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【水星の魔女考察】ラウダ・ジェタークの意味

皆さん、23話見ましたか?狂ってますか?私は狂ってる!!

ずっとグエルの愛情もクソでかだし、執着もすごいんだけどな~…。どうして出ないんだ…って思ってからのアレ!っかぁー!俺は!ずっと!これを見たかった!!

はい。そんなわけでTwitterでグエルのクソでか愛をつぶやいてたんですが、ラウダの愛についても、もしかして私が思っていた以上の覚悟と愛情をもっての23話か?と考えついたので、久しぶりに書いていきます。1万字超えですよ!でもすごいから!じっくり見て行ってね!

あ、あと、グエルの刃が消えてラウダが驚く寸前、つまりラウダがグエルに突撃していっていた時の一瞬の顔のスクショに成功したので、それだけでも見ていってくださいませ…。本当にね、あの子の…素晴らしい心が映ったものなので…。

※なお、この考察はあくまで私の考えであり、確定情報ではありませんので、この先設定が明らかにされて否定されても、私自身に責任は発生しないものとします。
当ページに載せているスクリーンショットは考察による説明の補足として引用しているものであり、三次利用はいかなる理由があろうとも禁止とします。


ほんへ


実はワタクシ、23話のラウダの
「父さんを殺した罪を、ペトラを傷つけた罪を、あの女に、償わせないと言うなら…!僕が、ジェタークの誇りを守る!魔女に取り込まれた兄さんの代わりに、僕が!罪をすべて背負う!僕が…ラウダ・ジェタークが!!」
こことその後にグエルに突撃していったのになんかすごい違和感があってェ…

これ聞いた時は細かいところが矛盾しているし「僕がジェタークとなって誇りを守る」つまりグエルを殺した成り代わりをするつもりなのかなって、そこが今までのラウダらしくなくて違和感だったんですけど、これ逆にラウダがグエルに自分を殺させようとしているんじゃないか?と思いまして。

だったら意味がすべて通るし、ラウダのこの「ラウダ・ジェターク」という意味は、もっとずっと重く、深いもので、その決意に、心に、私は震えたんですよね。私が勝手に考えただけですが!

先にも言った通り、サラッと読むとグエルを殺してラウダが成り代わる異母弟逆襲物語のように見えるんですよ。ラウダもストレートに向かって行っていて、刃もコクピット付近に突き立てられ、まさにグエルを殺そうとしているではないか!ってところなんですが。

しかし、こんなドストレートな見え見えの攻撃、グエルならかわすのも切り払うのも訳はない攻撃ではないでしょうか?シュバルゼッテはガンビットを装着していて、恐らく推進系の形態だと思うんですが、グエルはラウダとまだ距離がある段階から刃を抜き、ラウダの刃が来る前に攻撃態勢に入っている。だからグエルの反応が間に合わないような速さで突っ込んで行っているわけでもない。

そんな攻撃を、グエルの力量を、戦いを熟知しているラウダが、本気でグエルを殺す目的でするでしょうか?

ラウダはすでに、ビットによる攻撃でメイン武器である槍を破壊し両足をまとめて切断しています。だから本気であるならば、むしろ向かっていくのではなく、先ほどのように離れてビットで攻撃し続けていればいいはずなんです。

でもラウダは最後には肉弾戦の真っ向勝負を選んだ。それがジェタークソウルだからとも取れますが、
ヴィムが受けて立ったのはグエルが向かってきたから、
グエルがヴィムへ向かったのは逆転にはそれしかなかったから、
グエルがシャディクへ向かったのは罠にかけるためだったから、
それぞれに必ず理由があります。だからラウダにも理由があるはず。

ではラウダは何を狙っていたのかと言えば、少なくともグエルを殺すことじゃない。ならばその逆。グエルに自分を殺させることとなります。

どーゆーことやねーん!と整理しますと。

ラウダがあの時言っていたのは、「ミオリネに罪を償わせないなら自分がジェタークの誇りを守る」「魔女に取り込まれたグエルの代わりに罪を背負う」「ジェタークの血を引く自分がそれを行う」
一見成り代わりのような言葉。でもこれがラウダが自分をグエルに殺させることを目的として発した言葉だとしたら意味が変わってきます。

つまり、

「愛人の腹から産まれた異母弟が、ジェターク家の正統継承者の異母兄を
 殺して、ジェタークの姓を名乗って成り代わろうとした。
 それを正しく当主である兄が殺した。魔女と化した弟を、兄が裁いた。
 ジェタークのために。」

ラウダはそういうストーリーを作ろうとしたのではないでしょうか?グエルを守るために。
実際ガンダムに乗り総裁を殺そうとしたラウダを迎撃し撃破したことになるので、グエルの行動は全くもって正しい。少なくとも世間はそう判断するでしょう。
グエルがどれだけ訴えようが関係ない。ラウダの出自と事実、グエルが守った結果為される功績(クワイエット・ゼロと惑星間攻撃兵器の無力化)に、世界は勝手にストーリーを作る。

