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卒業後まちを出た大学生がまちとかかわるためにおこなったこと、とこれからのかかわりかた。

2月10-16日のあいだ、島根県津和野に滞在しました。津和野町は中山間地域で人口7300人、僕が高校3年間を過ごしたまちです。
11-15日には大学生7名と行動を共にし、ちょっとしたプログラムや、高校での授業をおこないました。

周囲の友達を誘ってはじめたこの取り組みは、もしかしたらこれからのまちのかかわり方のヒントになるかもしれないなと感じたので、今回はちょっと腰を据えて書き残します。

取り組みの概要

今回おこなった活動は大きく3つ。
1, 津和野のマド企画(メイン活動)
2. 高校授業
3, 社会人ヒアリング

4泊5日にこの3つを入れ込んだので、とてもハードな時間となりました。
順に説明します。

1, 津和野のマド企画
大学生が高校生とともにまちあるきなどのワークを行いながら、津和野における新しいマドを大学生が提案する活動。

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マドという言葉は、人のつながりやその機会を表すメタファーとして用いました。内と外の世界をつなげる窓口、家の中なのだけどちょっと通りに開けた窓辺。日常的に使うマドもあれば、年に数回しか使わないマドもある。
どんなマドを作ったら、暮らし方はどのように変わるのだろう…?

既存のリソースの活用法や課題の解決手法がテーマではありきたりなアイデアに縛られてしまいがちです。そのため、今回はマドという概念をテーマに設定することで発想の広がりを持たせました。

2, 高校授業
津和野高校にて、1,2年に2コマずつ計4コマの授業を行う活動。

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大学生が高校時代にどのように進路選択をおこなったのか、大学でどのようなことを学んでいるのか、実体験をもとに授業を行いました。

大学生2名ずつで3つのグループを作り、興味があるグループに話を聞きに行く方式にしました。

3, 社会人ヒアリング
津和野町で働いている社会人の方にお話を伺う活動。


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今回は教育関係者(校長、町営塾塾長、教員2名)、Iターン移住者で地域おこし協力隊の方2名、農林課の方3名にヒアリングを行いました。

今回一緒に津和野に来てくれた人は計7名。大学1,2年生で、東大4名(うち3名推薦)、名大1名、慶大1名、近大1名。
専攻は教育、医学、経済学、文学、建築学など多種多様で、出身も都市部の人もいれば地方の人もいました。

目的は、津和野と町外の大学生とのつながり方を探ること。
町内には大学がなく、大学生(と同じ世代のひと)はほとんどいないのです。​

津和野高校をはじめとしたしまね留学や地域みらい留学での取り組みによって、高校生の教育のフィールドはまちに広がりました。しかしそれだけではありません。町全体に視野を広げてみれば、これらの取り組みによってはまちに「高校生」という新たなプレイヤーが生まれ、教育という新たなまちの関係性(つながり方)が生まれたのだと読み替えることもできます。

大学生というプレイヤーが大学のないこのまちに生まれたら、どのようなまちの関係性が生まれるのだろうか。
本企画はこのことを考えるためにおこないました。

なぜこの取り組みをおこなったのか

ちょっとした自己紹介
僕は地域みらい留学の制度を利用し、県外から津和野高校に入学しました。地域みらい留学とは、県外から公立高校に入学し、高校3年間をまちの中に入り込みながら生活できる制度です。
今は東京大学で勉強している1年生です。

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津和野ではさまざまな行事に参加したり、地域の(としか説明できないくらいの多様な)方とお話したりと、高校生活というよりは文字通りまちの中で生活を送りました。

そのような環境の中で、"実社会"という言葉が何を指すのかわかりませんが、これなんじゃないかと思える具体的な場面が思い浮かぶようになってきました。「社会問題」や「働くこと」、「まちで生きること」の一つひとつが具体的なイメージとともに向き合えるようになってきたのです。

そんな中で僕は建築に出会いました。建築的な視点を通してまちを見ることの楽しさ、建築的な手法を用いてカタチにする楽しさに惹かれました。
そして建築を通して、まちのコミュニティのあり方を考えたいと思うようになりました。僕がまちでたくさんのことを学んだように、住まうことの延長線上にある学びを探求したかったからです。大学進学を決めたのはそのためでした。

