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麻薬犯罪に対する”処遇”は、未来のために。

 うーん、ツイッターを見てると沢尻エリカさんの自白によってクロだという事で批判のボルテージがドンドン上がってるよね。でも、その中で

彼女を許す”べき”ではない

という意見を述べる人がいるけども…。

 個人的な意見としては、

こういう人は、全くその先の展開を想像してない

と思ってしまうね。というのも、その人たちは罪を犯した人たちの

その後の人生について実際にケアするわけじゃない

から。こういう人は、誰がどのように言っても

私も含め無責任

だよ。

 そもそも、犯罪の予防という観点が少しでもあるなら一律で物語ることはできない。例えば、田代まさしさんの場合だと再犯者だから沢尻エリカさんと同じ様な断罪の仕方はできないでしょ。再犯ってことはまた罪を犯してしまう背景や心理があった訳で、再犯させない仕組みが足りなかったという現実である。結果が出た以上、それは動かない事実でしょう。

 だから、田代さんを責めたところで急に再犯者が減る訳ではない。むしろこれまでのやり方だと減りはしないが、増えるリスクの方が高くなっていく。現状維持というのは、よく勘違いする人がいるけど

懸命に上を目指した結果同じ位置になった

だけだよ。

何もしないで同じ位置でいられることは、人生ではない

と言っていい。

 これはプロチームの順位の話で分かると思う。例えば、プロ野球で毎年Aクラス維持しているチームが、同じ順位を目指してやってるか?といえば名目上ではあっても

優勝目指します

というでしょう。でも、このロジックが上と全く同じということ。上を目指して頑張った結末が、

たまたま

そのポジションに収まったに過ぎない。

 だから、沢尻エリカさんがいつからやってとか、隠蔽してたとかそういう倫理について今更批判したところで現実とこの先に全く役に立たない。それよりも、

起きてしまったことを少しでも活かす

ためにどう対処したらよいのか。それが現実論と思っています。

 だから、彼女が社会復帰してもらう”過程と結果”がもたらす効果を考えなければいけない。今までだと、それが

それまで得ていた芸能人としての”役得”

を奪うことで、罰みたいにしてた。でもそれはもう機能しないって田代さんのケースや、清原さんのケースでも明白でしょう。当人が苦しくなってまた手を出す、という悪循環を生み出すだけだから。

 であるなら、すでに海外でのドラッグから復帰している俳優・芸能人の事例から学ばないと。沢尻エリカさんや田代まさしさん、清原和博さん、ピエール瀧さん、といった人たちが

過去を否定せず、向き合って前に進む姿

という広告効果を考えた方がよい。日本の社会もそういう段階に来ていると思う。

 だから、沢尻エリカさんにも罪に服してもらう過程で

自己否定する必要はないが、自分の弱さも受け止める必要

があると思う。息苦しさを発散させたいから、クラブやドラッグにおぼれたのかもしれないからね。だったら自分が出せなかった部分を普段からガス抜き的に出せるようになってもらわないと。

 清原和博さんは、そういう事を周囲の助けも得て軌道に乗りつつある。薬がやりたくなる、という心の闇も出しているし(著書や雑誌記事など見る限り)何より、佐々木さんやかつてのライバル・同僚たちが手を差し伸べている。ああいう自分にとって本当に大事な人たちの距離感が近い限り、

確率としては低い

と見込める。麻薬の恐ろしさは、どれだけやっても100%は永遠にないところにあるのだから残酷だけど。

 つまり彼ら彼女らは、今後増えてくるであろう

ココロの闇に屈してしまった人たちの復活劇のモデルケース

という立ち位置での役割がある。決して、美麗なロールモデルではないが、これも社会への貢献として簡単には担えない役。また芸能人として生活設計していくことに

それが大金を生む

というところだけ見て奪おう・やめさせようという人がいるけど。そういう人たちは自分のことしか考えてない。彼ら彼女らだって、人生はそこで終わりじゃないんだし。むしろ

人を活かしきる

観点の下で、この悲劇を無駄にしない仕組みが必要。

罪を憎んで人を憎まず

という言葉が一番、解決のために必要なことだよ。

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