そのストーリーにライバルの頭をぶっ叩いてきたヴィムをグエルに見る。血のつながった弟すら堕ちれば手にかける「実績」を手に入れたグエルを「ヴィム・ジェタークの息子君」と侮る人間はいなくなる。
愛人の息子にも情けを愛を注いでやったのに裏切られたグエルに、人々は同情するでしょう。

たった一人、ラウダが死ねばジェタークはものの見事に再興できる。

…ここまでラウダが考えてたかってことですが、少なくともグエルの罪、魔女に加担した罪すらすべてを被って代わりに罪人として死のうとしていたのは確かではないか?と思います。ラウダの「罪をすべて背負う」という言葉的に。

そしてラウダはグエルがもう「戻らない」と諦めたんじゃないかと思います。

「ラウダ…!もうやめるんだ!これ以上は…!」
「目を覚ますのは兄さんだ!!」

ここが最高に意味が通ってない会話なんですが、ラウダにとっては自分の武装を放棄させようというグエルの説得は、恐らく全部「ミオリネに刃を向けさせないため」ミオリネを守るための行為に見えていたんじゃないかと思います。なぜなら、ミオリネを魔女として断罪するのはラウダにとって正義で、グエルはラウダよりもミオリネを選んだ、魔女にたぶらかされてしまった側の人間なので。

だから自分を止めようとするグエルの言葉はすべて、その先にいるミオリネを守るための言葉として聞こえていたとしても不思議ではありません。

「よせ!シュバルゼッテは、ガンダムはお前の命を…!」
「だったら殺して止めなよ…!父さんみたいに!」

ここでストレートにラウダの命を心配した言葉がけをしているのに最悪の返しをしているのも、自分の身ではなくミオリネを心配しての言葉だと、ラウダは本気で思っていたからここまで酷い返しができた。いかにも僕の命を気遣っているという詭弁で騙そうとしたんだ、と考えたんだとしたら、ラウダ視点からは酷い裏切りなので、一番グエルが言われたくなかったこと、隠したかったことを突き付けた。

「目を覚ますのは兄さんだ!!」

これも、ここまで戦って、さらけ出して、それでもまだ自分にガンダムから降りるよう説得する、ミオリネを守ろうとするグエルの目を覚まさせたかった。違うだろう、どうして魔女をかばうんだ。僕はこんなに、苦しくて、死にそうで、そうだ、死にそうなんだ。死ぬかもしれないんだ。なのにどうしてまだそんなことを言うんだ。どうして僕じゃなくてミオリネを選ぶんだ。そんなに…そんなにあの魔女が大事か?

…そうか。兄さんはもう、あの女に取り込まれてしまったんだね。もう取り戻せないんだね。

僕の言葉は、命すらもう、あなたには届かないんだな。

「父さんを殺した罪を、ペトラを傷つけた罪を、あの女に、償わせないと言うなら…!僕が、ジェタークの誇りを守る!魔女に取り込まれた兄さんの代わりに、僕が!罪をすべて背負う!僕が…ラウダ・ジェタークが!!」

でもそれでもラウダは、グエルを守ろうとした。この「ジェタークの誇り」は、恐らくグエルです。なぜならラウダはこれからジェタークの罪をすべて背負うつもりで、むしろ「ジェタークの罪」になろうとしているのだから。

魔女からもうグエルを救い出せないのなら、せめて彼を罪人ではなくしてあげたかった。元の、ジェタークの誇りである兄に戻してやりたかった。

だからラウダは代わりにジェタークの罪そのものとなろうとした。グエル・「ジェターク」に含まれる罪をすべて自分が引き受けて、彼の中には何も罪はないんだ、むしろジェタークの罪を自ら裁いてみせた誇りある人なんだ。グエル・「ジェターク」は、ジェタークの誇りなんだ。

そういう風にしたかった。のかな~!と。

「父さんを殺した罪を、ペトラを傷つけた罪を、あの女に、償わせない(あくまで自分の罪だ)と言うなら…!僕が、ジェタークの誇り(兄さん)を守る!魔女に取り込まれた兄さんの代わりに、僕が!罪をすべて背負う(ジェタークの罪になる)!僕が…ラウダ・「ジェターク」が!!」

だから兄さん。僕を裁いて=殺して、大切なものを守るんだ。あなたの罪を僕が全部背負うから、魔女になるから、ジェタークの罪になるから。兄さんはジェタークの誇りになるんだ。僕がそうしてみせる。この、ラウダ・「ジェターク」が。

ラウダにとってグエルの本当に大切なものは「父親との繋がり」であるジェターク社であるという前提。突然出てきたジェタークの誇りというワード。ラウダが罪をすべて背負うと言い出した意味。グエルだけの罪であるはずの父殺しも含めたこと。何よりグエルを殺そうとしたこと。

