと感じてるんですよね~…。

あのお話、社会人として見て見ると、まぁこれが酷い。

シャディクガールズは監獄にぶち込まれなかったか、すぐに娑婆に出られたのに、ニカは3年も監獄生活を送っていて、そして恐らくそのせいでGUNDの開発が著しく遅れているんですよね。

ペトラのGUNDがまだテスター段階で、しかもニカの出所一週間後なので、実用には恐らく至っているけれど最終的なチェックはニカを待たなければならない。つまり株式会社ガンダムの一番のメインコンテンツであるGUNDの製作責任者を監獄にぶち込んでいるという、おかしなことをしているんですよね。ガールズ何とかするより大金積んで頭下げてニカを確保しとかないと絶対にまずいのに、ミオリネも仲間も誰もそれをしていない。
そもそもニカの罪状って、実行犯であるガールズに対して全然軽いだろうという。彼女たちをミオリネの護衛というミオリネの命をドストレートに危険にさらしているポジションにつけられるなら、ニカなんて書類送検で済ませてOKなんですよね。あの直後なんてベネリットグループが解体してそれどころじゃないですし。

だったら何よりもまず、責任者で優秀な技術者であるニカを確保して、安全なGUNDを開発して、実際に使用するところを見せなければならない。学園テロで手足を失ったのはペトラだけではないはずなので(死んだか軽傷かのどっちかしかいないってことになるので)、まだ動ける子たちにテスターになってもらって、死に物狂いで信頼を回復させなければいけないんですよね。そもそもどうやって株式会社ガンダム3年後まで生存させたんだ?投資っていわば借金みたいなものなので、リターンを用意できなければすぐ離れて資金難で潰れるんですが…信用も地に落ちてますし。

それで地球寮のメンバーの服なんですが、私これを見た時すっげー地味だな~と思ったんですよね。いやリリッケなんかは可愛いですけど黒ですし、アリヤなんか特にパッとしない色だし、ティルは他が私服なのに作業着だし、まだ学生時代の寝巻きの方が可愛かったし色とりどりで個性的だったな~と。大人になったって表現なのかもしれませんが、全員20歳そこそこなので、もっと若者らしい色合いでも良かったんじゃない?と私は思っちゃったんですが…。ま、まぁこれは私の服のセンスがないからでしょうけど…

ってか私服で宇宙船を操縦し…!?ノーマルスーツの着用!危機管理意識は!?

アニメを見た方がわかりやすいけれど、星が後ろへ流れていっているので恐らく前へ進んでいる
学生の頃はちゃんとノーマルスーツを着用していたのにどうして…

地球寮のメンバーで言えばチュチュも謎なんですよね。「クソスぺギーク!」って差別の二重使用も引っかかりますが、なんでブリオン社のところにいるの?もしかしてバイトか業務提携ですかね?そりゃ株式会社ガンダム、GUNDを製品化できていないということは、今無収入でしょうからね。実質株式会社ガンダム潰れてて、全員バイトしてんですかね~、世知辛い。もしかしてブリオン社の一部門にまで下がっている可能性もあるんですよね。株式会社ガンダム、という屋号はでてきていないので。しかも資金の面を考えると、ブリオン社に吸収合併されてる方が確かに無理がないんだよな…。いつかのペイルのガンダム開発部署と同じことされてる…。

それでロウジも謎なんですよね。彼、メカニック科なのでどちらかと言えば格納庫や工場、オフィスにこもっているはずだと思うんですが、なんでモビルクラフトに乗ってパイロットであるチュチュといるの…?チュチュはパイロットですし、恐らく元はモビルクラフトパイロットからのし上がったと思われるのでいいんですが、なぜメカニックであるロウジまでモビルクラフトに乗って外に出る必要性が…?別にロウジは室内にいてチュチュからのお叱りを聞いていればよくて、もしくはいつかのニカのように実地で具合を見ているとしても、それなら船や複数人ではなくなぜロウジだけ?そんなに人員がカツカツなの?それともデートなんですかね?どう頑張っても必然性も必要性もないので、謎でしかない。

