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現代にも通じる、出処進退の理想形。

 日本の今だと、終身雇用ということがなくなってきているのでその職場にとどまるか?やめるべきか?といった判断もリアルにあるでしょう。過去の歴史においても、こうした出処進退についての

引き際

という点をクローズアップされた記録が歴史にもあります。今回は私自身が大いに参考にしている例を挙げることにします。

 まず、くだんの人物は苦労人で…2000年前位の人物ですが、50歳になっても頭角を現せないでいた。しかし優秀であると言う評判はそれなりにあったため、地元の有力者の下で働くようになる。

 しかし、ある時に情報漏洩という疑惑を持たれて死罪にされかかった。無実であるのに虐待を受け、見せしめにトイレに放り出される始末。しかし彼はそこで番人に自分は死んだことにしてくれ、と申し出ることで逃亡を果たす。

 その後、偽名で友人の下に潜伏していたが、強国の有力者が立ち寄ると聞いて水面下で会うことに成功。連れ出してもらい、その国で出世を目指すことになるのですね。

 その後、放置されたものの、ある時自分から意見書を作り上げて提出。それが王様の目に留まり、会うことができた。しかし当時、王様は実権が親戚の人物に奪われていたため、彼が水面下で後押しをして復権を実現させた。王様は当然、彼を深く信頼してトップに据えたわけです。

 彼の故郷では、死んだことになっていたのでこのことは全く知らない。そこで彼の取った手段は

外交圧力をかけ、迫害したくだんの人物を派遣させる

というドラマチックなこと。で、目論見通り当人が外交使節として派遣されてくるわけです。

 芝居がかってるなーと思いましたが、事実です。(笑)で、彼はワザと偽装して本人に面会する。当然、死んだと思っていた彼が生きていたことにビックリ。しかし、その時に彼のみすぼらしい姿に同情したのか

自分の上等な衣服を与える

ことに。それを着て、トップ(実は彼自身)の屋敷へと運転手となって案内する訳です。

 すると、使用人たちが驚いて避けていく。そりゃそうでしょう、ご主人がなぜか運転手して帰宅したんだから。知らぬは使者としてきた相手のみ。おかしいな?と思いつつも玄関前で待たされた。

 彼が入って行って相当な時間がたち、流石にアレ?と思って近くにいた門番に

”彼が入ってだいぶたつが、どうなっているのだろう?”

と聞く。すると門番は

”彼とはだれのことだ?”

と。本人は

”彼とはアイツのことだが。”

と返す。すると門番が驚いて

”あの人こそ、この屋敷の主人だぞ?”

と返す。そこでようやく、彼の意図に気づいたわけです。(苦笑)

 ヤバイ!と思った本人は門番に頼み込んで屋敷に入れてもらう羽目に。そして屋敷内の巨大な応接間に通され、土下座してひたすら謝罪。完全に立場が逆転しちゃったわけですね…。この辺りは気持ちいいな!とニヤニヤしながら読んでました。

 で、彼はその人を許した。というのも、

”お前は私を罪人にしたが、完全に見捨てるようなマネ(衣服を与えたこと)はしなかったから命だけは助ける。”

と言って。で、最終的に彼のしたかった復讐を果たすわけです。

 その後、自分に良くしてくれた人たちへの恩返し、迫害した人たちへのお返しを果たした後…。再び困難な状況がやって来るのです。というのも、彼が推薦した人物がことごとく結果を残せなかったどころか、裏切ってしまったから。通常、推薦の責任は当時死罪になる程重いものでした。が、王様は彼に感謝していたため不問にしてくれていた。

 でも彼はそのことがむしろ気が重かったんですね。というのも、

今は愛されているが、それが薄れた時にはむしろ危険

という事が分かっていたから。なので、何度か自発的に処罰を望んだり引退したいと申し入れていた。でも、王様が認めてくれなかったんです。それだけに、どうしたらいいのかと悩んでいたようですね。

 そこを理解した人物が、ワザとうわさで

自分が取って代わる

と流させて、挑発して彼と面会。最初は反発していたものの、相手の

成功の下に、久しくいるべからず

という意図に共感。相手の優秀さも理解し、認めたため王様に推薦。王様が気に入ったのを見計らって引退を申し出る。そのことにより、漸く解放された訳です。

 対照的な人物として、秦の始皇帝の下でトップだった人物。彼の場合、始皇帝が亡くなった後、野心のある人物の誘いに乗ってしまい、優秀な長男をさしおいて他の人物を後継者に立てさせてしまった。で、どうなったかと言えば

つかまって殺された

のですよね。自分の地位を失うことを恐れたがゆえに、すべてを失ってしまったわけです。このケースはこれだけではなく、かなり同じようなモノがあるんです。だから、非常に大事なことだと思っています。

 現代においても、成功することは妬まれる。それは避けられない。であるなら、みんなに分散させて結果的に我が身を守る必要も今においても変わらない訳です。自分のモノにできるのは、完全に一個人で成し遂げたこと位でしょう。くれぐれも、自分がやりとげたことと、実益をすべて得られる・得るのが当然と思わない方が良いと私は思いますね。2000年も前から、こうした人間の心理は変わってないのだから。

いぢょー。

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