これらはすべて突飛なものでもなく、ラウダが錯乱していたからではなく、情動にあふれ、だけれど精一杯冷静で理性的であろうとした、兄を支えようとした弟が考えた、グエルを守るためのラウダの答えだった。ってなことにね、なるんですよね~。

そして結局、ラウダはグエルを最後まで殺そうとしていたのかというと、アニメ描写だけなら否の方が大きいのかな~と思います。グエルが刃を消したのは本当に直前ですし、真正面から抱きしめられているので、体ごと刺しに行っている状態では小手先だけではなく体ごとそらさないと軌道をずらすのは難しいんじゃないかな~と思うので。グエルもまた、避けるのではなく正面からラウダを抱きしめるために、直前まで攻撃すると見せかけ、正面から抱きしめるためにこそ正面に陣取っていると思うので、グエルは元から避ける気はなかったとすると、ラウダが最初から軌道をずらさないとあの位置に刺さることすらしなかったのではないか、と私は考えています。

ただラウダはこの程度グエルならば避けられると思っていると思いますし、グエルに本気で自分を殺させるために「こちらは本気である」と思わせなければならないので、本当に紙一重分しかコクピットから攻撃の軌道をズラしていないと思うのですが、それでもフリでも彼にはグエルを殺す位置に攻撃することはできなかったのではないでしょうか?

っていうかですね。百聞は一見に如かず。これはグエルが刃を消したのを見て驚くラウダ、の一瞬前の表情なんですが。

キャワ…!うっうん!(咳払い)

これが、本当は殺したくないのに殺さざるを得ない故の表情であると感じるのも自由ですし、自分の死を覚悟しているが故の表情であると感じるのも、もっと違う何かであると感じるのも自由です。
私は死を覚悟していると感じた方なので私なりのものを述べさせていただきますと。

ラウダは最後までグエルを殺すフリすらできなかった。自分が罪人というレッテルを貼られて死ぬことはできても、兄を殺すことだけはどうしてもできなかった。
魔女に取り込まれても、正しい行いをできなくなっても、それでも愛することをやめられなかった。だからこそ、彼のために死ぬ決断をした。

ただ兄を肩書だけでもジェタークの誇りとするために。

ラウダの思惑が上手くいったとして、変えられてしまったグエルが元に戻ることはないんですよ。彼の考えをラウダは是正できなかったので。だから本当に、肩書だけでしかない。変えられるものは世間の印象だけでしかない。

それでも、それだけでも、変えられるのであれば、自分が死ぬことも、グエルから殺意を向けられることすら許容できるんですよ、ラウダは。自分の知ってる兄ではない、変えられてしまった兄だとしても。恐らくラウダがグエルに向ける愛はそういう愛であり、彼の「支える」とは、ひたすらにグエルを生かし守ることだけを願うものなんです。

でもただ生きているだけでなく、グエルが生きたいように生きられるかも重要で、だからドミニコスのエースパイロットの夢を応援して、今回もグエルがミオリネを許容してしまっていて、変えることができないから、それがグエルの意思なら、可能な限りそれでも正しい道に進めるように最善を尽くす。だからグエルの中身ではなく、肩書を変えようとしている。ジェタークの罪からジェタークの誇りに。

いや~、いろいろな愛の形はありますし、ラウダは時々エキセントリックな方向に自然と突っ走っちゃうので危うくもあるんですが、それでも私はこの子の愛の根底が一番美しいなって、そう思ったんですよ。考察外してたらあれですけどね!

ミオリネを殺すこと、グエルに騙されているのだと気づいてほしいということ、今までほったらかしにされていた恨み節、信じてもらえない無力感。でもそれらが生み出される根っこの部分は、ただひたすらにグエルが自分の思う人生を生きられますようにという祈りなんですよ。変わってしまっても、愛されなくても、それでもグエルの幸福を願う。彼が笑う世界に自分がいなくたっていい。ただグエルが幸せであるならば。

それがラウダの根幹なんです。

いやもうね。こんな深くて純粋で限りない愛があっていいのかと。これをたった18歳の子が、いや出会ってから今までずっと、そしてこれからもこういう愛を根底に抱き続けるんですよ。ヤバくないですか?これがこの先失われてしまうはずがないので。
だってこんな綺麗で美しい愛ですよ?彼が間違えているのは「行動」であって、グエルの幸せをただ願うこの愛は決して間違いなんかじゃない。

兄の方はラウダを抱擁する、ただそのためだけに命を弟に委ねて武器を手放せる。逃げ回っていた罪を断罪されて、ラウダから愛されていないという事実を目の当たりにしたのだとしても、弟の命を守るためならば、無念のままに死んでもいい。
弟の方はグエルの代わりにすべての罪を背負い、罪人として名を遺しても構わない。グエルを罪人ではなく誇り高い男だと世界に認めさせるためなら、その兄に殺意や害意を向けられたり、あるいは嫌われてでも、兄の生きる道を守るためにすべてを捧げてみせる。

