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寄り添うとは何か

先日は仕事のことについて、書きました。

そこで、「寄り添う」って難しいという話をいただきまして、そうだよな〜と日々感じているため、その点について思ったことを書いてみたいと思います。

答えはあるようでないのかも知れない

私は「寄り添う」って言葉が本当に好きじゃないんです。

福祉の世界では、当たり前のように使うこの言葉ですが、本当にみんな「寄り添えて」いるんでしょうか?

そして、そもそも寄り添わなくてはいけないのでしょうか?

福祉の世界で使うその言葉に孕んでいる意味やニュアンスは、果たして「寄り添う」という言葉で足りるのでしょうか?

答えはあるようでないのかも知れないですね。

ですが、平たい言葉で長く説明すれば、その言葉の意味やニュアンスは割と容易く説明できる気がしています。

恐らくみんながよく使う「寄り添う」とは、「利用者に対して感じていること、思っていることをしっかり共感し、その姿勢(態度)について支えること」なのかなと思います。
(言葉が足りていない気がしています)

つまり、利用者(家族も含む)に対して、人格を尊重して、本人の意思をしっかり受け止めることなのかなと思います。

だとすると、それはそれで大事だとは思いますが、果たして「人格の尊重と意思をしっかり受け止める」とは何なのでしょうか?

相手の言うことをただ聞けば良い訳じゃない

はい、書いた通りです。
よく「相手がそう言ったのだからその通りにした」ら、「何故か不機嫌になった」や「納得いかない事態になった」など、上手くいかないことがあります。

そりゃそうなんですよね、きっと。

人ってね、とっても面倒くさくてとっても人を欲しているんですよ。
だから、大人でも子どもでも関係なく「構って欲しい」と思っているんです。
その副産物として、「思っていないけど、こう思ってると言ったらどういう反応するんだろう」という「試し行動」なる言動をする場合があるんですよ。

これが本当に面倒くさい!

それをしっかり「見極め」、「本気で言ってないでしょ」ということを「受け止め」、「本当はこうなんじゃない?」と「寄り添って」もらいたい、ということなんですよ!きっと。

そこに「技術」や「専門性」が求められるんだと思います。

この「対人距離」は人それぞれなんです

前述したこの「試し行動」や「本当はこうなんじゃない?」と言って欲しい度合いは、相手によって全然違います。

そのため、最初の方で書きましたが、「答えはあるようでないのかも知れない」んです。

相手だって人なので、たとえ専門職の人が担当になっても、「この人が信用に足る人なのか」は当然見極めようとしてきます。
反対に担当した人も、「この方(あるいは家族)はどんな方なんだろう」と知ろうとします。

このある種「お見合い」みたいなところで、どれだけ相手の懐に入り込めるかがとっても大事だと思っています。

うちの施設では、契約時に丁寧に説明を行います。
他の施設は、簡略化したり「後で読んでおいてください」と対面では書面だけ済ますなどするところがあるみたいですが…私ならば「信用に足る」行為ではないなと感じます。

対人関係の構築は"生モノ"ですよ

だから、「鮮度(タイミング)」も「調理法(支援方法)」も「時間(回数や長さ)」も「道具(法・制度、具体的な支援技法)」が本当に大事だと思います。

「あの時こうしておけば」や「後でこうしよう」は、恐らく上手くいかないんですよね。

こんなに大変な対人援助職…

めっちゃ専門性必要やんか!!

めっちゃ大変な仕事やんか!!

なのに…

めっちゃ給料安いやんか!!

割に合わん…やりたいと思う人少なくて当然ですよ。

根っからの物好きな人以外に続いてる人見たことないですわ笑

まぁ、自分もそうなんだろうなぁと思っていますがね笑

結論

「寄り添う」って何なんでしょう?笑

これを読んで、皆さんの頭の中に何か思ったことがあるでしょうか?

はい、それが「答え」です。

どんな答えであれ、それは皆さんが感じたことがあなた自身の「答え」だと思います。

「よく分からない」
「面倒くさい」
「腹が立つ」

こんなことを思った人がいたら、大正解だと私は思っています。

何故って?

「答えはあるようでない」からです。
そして、「そんな簡単に分かるような代物ではない」からです。

分かった気になったら、一番危ないです。

「分かった気でいながらも、もしかしたら違うかもしれない」

と思い続けながら、続けていくことが大事ですよ!

めっちゃ在り来りな言葉を使えば、「初心忘るべからず」なのです!

福祉業界は、絶対これを忘れたら終わりです。
これだけは本当に断言します!!

今回はこんな感じです。

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