そもそもブリオン社のポジションも謎なんですよ。ペイル社もジェターク社も、恐らくグラスレー社も全員なぎ倒されて資金がサヨナラしたのにどうやって生き残ってるのか。ブリオン社が弱くて資金がそんなになかったとか、三社が独占していた市場をかっさらっていったっていうのも考えられますが、そもそもブリオン社もNO.4くらいの位置にはいたでしょうし、肥え太っている三社がなす術もなく倒れたならそれ以外の会社も倒れるんですよ、地力がないんですから。

正直ベネリットグループ解散についても何が起きたのかまーったくわからんのですよね、個人的に…。

「私たちの資産は?」と言っているから、ベネリットグループに預けている個人年金とか積立金とかを解放する、つまりベネリットグループという「一会社」を倒産させ、持ち株含めた資産をすべて地球に送る、ということなのかなと思ったんですが、それじゃあジェターク社がダメージ受けてるのが今度は謎になるんですよね。

デリング嫌いのヴィムがベネリットグループに会社が傾くほどの金をプールしておくはずがないとすると、むしろ元気元気しているはずなんですよね。

なのにそうなっていないということは、これひょっとして「ベネリットグループ解散!」で所属するすべての会社も道連れ倒産したってことになっちゃうんですよね~…。どういうことなの。

仮にまぁ、大手銀行もベネリットグループが運営しているので、所属企業の資産も全部集まっているとしても、大手銀行だったら個人も使っているだろうと思われるので、ベネリットグループ解体したらそうした個人の貯蓄も全部放流してしまって宇宙全体が死ぬことになっておわ~…なのでそういうわけでもなかったと思います。これやられると、ベネリットグループ以外の会社も軒並み死ぬというか、リーマンショックの全業界版を起こしたと思うので。

国みたいに予算を計上してお金をもらう形式だったのかもしれませんが、融資が止まったらウチは潰れます!と言っていて、逆にジェターク社とかは融資が止まってもすぐには死なないのではと考えると、それぞれ個別の会社できちんと資本金を持っているということになり、ベネリットグループが解体されても、自分たちの資金で食いつなぐことができる。

ペイルのばあちゃんたちは、会社の金ということで自分たちの金を転がして資産を増やす、脱税というかそういうことをやっていたと思うので、まぁ資産はなくなるんですが、ヴィムはそういうことしないで、普通に貯め込んでいるとしたら、遺産でも食いつないでいくことは恐らく可能でしょうしね。だから銀行経営をしていた訳でもない。

多分ベネリットグループの元ネタは、三菱グループトップの三菱金曜会とか、住友グループトップの白水会とかの、財閥系がモデルなんじゃないかと思うので(三菱は御三家とかあるので三菱かな?)、そうなると彼らは今後の経営方針を決めたり、方向性を決めたりということはやっていても、資金をどうこうするまでのものは持っていないのではないか、と思うんですよね~。

となるとやはり、所属する企業を道連れ倒産したんじゃ…という疑惑が強まるんですよね。先のグラスレー社同様というのも、シャディクがやっていたのは子会社や部署を地球に売却したり合併したりしているので、同様にするとなるとグループ内企業をそうするということなので。

ただそんなこと現実にできるのかぁ?ってのと、合意に至りましたとミオリネは言ってますが、したり顔をしているのはサリウスとセセリアで、他は株式会社ガンダムのメンバーですら困惑しているので、どう考えても根回しをしたとすればサリウスとセセリアだけなのでは…?グエルもこのタイミングでミオリネが話すことに驚いているし、やはり株式会社ガンダムが驚いているんですよね。これ、彼らには一切相談をしていないんですよ。

結局のところ「身内に相談せず勝手に決める」というダブスタ親子の癖はミオリネは治らなかった。ってことなんですよね…。ジェターク社が割を食ったのも、事前に聞かされていないのに戦場に駆り出されて会社で指揮を執ることもできず、何が何やらわからないまま子会社が総崩れに解体され、会社自体もなくなったんじゃないか、と…。

そこをケレスに救われたんでしょうね。新しい共同モビルスーツも、ジェターク社とブリオン社がその前から計画していたとは考えにくいので、3年間、いや一年?二年?で完成させたんでしょう。もう運用して当たり前な感じっぽいので。…ちゃんと試験とか十分にできたのか心配になりますが…