もうなんちゅう兄弟なのかと!不器用で間違ってて、だけどその根底にある愛はどこまでも深くて大きくて、相手に対する慈愛に満ちている。

そして「ガンダムなんて、もう乗るな」と言われてようやく、ラウダの呪いが解けるんですよね。

グエルが逃げなかったのはシュバルゼッテのシェルユニットを破壊するため
自分の命よりもラウダの呪いを解くのを優先してくれたのも伝わったのかもしれない

グエルはミオリネのためじゃなく、本当にラウダの命が心配でガンダムから降りろと言ってくれていたのが、ようやくラウダに伝わる。

だからラウダからパーメットがなくなり、初めて涙を流す。自分が最愛の兄に何をしてしまっていたのかに気がついたので。

あれは殺しかけてしまったのもあるし、酷いことを言ってしまったのもあるし、グエルの心配を無下にしてしまったことでもあるし、自分がどれだけグエルに愛され、彼の中で大切な存在になっていたのかわかっていなかったことにでもある。

グエルが離れていくのを見ているしかなかったのは
彼がもう助からない、助けられないのだと伝わってしまったからなのかな
フェルシーのあの救護のための装置がないともう助けることができなかったのだと思うので

グエルについては、ラウダの計画については気づいていなかったと思うし、ラウダの本心にも気づいていなかったでしょうが、自分を殺さなかったことでラウダの愛情がまだ自分にある。許されていたんだとようやく確信できた。

あれはね~…ようやく二人が愛し合っていたことを確認した、たっぷり23話すれ違っていた二人がようやく自分に向けられてたデッカイ愛に気づいた、そういうね、ハレルヤ~!な瞬間だったんだと。

フェルシーありがとう!!!

まぁこの考察はラウダが初めからグエルに殺意バシバシだったらそもそも成り立たないんですが、でも戦闘見てるとどうにもこうにもラウダが本気でグエルを殺そうとしているとは思えないんですよねぇ…。

最初の機銃を撃っているのも結局グエルに一発当たった(しかもかすった)程度だし。

威力がヤバそうな収束ビームも、まず明後日の方向に撃ってから、グエルの周りをかなり距離を空けて回しているし。

まず撃って→グエルに狙いを定める→グエルの左→大きく回って右

ビットでの攻撃も、グエルが唯一攻撃を切り払ったんですが、これだけで、このすぐ後に線状のビームで囲んで槍を壊し、頭を狙ったのか?背面の排熱板を破壊する。

その後は棒立ちのビット攻撃でグエルの足を切断するほどに追いつめ、散弾を3発撃って装甲をボロボロにする。

とまぁこんな感じなんですが、ラウダはシュバルゼッテに初めて乗ったので、どうも武装を確認しながら戦っているのではないか?とも思えるんですよね。

収束ビームは見るからに威力が高そうなので最初から外して撃ったら本当にコクピットも切断できそうな激やば威力だったので、一回だけで封印。

ビット攻撃は最初、自身の白兵戦と織り交ぜていたけれど、多分機体制御とビットの精密制御が両立できないので、機体制御を捨てて棒立ちになってビットの精密制御をとった。実際グエルが攻撃を切り払ったのも、ラウダが蹴飛ばしてからの初撃なので。

エアリアルも「あっぶな!」という場面が何回かあるので、あの頭への攻撃(というか当たり所悪いとコクピットぶち抜きコースだったんでは…)もそこまでするつもりはラウダにもなくて、白兵戦だけだとグエルには勝てない、けれど白兵戦と織り交ぜるのでは危険。なら、機体は動かさず、ビット制御のみに集中しよう。ということだったのではないかなと。

とはいえラウダの戦闘スタイルとしては、白兵戦が主で、遠距離武器は牽制や誘導に使う程度な気がするので、ビット制御のために棒立ちになっているのは、一番グエルを追いつめたけれど一番ラウダらしい戦い方ではなかったのかなと。

グエルが初めて反撃したのもビット攻撃に対してで、ラウダの乗っているMS本体ではないから攻撃できるのかな?とも思ってそれもあったとは思いますが、元気に相手の懐に飛び込んでくる戦闘スタイルのラウダが、棒立ちで佇んでいるだけでも異常事態で、さらに荒い息遣いや苦痛の声が通信越しに聞こえていたとしたら、もうラウダの体は限界で、早く終わらせないとラウダが死ぬと、決着を焦った面があったとしても不思議ではありません。足をもっていかれるのは反撃した後で、それからまた逃げに徹したら避けまくっているし。