これまでの僕の暮らし方
そのような経緯の中で、「自分がこれからどういった暮らし方をしていこう?」という問いがこれからの自分を考える、また建築という学問と向き合う上で重要な問いになってきました。

大学に入ってからは、都市での住まい方を探ってシェアハウスを始めました。

シェアハウスは楽しいもので、暮らしていくうちに新たなつながりも生まれてきました。

ただ、その一方で、東京での生活では同じような経験や価値観を持ち合わせている人がとても少ないことへの居心地の悪さも感じるようになりました。
津和野はもちろん、しまね出身の人や地域みらい留学卒業生とは何か共通言語を持ち合わせているようで、とても親近感を感じている自分に気が付きました。

関わりたいのに道がない
しかし、卒業してまちを離れたら、特にまちに親戚のいない地域みらい留学生はまちに戻ってくる機会がなくなってしまいます。

去年の夏に僕は津和野に帰りました。文化祭に顔を出したら同級生と会えて、後輩や先生にも会えてとても良い時間を過ごせました。
ただそれと同時に、あと2年経ったら高校には知っている後輩もいなくなるし、同級生も文化祭には集まらなくなるのだろうなとも思いました。
せっかくまちでたくさんの人にお世話になって、いろんなことを学ばせてもらったのに、まちに帰れなくなる寂しさ。まちがどんどん自分が知らないものになっていってしまうことの虚しさ。そういった気持ちを感じました。

これからの暮らし方
そのような気付きがあった以上、津和野や島根とのかかわり、地域みらい留学とのかかわりはこれからの自分の暮らしを考えるうえで切り離せなくなりました。
津和野や島根、地域みらい留学とのかかわりとはすなわち、似た経験や境遇から共通言語を持つ人たちとのつながり、雑多なまちの関係性の中で住まいから「学び」が生まれるつながりだと思います。

かかわり方を探る中、僕は高校時代に津和野にいることで壁に感じたことに思い当たりました。
それは、「数年先の進路との接続」です。

津和野高校の周りには大学がなく、大学に進学する生徒も年20人程と少ないため、大学に関する情報や受験の情報がほとんどありませんでした。

特に地域みらい留学生は僕らの代より上がほとんどいなかったので、必然的に今までない道を通ることになりました。

津和野高校は生徒がまちと関わる風土が醸成しつつあります。しかし、話が進路になるとそれが専門分野とどのように接続しているかわからず、大学も遠い存在であるため無意識にも選択肢が狭められてしまっています。また、情報が少ないと必要のない不安に駆られることもあります。

自分も同じ境遇だったからこそ、関われることがあるのではないか。
そう思い、地域みらい留学卒業生としての高校との関わり方を探ることにしました。

帰省が合宿に
せっかくだからと、地域や教育に関心のある大学生の友人も誘いました。
予想以上に関心を持ってくれる人が多く、帰省ついでに行おうとしていたことが、ちょっとした合宿プログラムになりました。

今回の目的はちょっと前に「津和野と町外の大学生とのつながり方を探ること」と書きましたが、より具体的で短期的なねらいは、

①僕がこれからの津和野や地域みらい留学とのかかわり方を探ること
②高校生が進路をより身近にとらえ、現在と接続して進路を考えるきっかけを作ること
③大学生が自身の地元と比較しながら、地方とのかかわり方や教育のあり方を探ること

の3つです。

活動①津和野のマド企画

長々と背景を書きましたが、ここからは実際に行ったこととその振り返りを書こうと思います。

高校生15人と大学生8人で行ったこの企画。3つのグループに分かれて活動を行いました。

「大学生が高校生に教える」という上下の関係性は、「②高校授業」の活動で形成されるので、そうではないフラットなかかわり方を模索しました。
テーマを少し難しめに設定したのは、大学生がテーマを解釈してアイデアに落とし込む姿を高校生に見てもらいたいなという気持ちからです。

また、高校生は大学生からまちのことや自身のことを「ヒアリング」され、その結果やそこでの気付きをもとにアイデアを「ともに考える」という、二段階の参加形態をとりました。高校生は外とのかかわりが薄いため、普段の生活では身の回りの環境を客観視することが難しいという課題があったからです。