ブリオン社もブリオン社として残っているかはわかりませんけどね。彼らもベネリットグループの傘下なので、一緒に解体されているはずなので、そうなるとケレスが引き抜かれたのはブリオン社ではなく、ベネリットグループとは関係ない他社でしょうね。…セセリアと一緒に働いているので、セセリア経由でベネリットグループが解体されると知った他社がケレスを引き抜いた、って形になるんでしょうが、こういう情報リークするのはまずいんじゃ…まま、ええわ。多分株式の売買には関わっていない、関わってない…と思うので。

そうなるとロウジとセセリアが別れて働いているのは、単純に所属している会社が異なっているからなのかな~?と。それぞれ別会社に引き抜かれたんでしょうね。

仮にブリオン社が存続していて、ケレスが新しいCEOになったとすると、今度は別会社の人間で少し前まで学生の子供に3年未満でCEOの座がかっさらわれているので、それはそれでブリオン社の人材スカスカすぎじゃない?ってことになりますし、そうなるとほぼ文脈としては「乗っ取り」なんですよね。

そもそも先ほども言いましたが、グループの長が勝手に傘下グループの企業を解体して売却したり合併させたり、こんな無法なことができるのかという話で、仮にできるとして心情としてやっちゃあならんだろうし、やるとしても段階的にやらせないと、ほとんどの会社が死ぬんですよね~…。会社一つが倒れるって、そこと取り引きしている会社も損害を被るので、ドミノ倒し的に倒産が波及していって、一社が倒れるだけじゃなく関係各所が総崩れになる。特に御三家なんて規模のデカイ会社は波及効果がものすごいはずです。ヴィムの時計はジェターク社エンブレムがあったので、ジェターク社はモビルスーツ以外にも事業展開をしているとなると、モビルスーツ部門がポシャるだけじゃ済まない。

現実世界では、三菱グループ全部が一気になくなったらどうなるのか、ということになるんだと思います。
多分バタバタとあらゆる企業が倒れていき、その恐怖が伝播して日本社会がガタガタになるのではないかと。

また資産を地球に分配するってひっじょーに危険なんですよ。どういうことかというと、貨幣があふれるとハイパーインフレーションが起こるので、お金の価値が紙くず同然になります。

ハイパーインフレーションとは、簡単に言うと100円のパンが100万円になるような、急激で異常な物価高です。物が不足している時にも起こりますが、貨幣の刷りすぎ、政治の混迷などで貨幣そのものへの信用が失墜することで起こる場合もある。

で、ベネリットグループが解体されて資産を流入された地球って、もろこれに当たるんですよね。貨幣が急激に与えられる、ベネリットグループという一大トップ企業とその周辺企業がなくなることで大混乱が起こる、地球は元々インフレ経済である(輸送費などのコストが嵩んだり物がそもそもない)、ということで恐らく急激なハイパーインフレーションが起こるし、その混乱はなっかなか収束できない。

段階的で計画的に資金を適切に分配できればいいですが、恐らくそういう頭を持っていてこんなしちめんどくさくて恨まれそうなことをやってくれそうな人、作中で誰もいないし、ミオリネの発言も違います。結局地球の資産は宇宙に吸収されたようですしね。

逆に吸収されて良かったですよ。ただでさえ飢えている地球でハイパーインフレーションが起きたら死者数は万では済みませんから。

それでも失業者はものすごい数が未だにいるんではないかと思いますし、皮肉なことにそれは宇宙で顕著でしょう。恐らく。地球はほぼみんな難民みたいなもんですが、宇宙では何らかの仕事があったでしょうから、ベネリットグループでない別企業でも、大手取り引き先だったろうベネリットグループが沈んで、経営が立ち行かなくなった企業は星の数ほどありそうですし。それこそ劇中に出てきたサードパーティーとか。

Twitter、現Xがなくなったら、Twitterのサードパーティーアプリはどうなるのってことですね。まぁTwitterはサードパーティーアプリを自ら締め出しましたが、Twitterを運営する会社自体がなくなったわけじゃない。もしTwitterが倒産でなくなった場合、Twitterを広告としていたところも、サードパーティーアプリも、Twitterで仕事を得ていた人も、利用者も全員被害を被る。

このように巨大企業や、その道の大手がなくなると、一気にいろいろなところが瓦解していく。だから国だとかが守ったりする必要があるんです。

売却したり合併したということで、元ジェターク社とかも地球にあるのかもしれないですが、グエルがすごく可愛そうなことになるからやめてほしいし、そりゃ宇宙が取り戻しますよ!