線状のビームが槍の先端をピンポイントでバラバラにするという繊細な攻撃をしていたので、一番ラウダがコントロールしやすいスタイルだったんですが、結局棒立ちだし一方向からの攻撃なので、グエル相手ではそんなに長く続かないなと、これも没。

散弾3発は、これが私は一番大好きなんですが、殺す気はなくても傷つける気は満々なんですよね。武装を破壊したり、機動力を削ごうとしたり、止めることに全振りしていたのが、初めてグエルに対して傷つけるためだけの攻撃を行った、記念すべき瞬間だな~って。
だって3発ですよ?動きを止めるためなら1発か2発程度でもいいじゃないですか。散弾だからどの道よけずに防御するしかないんですから。どう避けても当たるので。でも3発撃った。「目を覚ますのは兄さんだ!」って悲鳴といい、あれは本当に、「黙れよ!」というグエルの叫びと同じものを感じるというか。

それからの「僕が罪をすべて背負う」ですからね~、いつまでたっても心を改めない兄さんに、一発ビンタでもしたくなったというか、もう心が限界だったというか…。

まぁこんな感じで、ラウダはグエルを殺す気はなかったんじゃないかな~と。そもそもビットと白兵戦を織り交ぜていたら、恐らく勝ててるんですよね。同じガンビット装備のエアリアルは、普通に十対一みたいな状況になるんで、あれだけ粘れるグエルは十分異常なんですが、それでもダリルバルデと違い一般武装しかないディランザでは、一方的に撃たれっぱなしなので、ダリルバルデのようには粘れない。
シュバルゼッテはエアリアルよりもビットは少なくても、白兵戦に長けている、かつ遠距離武器を牽制に使うラウダとは相性がいいんですよね。何しろ牽制の攻撃が牽制ではなく即死攻撃になるので、避けるか防御するか、グエルのように切り払うか、いずれにせよデカすぎな隙が生まれるんで、そこを刈り取られる。

シュバルゼッテに粘ったグエルの技量が称賛の的になっているけれど、私は現役とはいえ2世代前のディランザに乗っているグエルをあそこまで傷つけないで追い詰めているラウダの技量もすげぇんだぞ、と言いたい。吹き飛ばしたのも足で、無力化したいなら腕を吹っ飛ばした方がいいのに、コクピットに近いから万一当てないようにというラウダの気遣いがね、見える!

そもそもラウダ自身が答えを言ってますが、彼は「兄さんに並べる。兄さんを止められる」と言っているので、やりたいことは傷つけることでも屈服させることでもなく、ただ止めたいだけなんですよね。そして止めるっていうのは、実は力関係がちょっとでも上じゃないと難しい。例えば力が上なら、腕をつかめば走り出すのを止められるし抵抗されても力で押さえつけられるけど、力が同じだと腕をつかんでも抵抗したい相手と止まって欲しい自分とで、結局取っ組み合いの喧嘩で決着をつける羽目になる。
シュバルゼッテでの戦闘も、恐らく力関係としてはラウダの方が上になっている。だから止められる。足止めできる。グエルをなるべく傷つけない方法で。

話が脱線しましたが、まとめると。
ラウダはグエルを殺すつもりはそもそもなかった。グエルに、魔女の犯した罪を償わせるという、正しい道を選んでほしくて説得しようとした。でもグエルはいつまでたっても償わせようとしないので、もうグエルは魔女に取り込まれてしまって二度と戻らないのだと悟った。このままでは兄さんは魔女と同じ罪人になってしまう。なら自分が罪人となればいい。罪人となって、兄さんに裁かれれば世界は僕を罪人として断じ、それを屠った兄さんを讃えるだろう。
僕がジェタークの罪となる。ラウダ・「ジェターク」として。そして兄さんをグエル・「ジェターク」として、ジェタークの誇りとする。そのために、僕は兄さんに僕を裁かせる=殺させる。
グエル・ジェターク。僕の兄さん。ジェタークの誇りを、僕が守る。
ラウダ・ジェタークが。

あのラウダ・ジェタークという宣言は、コンプレックスとかそういうのを超越した、ジェタークの罪となって死んでみせる、という悲壮な決意だったのではないか。というのが私の結論です。結論までが長い…!

声優さんにディレクションがいってないことを長々と考察して怖…って感じですし、声優さんが「こうなんじゃないか」って答えと真っ向対立するとか愚民めってなもんですが、でも私にはどうしてもラウダがグエルを損なおうとする気も、意識がもうろうとした末の言うつもりのなかった言葉なのだともちょっと思えないんですよね~…。ここまでずーっとグエルを大切にして守ろうとしてきて、羨むのではなく出会ったその日に「この人を支えたい」と決意して、そんな子の心の根っこは劣等感と及ばない辛さではなくそれは付属品で、本当の本当はただ兄を愛する心だけ。ってのが萌えるな!

