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スルーもまた、選択肢の一つ。

 ツイッターで興味がわいたネタを挙げて書いたりしますが…今回は

スルー

について。その後見てたらその表現がビンゴ!と思ったのが

受け流す

というところ。これが一番意図として良い使い方・対応かなと思いマス。

 また、澤さんのVoicyも

澤円の深夜の福音ラジオ - Madoka Sawa
【第584回】嫌なこという連中への対応方法。

#Voicy

拝聴しましたがその通りですね。キモは

相手の意思を無視して押し付けを正当化する

でしょう。この内容が一番多かったのも、それだけそういう人が多いという裏返しです。実際、私もそういう人をたいへん多く見かけますし。

 私自身は、この押しつけと正当化していた時があったのでそれに気づいて以来、非常に気を付けるようになりました。だから今は、他人に対して指摘することはほぼしません。

 これはツイッター上だけではなく、他人の批判をしない原点となってます。そもそも澤さんも言ってましたが

相手は変わらないよ

という通りなんですよ。他人から指摘を受けて変わるくらいなら、言われる前に変わる。変われる人は自ら変化していく。私はそう思いますね。

 さて、スルーについてはツイッターでも書いたんですが、

スルーしたとしても影響が少ない

場合とかに限ると思う。というのも、議論になった中でのスルー理論って

嫌だったり意に沿わない事はスルー=見て見ぬふりすりゃいいじゃん

という文脈にとれたから。でもね、コレだけのロジックで乱用したら

その問題を誰が解決するの?

という問題が残るのよ。

 そもそも、日本の社会で問題になってるのって

自分は関係ないから「スルー」しちゃう

ことで、解決に従事する当事者意識を持つ人たちが少なくて、いたずらに重みが増してことが動かない、という流れってあると思う。この点を考えたら、上のような雑なロジックでスルーしまくってたらどうなるか。他力本願で自己解決しようという姿勢は失われてしまうだろう。

 実のところ、今の日本が停滞・衰退している要因がここにあると思っている。つまり、

出たら叩かれるから、おとなしく誰かがしてくれるのを待つ

マインドになっちゃうんだと。最近特に呆れているのは

リスクをとって得たものでさえ、嫉妬を屁理屈に変えて批判してる

不毛な行為。こういうやっかみとしか取れない感情論をロジックでごまかす行為を続けていたって、我々の環境が良くなるはずがない。それでいて、このようなスルー理論を出してくるのだから、全く同意できない。そう感じましたね。

 これが逆に、大多数の人たちが当事者意識を持っていて、解決に参加している状況ならスルーしても良いと思うよ。

選択と集中

という根拠があるならね。それは判断を働かせているからだし。

 だからこそ、最初からそういう意図を働かせないで処世術的に

スルーを覚えたらいい

というのは扱いが全然違ってくる。私が嫌っている二択論そのものであり、選択肢が余りにも貧しい。そんな中から、質の高い答えが出るとはとても思えない。だから、取り扱いには気を付けてもらいたいね。

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