ここら辺結局どうやって解決したってのかもわからないし、3年間の混乱などもわからない。ニュース番組がちらっと出ますが、Google翻訳で、

「元ベネリットグループ経営陣に対する公聴会が今年再開される。
 クインハーバーの生き残った家族やクワイエット・ゼロの犠牲者たちは今も憤慨しており、これらの問題は次のラウンドに持ち越されるだろう。」

クインハーバーやクワイエット・ゼロ犠牲者に対するものっぽくて、経済的なものについてはない。今年再開されるってんで、ここにありそうですが、しかし一年目はやったけど二年目はやらなかったって、どういう…直後に公聴会だけ開いたんですかね?これまぁ、公害での訴訟問題みたいな感じでしょうが、司法機関もう宇宙議会連合がアホやったからないかもしれないんだよなぁ…絶対延々やる羽目になるなぁ…裁判で決着できないから。お孫さんの代までたっぷりなんじゃ…。

こうやって見ると、社会としてかなり滅茶苦茶なんですよね。どう考えても3年後とか呑気に言ってる場合じゃないんですよ。

…ミオリネ、ガンダムに子供を奪われてデモしてるっぽい女性に謝ってないんですよね…こういう時はポーズでも謝った方がいいんですが…また経済的なうんちゃら~で何とかしようとしているんでしょうかね…。それともGUNDの安全性とか義足とか?だから現物もないし信用もないでしょうが…

とまぁこのように、社会人として少し働いた身からすると、え~どういうこと~のオンパレードなんですよね。まぁこの作品は企業について真面目にやってるかというと全然やってないので(本格的に企業闘争や駆け引きが始まるかと思った総裁選がすぐクワイエット・ゼロや競争相手のシャディクが消えて丸ごとなくなっちゃったので)、その延長線上だからという見方もできるんですが…

「―――企業の話も色濃くなりつつあります。(中略)
 『機動戦士ガンダム』の時代に比べて現代は、より戦争から遠い世界をみんなが生きていると思うんです。(中略)学園の外にある大きな大人の世界が軍隊でいいのだろうか?軍隊の軍法会議より、上司からパワハラを受ける会議のほうがみんな理解しやすいんじゃないだろうか。」
(機動戦士ガンダム水星の魔女 第1クールファイナルブック 『機動戦士ガンダム 水星の魔女』スタッフインタビューVol.3 シリーズ構成・脚本 大河内一楼 より引用)

とあるので、企業については意識していて、描きたいと考えていたはずです。(企業の話でパワハラしか言及ないの浅くない大河内さん?とも思いますが)

私のごひいき、ジェターク社の方に目を移すと、まぁひどい。多分彼らが一番どうしようもないところにいます。社会的にも。

グエルは引き続きジェターク社(これも社名変わっているかもしれませんが便宜上)のCEOとなっていますが、御三家と呼ばれ恐れられていたかつての勢いは見る影もありません。

オリジナルのエラン・ケレスは、今まで知っていたエランではないからエラン呼びはしていないとしても、同い年であるのにケレス「さん」とさん付けです。このことから、彼らのパワーバランスは明確にケレスが上、グエルは下となっています。

実際彼から仕事をもらっていたり、以前には従業員の就職先の斡旋やアスティカシア学園の存続と、それらに配属するトレーニング用モビルスーツの開発を彼の会社と共同でやったのだろう部分といい、ケレスの助けを借りなければ会社存続も危うかったし、未だに彼の助けがあるというのは「ありがたい」ことなのです。まぁここはリップサービスもあったのでしょうが、その後の「会社、立て直したいんですよね~?」というセセリアの言葉からして、まだまだかなり窮地は脱してはいない。