結局好みの話か?はい。素人の考察なんて自分の好きな解釈陳列でしかないんでね結局…みんなも自分の好きな兄弟解釈を作ろう!本誌や雑誌、ドラマCDが作成キットだ!

んでも、あくまで水星の魔女は「物語」で、お約束なども含ませているとしたら、自分が死ぬとわかった状態での家族への最後の言葉は総じて「I love you」なんですよね。

なんですよね!

「僕が、ラウダ・ジェタークが!」
「ガンダムなんて、もう乗るな」

これがそれぞれへの最後の「愛してる」、相手へ向ける呪いと祝福という名の愛なんですよ。

いやもう本当に美しい。

ラウダはあなたの罪を背負ってあなたを守ってみせる。
グエルはお前が死ぬのも苦しむのも耐えられない。

そのためなら死ねる。あなたを/お前を愛しているから。

でも決して喜んでは死ねなかったんだと思います。ラウダもグエルも。

ラウダは鞘のビームで槍や背中を破壊した後に、呆然とした顔をして苦しんでいて、予想以上の苦痛にトリップしている可能性もありますが、私は本格的に見えてしまった死の恐怖に、怖気づいているのかなと感じました。今ならまだ引き返せる。でもラウダは引き返さなかった。それよりも大切なものがあるから。

グエルは「お前の言うとおりだ。みんなが…お前が、許してくれなかったらって…。俺は!もう逃げない…!父さんからも、お前からも!だから…ガンダムなんて、もう乗るな…」聞いてるだけだと大分前向きなんですよね。「俺はもう逃げない。だから死ぬな」なんて、死に際のセリフとして一番ふさわしくないだろうと。

でももう死が目前に迫っていて逃れられないことを理解していてのこのセリフなので、グエルは死を悟っても「死にたくない」と思っていたか、「ラウダの傷になりたい」と思っていたかのどっちかなんですよね。

後者がヤバすぎるんですが、死ぬのがわかりきっているのに「さようなら」を言わないというのは、遺された方にとっては「生きたかったんだ。なのに救えなかった」って一生の悔恨になるだろうことなんですよね…。

なのでワンチャンこっちの可能性も、あのグエルだとありそうかもしれないかもしれないんですが、あの兄弟の根底にあるのはあくまで光であるとすると、グエルは死にたくなんてなかった。ラウダと一緒にずっと生きていきたかったし、二度と逃げないという約束を果たしたかった。でもできなくて、さようならを言わなければならないのに、でも言いたくないほど生きていたかった。目を閉じていたのも、ラウダを見たら泣いてしまうからなんじゃないかな~と。実際割と最初から涙声だったので。それどころかすがりついてしまいそうだったのかもしれないですよね。失いたくないんですから。

ちなみにここの顔が最終話のガンダム初代主人公アムロの「こんなに嬉しいことはない」のオマージュと言われているのを見ましたが、あれは「ごめんよ。僕にはまだ帰れるところがあるんだ。こんなに嬉しいことはない。わかってくれるよね?ララァにはいつでも会いに行けるから」が全文で、むしろ生き残って帰りを待っている人たちがいて、だから殺してしまった大切な人に、それがどれだけ幸運で嬉しいことなのか、君にはきっとわかるだろう?と語って、「だからごめんね、そっちには行けない」と告げるシーンなので、むしろバリバリ「生きたい」シーンなんですよね。
仮にグエルの場合は逆で、死を目前にしたものなのだとしても、「お前から逃げない」と言っているので、グエルの帰る場所はまさにラウダの隣で、「殺してしまった」大切な人が「守りきれた」大切な人に変わっていて、じゃあ何で「死にたい」ってメッセージになるの?って話なので、これは「お前のところに帰りたい。だけどできないんだ。わかってくれラウダ」という、生きたいけれど死ぬしかない、むしろ「生きたい」「生きてお前の側にいたい」っていう強烈なメッセージになってるんですよね。逆に。

グエルの話に脱線していきましたが、ラウダもグエルも、相手のためなら喜んで死ねるというタイプではなく、ちゃんと死への恐怖はある。でも相手への愛が勝るからその恐怖を克服できる。そういうタイプなんじゃないかなと。

というか、グエルはやっと、ラウダへの愛によって死の恐怖も、生きることへの罪悪も乗り越えられたんでしょうね。

グエルは自分の命を守るため、つまり死への恐怖から父を殺した。その罪悪感にグエルは死にたいと思っていたけれど、「死んで楽になれると思うなよ」と無理やり生かされた。生きることは苦痛、けれども死ぬことも許されない。生きて罪を償わなければならない。いつか死ぬその日まで。


でも、ラウダを失う恐怖にそれらは決して勝らなかった。

グエルはラウダの命を守るために、命を削る弟を抱きしめて止めるために、死の恐怖に立ち向かって、罪を償うためではなくラウダと一緒に生きていたいと願った。そもそも論で、グエルがラウダを抱きしめるために正面戦闘のフリをするのは迷いが全然なかったんで、死への恐怖、死にたくないという願いが生まれたのは抱擁の後なのでは?つまり死への恐怖すら、「ラウダと一緒にもっといたいから死にたくない」になっていたのでは?
…ふぅ~ん?なるほどね?