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初日におこなった活動の一つがまちあるきワークショップです。これは運営の高校生が一から作ってくれました。

LINE Botを使って与えられたミッションをグループごとにまちを歩きながらこなしていきます。これがとてもクオリティが高い。

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ミッションをこなせばキーワードが送られてきて、それをLINE Bot に打ち込めば新しいミッションが与えられます。

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この森鴎外のミッションのキーワードは「子煩悩」。

こうやって楽しみながらまちをめぐり、高校生がまちで活動している場所も通ります。

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毎年流鏑馬がおこなわれる馬場で50m全力ダッシュするというミッションもありました。
走ってみると、「これだけ直線なら馬も気持ち良いだろうな」とか謎に馬目線の気づきも得られました。(笑)

こうして歩いたまちをマッピング。

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高校生と大学生で注目している場所が少しずつ違っていて、お互いにとって新しい発見がありました。

最終日には発表を通してグループごとにアイデアをプレゼン。

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具体的な内容は長くなるので省きますが、各グループともとても興味深い内容でした。


この活動が4泊5日のメイン活動となる予定でしたが、予想外に②高校授業と③社会人ヒアリングに時間を費やしてしまったため、話し合いに十分な時間を割くことができませんでした。

ただ、外から来た大学生が短時間でここまで高校生と近い距離でコミュニケーションをとれた機会は今までなかったのではないかと思います。
少し嫌らしい言い方になってしまいますが、僕が高校生の時には東大の学生と話すとなると身構えてしまっただろうし、コミュニケーションをとっても決して近い存在としてとらえることはできなかった気がします。
このような近い関係性を作れたのは、今回参加してくれた大学生がとってもいい人だったおかげです。

活動②高校授業

はじめは1クラスに1コマ取れるかなと思って高校に企画書を提出して始まった高校授業でしたが、なんと1,2年にそれぞれ2コマずつ、計4コマ分の授業を行うことになりました。

せっかく大学生がたくさん津和野に来てくれたので、それぞれがどのように進路選択を行ってきたか、大学でどのようなことに取り組んでいるのか、体験談を語ることで選択肢を届けようとしました。

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日常生活と学問とのつながりを示すために、おこづかいから経済学をとらえる授業や、

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好きなことを突き詰めて学問にたどり着いた話、

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最先端の研究をかみ砕きながら研究に取り組むパッションやその醍醐味を届ける授業など。

好きな話を選んで聞きに行ける方式にしたことで、多くの生徒が関心を持って聞き入っていました。

話を聞いていた先生から、「このような授業ができるようになることが、『主体的・対話的で深い学び』で目指す状態なのではないか」といった声をいただいたことがとても印象的でした。

授業後の大学生間の振り返りの場では、個々の気づきが全体の学びに昇華され、自発的に学びの関係性が形成されたことがうれしかったです。

今回は大学生の専攻や関心分野の多様さから様々な分野の話を届けることができた一方で、大学の話しかできなかったことは課題を感じました。というのも、津和野高校の大学進学率は4割ほどであり、高校卒業後に専門学校や短大、就職する生徒も多いからです。
そういった生徒には今回の話が本当にためになったかといえば疑問が残ります。僕たちは高校生に、大学進学という選択肢をもちながら主体的に進路選択をしてもらいたいという想いで今回の授業を設計しました。しかし、ほかの進路を歩む生徒にとっては少し後ろめたさを与えてしまったかもしれないなとも思います。

活動③社会人ヒアリング

ヒアリングは
①教育関係者
②地域おこし協力隊関係者
③農林課職員
の3つの属性の方々にお話を伺いました。

①教育関係者
校長、前校長で町営塾の現塾長、教育魅力化コーディネーター、教員と、異なる複数の立場の方にお話を伺いました。

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去年まで高校生としてかかわっていた人たちに、自分の高校生活をメタ的にとらえながら話を聞くのはとても不思議な体験でした。
リアルな話や課題感を含んだ話を伺う中で、僕たち高校生の学びにこれだけの多くの力が注がれていたんだということに気づかされました。