またこれ、セセリアも酷いんですよね。

「この利益配分、ウチに厳しくないか?」「会社、立て直したいんですよね~?ジェタークCEO?」

利益配分が厳しいということは、正当な金額でジェターク社に仕事が回されていない。しかし会社を立て直したいからと飲むしかないと足元を見られているし、ダメ押しにそういった不当な仕事を持ってきている側が、飲むしかないだろ~?と言ってきている。

これ根深い問題とされている下請けの搾取構造そのまんまなんですよね。

立場が低い方に、権力や財力を笠に着て正当な報酬を支払わずに仕事をさせる。そしてクオリティは正規値段以上を要求する。そんなことできないと断ったり金額交渉をすれば、「あっそ」と手を引いて他へ仕事を回す。

さらにかつて助けてやった恩を交渉材料に持ってきているので、未だに問題になっているクリエイターに対するやりがい搾取でもあるんですよね、構図が。

前に助けて「やったんだから」私の仕事は格安で受けろよ。金額交渉?おいおい。助けてやった恩を忘れたのか~?しかもお前に仕事まで持ってきてやったんだぞ?感謝してほしいぐらいだね。

これとやってることおんなじなんですよ。ケレスとセセリア。

いやグッッッロ!!

これをよりにもよってクリエイター集団であるアニメ会社がアニメとしてお出ししているのもグロイ。彼らは現在進行形で搾取されている対象ですし、まさにやりがい搾取で正当な報酬を未だに受け取れていないし、ブラック労働を強いられている被害者たちなのですから。

…ギャグ描写にしてますが、初見からいやいやいや、でしたね…私は。全然笑えない…。

こういった搾取を、ケレスはまぁ性格悪いとさんざん言われていますしそんなに描写がないから、まぁいいとしても、セセリアにやらせるのか…と。

彼女は嫌味なキャラですが一本芯は通っていて、そこが魅力的です。ミオリネを見届けたり、学園の危機にぽんとデミバーディングをチュチュに与えて、そのまま彼女たちのものとしたり、結構好きなキャラクターでした。

でもこの搾取はないだろうと。仮にグエルに対して何か思うところがあったにしろ、個人的な私情を仕事に持ち出してきてはダメだろうと。私情でないのならば、このような下請け搾取やりがい搾取を嬉々として行う下種であったのだと、そういうことになってしまう。

そのセセリアもまた妙なことになっているんですよね。

彼女はケレスの私設秘書のような立ち位置のようですが、本来であれば彼女はブリオン社のトップ層に座しただろう人物です。決闘委員会のメンバーでも結構重要なポジションにいるっぽいですし、新製品であるデミバーディングをぽんと貸し与えられるのですから、それだけの権力をもった人物です。

なのに彼女のたどり着いたポジションが秘書って、ちょっとキャリアとしては残念ではないか…?と。

いや職業差別では決してないんですが、彼女はむしろ秘書を雇う立場になれただろうし、誰かのサポート役ではなく会社を直接的に動かしていく適正も、力もあったはずです。自分が計画を立案して、交渉して、役職のあるポジションでバリバリ働いていくだけの能力が。

しかも秘書の立場としても、やらされているのは契約書類を書くという雑事で、椅子も用意されない。

…これって、女性のキャリアが秘書で頭打ちだった時代にまで逆行しているようにしか私には見えないんですよね…。まだ男性の部下を秘書代わりにこき使っていたヴィムの方がジェンダー意識は高くない?となって、明らかにおかしい。

そしてジェターク社の人間関係もこれまた…。

個人的に一番引っかかるのがカミル・ケーシンクです。彼はジェターク寮のチーフメカニックだったので、まさに新しい世代でその中でもトップに優秀な人材です。メンタル面でも3年間をグエルと共にし、トップパイロットである彼のモビルスーツをメンテナンスしてきた、親友と言ってもいいだろう間柄。

のはずなのに、なぜか彼は違う会社に就職しているんですよね。

えぇ~~~????!!!!