「父さんからも、お前からも」でまた「父親殺害の罪から逃げない」と逃げ道が用意されているんですが、もうグエルはとっくのとうに父親のことについては黙って背負って罪だと断じていて、今さら逃げないもくそもないので、これはまぁ九割九分九厘ラウダに対しての宣言ですね。言ったな、お前!逃げるなよ!?お前たちの愛は重いぞ!

また気づいたらグエルの愛のデカさに恐れおののいてるな?いや、この愛は恐れおののくでしょ。なぜ世間ではグエルに「兄弟愛重すぎ~」と言われないのか、これがわからない。

ラウダはグエルを守るためなら苦しめるし死ねる。だけどそれは自分がグエルの一番大切な人じゃない、だから死んでも兄さんに影響はない。という劣等感からきているところがあるので、グエルがまさに死ぬその瞬間まで繰り返し「死ぬな」と言って、ようやく自分がグエルの一番大切な存在になっていたんだ、と気づいた。

グエルはラウダを守るためなら断罪される恐怖と戦えるし死ねる。だけどラウダの深い愛を命をかけて証明されて、諦めていた「生きたい」という欲求を思い出して、潔く死ぬこともできない、英雄ではなく等身大の人間としていられる。

3枚目シュバルゼッテを押して離れたんだろうけど
めっちゃ腕伸ばしてるやんけ!未練たらたら!

……もうね?兄弟一生隣にいた方がいいって。だってさ~、唯一無二がすぎるもの。お互いの欠落を埋められるのはお互いだけでしょ?ラウダの「グエルの一番」ではないという劣等感は言わずもがな、グエルが「その愛を失いたくない」とみっともなくあがく相手はもうラウダしかいないんだから。だってもう、グエルはラウダ以外の何もかもを諦めて捨てて、最後には命も投げ捨てているってことは、ジェターク社の復興を自分の手で成し遂げるということも捨てているので。本当にラウダが大切な「存在」なんですよ。

まぁ今の今までラウダには伝わっていなかったわけですが…。

ラウダは、自分を苦しめて殺すガンダムに乗ったり、グエルの独断の決闘を止めるために決闘委員会に頭を下げたり、グエルのためなら自分にマイナスを課すことをためらわないというか、自分を「使う」選択肢をよくするので、自分というものを軽視しているんですよね。

それは上記の通り「自分はグエルの一番ではない」という長年の劣等感もあるんですが、今回はさらに「父さんを殺してしまったのにそれをすぐに兄さんは克服できている」という事実もあるんですよね。

ラウダの中で、グエルにとっての最愛は父さんであるということはそれこそ長年の常識で、その父を殺害してなぜグエルは平気な顔をしているのか、というのが全くもってわからなかったし、恐らくその傷を癒したのはミオリネだと思っている。

「ミオリネを縋る!」という言葉がまさにそうですよね。
ラウダはグエルをよく理解しているので、グエルだけで父さん殺しを克服するなんてできるはずがないと思っている。だから父親を殺してもふさぎ込んでいないで、シャディク戦では自分の罪として認めて向き合えているのは、ミオリネに縋ることで立て直しているのだと思っている。だから離れられないのだとも。

本当は全部ラウダが理由なんですけれどもね~。

本当は2週間引きずり倒していて、そこから目覚めたのは家族=ラウダの危機を聞いたから。死にかけのシーシアを背負って生きるために走っていても「自分は何がしたいんだ」とわからなかったグエルが、「己はどうしたいのか、何をすべきなのか」と考えて、「大切なものを、ラウダを、もう失いたくない」と答えを出したのも。

ひょっとしたら、父親の死、コクピット内で死んだ人間を見たことによる己の死、それらを克服したのもラウダのおかげなのかもしれないんですよね。あのときグエルを突き動かした声の中で一番大きかったのはラウダの声であり、それ以来彼は表立って戦うことに恐怖する描写はないので。それどころかラウダのためにノータイムで命を捨てることを決断してたので、やっぱり「ラウダのため」の出力がおかしいな、グエル…。

でもラウダはこのことを知らないので、そりゃグエルが「変わってしまった」としか認識できないんですよね。

地球で2週間うなだれて食事も睡眠もろくに取れなかったことを知らないし、ラウダのために戻ってきたことも知らないし、生と死に対してグエルの認識がどれだけ深刻な変化をしてしまったのかも知らない。