それぞれの立場で求められる役割が異なりながら、その役割をより高い視座でとらえており、その中で異なる立場の方々が理想像や熱意を共有しているように感じました。津和野高校では異なる立場同士でもコミュニケーションを密に取りあっていることが意思決定のスピードの速さや協働につながっているのだとも思いました。

②地域おこし協力隊関係者
津和野で地域おこし協力隊として働いている方、地域おこし協力隊卒業後も津和野で働いている方にお話を伺いました。

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大学1,2年なので将来のキャリアには身近ではないものの、自ら生業を作りながら地域での暮らし方を考えつづける姿に影響を受けました。

実践を伴った意見の一つひとつはとても説得力がありました。その一方で、常に問いを立て続け、大学生の考えにも耳を傾けメモを取る姿に、大学生の一人は「これが津和野で形成されている『学ぶ姿勢』なのか」と感想を述べていたことが印象的でした。
確かに、まちの人は高校生に「経験や知識を教える」ことをしようと高校生と関わっている人は少ないように思います。そうではなくて、高校生の話に耳を傾けながら、ともに楽しく生活できるようなあり方を考えたり、高校生に刺激を得ながら逆に自己を内省したりと、相互的なかかわりが作られていることはこのまちの魅力といってもいいのかなと感じました。

③農林課職員
3名の方にお話をいただきましたが、うち2名は僕が高校生の時にお世話になった方でした。

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バイオマス発電の導入に関する話、地域おこし協力隊と自伐型林業の話、航空画像を用いた森林資源管理システムの話を伺いました。

林業は想定する時間スケールが50年後や100年後と、他の産業と比べてとても長いことが特徴の一つで、次の世代の生活を考え続けていることが伝わってきました。
また、特にエネルギーに関する話では世界的な情勢も大いに関わるため、津和野町の森林というローカルな事柄に対して、きわめて広い視野でとらえようとされていることが印象に残りました。

最新の技術により樹木管理を効率的に行えるようになった一方で、江戸時代の地図しか森林所有者を表す資料が残っていないために正確な境界線が分からないという状況もあります。
自然と向き合いながら社会とも向き合う難しさを実感した瞬間でした。

何を感じたか

この5日間を過ごして、大学生の中で共に学びあう関係性が作られていたことに心地よさを感じていました。大学生間での場の設計は行う余裕がなかったので皆にまかせっきりだったのですが、限られた時間でも高めあおうとする皆の姿に助けられました。

それと同時に、これは前にも述べましたが、これだけ多くの人が高校生の学びに力を注いでくれていたことに気が付き、感謝の気持ちが湧いてきました。不自由だとか悪い意味ではなくて、自分一人だけの人生ではないのだなと思いました。

去年の春に僕が高校を卒業したころ、ある人に、「大学進学することに町を背負う気持ちはあるか」と聞かれたことがありました。すなわち、発展途上国の学生が国の発展のために勉学に励むような責任感や想いがあるのかと。
当時の自分は質問の意図があまり理解できませんでした。その時は受験を乗り越えることが精いっぱいで、ほかのことに目を向ける余裕はありませんでした。
今振り返ると、ああこのことだったのかなと感じます。責任というよりは使命や、恩返しということだったのかなと。

まちの主体であること

実は去年の12月にも津和野を訪れていました。その時は、知らない間にまちが変わっていって自分だけ取り残されるような寂しさを感じました。この寂しさは、自分がまちの主体ではなくなる寂しさだったのだと今振り返ると感じています。ここでの主体とは主人公とかではなくて、まちに参画したという主観的な感覚です。まちへの帰属度はこの感覚によってつくられるのかなと少し思いました。

これからのかかわり

これからは自分が住まうことの延長として、そして少しずつ生業としても津和野と、また地域みらい留学と関わっていきたいなと考えています。

地域みらい留学は全国的にまだ始まったばかりの状態であるため、卒業後のかかわり方がまだ作られていません。卒業後も自分の生活したまちや、近い経験をした仲間と関わりを持ち続けるために、高校を超えて地域みらい留学全体でつながることで新たな動きを作っていけたらと思っています。

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最後に、今回の5日間でお世話になったみなさんには感謝の気持ちでいっぱいです。僕の不手際でご迷惑をかけたこともたくさんありましたが、今後の糧にしていこうと思います。ありがとうございました。

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