ジェターク社は新しいモビルスーツを作っていることから、まだメーカーです。メーカーにとって技術者というのは何よりもまず確保すべき人材です。物が作れなかったら話にならないんですから。しかも会社の規模自体が小さくなり、人材が流出したジェターク社にとって、若くて優秀で人をまとめた経験もあるカミルは、採用即メカニック課長に据えられるだろう好人材です。長はすでにいるとしたって、少なくとも幹部候補生としては手堅い。それに彼はジェターク寮で3年間を過ごしたので、ジェタークというカルチャーを知り尽くしている。こういう意味でもむしろこちらが頭を下げてでも確保するべき、それだけの価値があるはずです。

それはグエルという個人にとってもです。CEOとしてこの困難な状況を打破するためには、気心の知れた仲間はいればいるほどありがたい。中でもカミルは最高の人材です。グエルではカバーできない技術面の深い知識と技術を持ち、もしかしたらあの中でただ一人グエルがダリルバルデの次世代AIに難色を示していたのを見抜いて、それを使うかどうか確認してくれる。メンタル面でも非常に頼りになる存在。

それをみすみす手放している。

いずれ雇いなおすにしろ、その前にシンプルに倒産のピンチなんだからそんな悠長なこと言ってないでとっとと雇わないとダメなんですよ。あんな優秀な人間が新しい会社でいいポジションを与えられていないはずがないんですから。いや、なんか微妙ですけど。

この就職した会社ってのもねー…

パイロットであるフェルシー、メカニックであるカミル、オペレーターだった茶髪の子と、能力や適性がバラバラな子たちを一緒くたに扱ってるんですよね~!言うなれば、営業とエンジニアと受付に適性ある子を全員まとめて工場勤務させてるみたいな感じなんですよ。なんで生身で荷物運んでんの?

いや荷物運んでてもいいですよ?いいですけど。

フェルシーは戦闘用ではないモビルスーツやモビルクラフトに乗って、カミルは荷物を仕分けするロボットを点検して、茶髪の子はフェルシーに指示を出したり、そういうのでも良かっただろうと。だってこれ、おそらく彼らが学んだ知識が生かせる職場ではないんですよ。あるいは誰か一人の知識しか生かせない。だって全員まとめて同じ仕事してるっぽいんですから。

これが彼らのやりたいことじゃ絶対ないだろー!!!と。

学生をテーマにして、しかも職業訓練校みたいなところが舞台で、まさか全員夢破れてバイトしてますみたいな結末になるとは、わたしゃあたまげましたね…そういう作品もあるのかもしれませんが、あまりにも現実の中でもひどすぎるし夢も希望ない…。

おまけにこれ何でこうなったかって、会社がアボンしたからなので、彼らのせいじゃないんですよ。大人のせいなんですよ!!

もうこれだけでもグロッキーですが、まだまだあります。

どうもあの世界、これから宇宙が戦場の主舞台になるんじゃないかという描写もジェターク社のところで詰め込まれているんですよね。

アスティカシア学園の新しい制服ですが、セーラー服になっています。セーラー服と言えば女子高生ということで、かなりユニセックスにこだわって性的なアイコンを極力消していただろうに、突然そういう属性を配置したのかとも思いましたが、制作陣がセーラー服萌えをこじらせたわけではないとすると、もう一つの可能性があります。

それが船での戦闘がこれから起こるという暗喩です。セーラー服とは水兵の服が元で、ガンダムというコンテンツにおいて船とはすなわち宇宙船です。

これからの世代を担う学生が、水兵の服を着ている。ということは、これからの主戦場は宇宙であり、局所的なものではなく艦隊を率いた「戦争」になっていく。そういう未来の暗喩なのではないかと、こういうわけですね。

これもう明確にバッドエンドだろー…!

局所的なテロによる戦闘ですらこれだけ悲劇が生まれているというのに、本格的な戦争が起きればこの比ではなく人が死ぬ。戦争シェアリングもなくなったとすると、ある程度の犠牲が計算されたものではなく、犠牲が青天井になるような本当の戦争が起きる。それは恐らく、アーシアンとスペーシアンの対立による戦争なんでしょうね…。

こうなってくると地球側が学習支援を受けられるようになったというのも、手放しで喜べないんですよね~…。今までスペーシアンが一方的にアーシアンを虐殺できていたのは、彼らが資源も持っていなければ頭も持っていなかったからです。でも学習支援を受けられれば、スペーシアンの中枢に入れるような優秀な人間も当然出てくるでしょうし、そうした人間が虐げられてきたアーシアンのために立ち上がることもあるでしょう。