なぜならグエルは父親を自分が殺害したことを隠したので。
2週間ほぼ死んでいたことを話すにはなぜそうなったかを話さないといけないのでグエルは伏せていたでしょうし、そもそも心配をかけたくないとテロリストに確保されていたことや地球にいたことすらラウダには伝えないで、「ちょっとな」とあやふやにしていたかもしれない。コクピットでシーシアを看取ったことやグチャグチャの遺体が詰まったコクピットを見てしまったこともわざわざ伝えることではない。

私たちはこれらを見ていたのでグエルがラウダを深く愛していて、そのためにまた立ち上がったんだってわかるんですけど、過程をすっ飛ばされたラウダにはそれがわからないからグエルの愛を相変わらず低く見積もるしかないし、パイロットとして絶対の自信を持っているグエルがまさか操縦すらできなくなっているなんてことに気づくわけがないので「機体のトラブルか!?」という想像ぐらいしかできない。ラウダは頭が悪いわけではないので、ちゃんと推測も立てられるんですが、与えられた情報が少なすぎるのでいつもどこかピントがずれざるを得ないんですよね。だからこの最悪のピタゴラスイッチも完成しちゃうんですが。

それに23話でのことがないと、15話を見て17話を見ていた私ですらグエルがラウダのことをどう思っているのか、ミオリネやスレッタばかりに構っていてちゃんと大切に思っているか疑問視していたので、ほったらかしにされたラウダはもっと疑心暗鬼になっていたはずです。

それでもグエルが悪いんじゃなくてミオリネが悪いんだと考えるのは、他責思考や幼さと言われますが、むしろラウダは壊れかけているのではなく「壊れてしまっている」ので、まだギリギリで踏みとどまっている方だろうな、と私は思うんですよね。もちろんしたことは悪いことですが、全部壊してやろうではなく、兄さんを助けるためにはどうすればいいんだ、と考えた上での結論なんですよ。

一応ラウダは即断即決でミオリネを殺そうとしたんじゃなく、学園でトマト配りできる程度には時間がたってからシュバルゼッテに乗ることを決めている。独りで悩んだ時間があるんですよ。多分本当に殺すことについては迷ったんじゃないかと思います。彼は暴力的な人間ではなく、スレッタへの仕返しも安全が確保されたランブルリングでしているし、株式会社ガンダムやシン・セー開発公社に嫌がらせをしているわけでもないので、普段は冷静で理性的で、道理やルールを重んじるタイプの人間です。

だから一切の弁護もできない直接の暴力になったのは、かなりラウダの根幹が揺らいでそうしなければ自分が死んでしまうから、というぐらい追いつめられた証なんだと、私は思ってます。

さらに最終的に自分の命を「使う」判断をしたのは、グエルが最愛の父の死を乗り越えられているのなら、自分の死なんてそれこそ1日で乗り越えられるだろうと思っていたんじゃないかな~と。

ラウダが考えている中では、グエルの中でラウダの位置は父さんより当然下で、普段ですら自分に価値を置いていないだろうに、そんな父を殺害したなんて傷を癒してみせたミオリネが側にいるのなら、より一層自分がいなくても大丈夫だろうと判断した、という点はあるのではないかなと。

実際のところはグエルの中ではラウダの存在は恐らく殿堂入りみたいな立ち位置で、大切とか大切じゃないとかそういうのを飛び越えた存在なんだろうなと、考察するだに思いますが。3話の時点でラウダが父さん側に取られたら一気に精神的なバランスが崩れて、父親に表立って反抗するまで飛んでいったので、相当なもんなんですよ…自分は尊敬して大好きなのに、ラウダもそうなったら許せないってしゅごい…。

ってかこれ、まんまラウダと一緒なのでは。
自分は兄にとってミオリネよりも価値が下になったんだと思ったらグエルからの連絡にも応えず、一人で行動してミオリネを殺そうと思い立ったラウダと。
ラウダの愛が自分ではなく父親に向けられたと思ったらラウダを避け始め、決闘したり出て行ったりして、最終的に父親を殺してしまったグエル。

き、兄弟…!

はい。えー、というわけでですね、題に戻りまして。
ラウダ・ジェタークという意味は、ラウダがグエルの罪をすべて自分が引き受け「ジェタークの罪」となって死ぬ、というものが込められていて、一世一代のグエル・ジェタークへの愛の叫びだった。ということを結論として、今回は終わりたいと思います。

いや、この二人は深掘りすると「うわぁー!」ってな具合になって止まらなくなるのでね。また思いついたら書いていこうと思います。

ではまた。



うぉ~!グエルもラウダもお互いのためにと考えた最後が「自分の命を捧げる」なの本当にいい加減にしろよー!うぉ~!ジタバタジタバタ

※なお、この考察はあくまで私の考えであり、確定情報ではありませんので、この先設定が明らかにされて否定されても、私自身に責任は発生しないものとします。
当ページに載せているスクリーンショットは考察による説明の補足として引用しているものであり、三次利用はいかなる理由があろうとも禁止とします。