それこそシャディクのように。彼は学ぶ機会を与えられ、運よくスペーシアンのトップ層であるサリウスに引き取られた。だからこれだけのテロを行い、犠牲を出せたのですが、言うて彼は一人だったので、防ぐこともできた。

ところがこれが何人も出てきたらどうでしょう。グラスレー社の中で協力者がいたということは、スペーシアンの中からも離反者を出すことができる。革命の炎は未だ消えず、いずれ第二第三のシャディクが現れる。その可能性が高くなる。

それを何とかできたらいいんですが、別にグエルはセドに対して再会しても興味なしだったので彼もやらないでしょうし、ミオリネも地球との和平が進んでいるわけでもない。スレッタの学校…うぅ~ん…。

とまぁこんな感じで、ありとあらゆるバッドエンドがなぜかジェターク社に詰め込まれているんですよね。

グエルとラウダについては、まぁ~彼らについては、それぞれがそれぞれの選択をしました。おしまい、と言われたら客観的には「さいですか」としか言いようがないんですよね。個人的には、いやいやえぇ…なんですが、3年間の月日が流れている、そしてペトラが身体障害を負ってしまったので、それを支えると決めたラウダの決意は客観的に見れば間違ってはいないんですよ。ここにメスを入れるには彼らのキャラクター性の「推測」になってしまうので、難癖っぽくもなっちゃうんですよね。だって普通に考えたら憎からず思っている相手が両足を失うなんて怪我を負ったら支えたいと思うのは悪いことではないんですから。

ただ、もし仮に私が表題に掲げているように男性社会の規範を壊すのがこの兄弟のテーマだったとしたら、真逆のことになってしまっているんですよね。

男性の価値観から元から解放されていたはずのラウダが、なぜか一番「男とは伴侶を持つべし」という規範に従わされて、ペトラという伴侶を得ている。そして彼女は身体を損なっているし、ラウダにべた惚れなので、まさに男が庇護しなければならない「か弱い」女性である。

グエルはラウダという人生のパートナーを得ていたはずなのに、何でかそれが離れていくのをよしとして、仕事のために人生を捧げている。これもまた男性の「男とは仕事に生きるべし」という規範の内である。

二人とも男性社会の規範の中にそれぞれ収まってしまっているという結果になっていて、男性社会の規範から解放されるどころか、むしろ強く囚われてしまっている。テーマが真逆なんですよ。

とまぁこんな感じで、どう考えてもおかしいんですよね~…。でも邪推ですが、これだけおかしいのはさすがにわざとなんじゃ、とも思うんですよね。

だってもっといい感じで終わらせるのなんて簡単だったはずなんですよ。でも深く見た人なら見た人ほど違和感を持つように仕上げている。それぞれのキャラクターに注目した人も、世界観に注目した人も、それこそ新しい物語が描かれるのではと期待した人たちも全員肩透かしを食らったどころか、裏切られたと思った方も多いのでは?私も兄弟の物語がこれから始まると思っていたらこうなって盛大にずっこけたんですが。

しかし当初からSNSでのコントロールも上手く、少なくとも一期は細かい描写も物語の整合性も必然性もあったのに、二期では途端に崩れ始めているのは、これは偶然ではないだろうと(12話の「やめなさい!」が不要だという見方もありますが、私はその後の展開で必要不可欠な描写だったと思います、それはまた続きで)

まぁまぁまぁ、私の陰謀論まがいの愚痴はここで終了です。一応ね、兄弟のテーマ性が真逆なんじゃというのが言いたいのと、どうしても我慢できなかったので、最初に書いてしまいました…。

次は魔女って結局なんなの~?というところをやっていきたいと思います。こんな愚痴プラス冗長な文章にお付き合いいただきありがとうございました。見放していなければまた次回もお付き合いください。

ではまた。

※なお、この考察はあくまで私の考えであり、確定情報ではありませんので、この先設定が明らかにされて否定されても、私自身に責任は発生しないものとします。
当ページに載せているスクリーンショットは考察による説明の補足として引用しているものであり、三次利用はいかなる理由があろうとも禁止とします。