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2023年を振り返っていたら、2024年になっていた

今、これを書いているのは2023年12月31日22時くらい。
忘却力が最近本当にパワーアップしているので、1年の振り返りをしてみようとこれを書いている。前回のnoteを書いたとき、近々もう一本書くと豪語していたけれど、3ヵ月近く経ってしまった…
今年1年、本当に色々なことがあったなあ…というのが所感なのだけれど、色々ってなんだ?って考えるとうまく説明できない。
それでもたくさんの人たちと会って、仕事もして、美味しいごはんも食べて、たくさんおしゃべりして、たくさん笑って、たくさん泣いたそんな1年だったと思う。

2023年のTOPICS

● 仕事が楽しかったこと

ワードデザイナーという肩書で、デザイン会社の中でことばを創る仕事が続けられたこと。それがどれも充実していて、前向きに取り組めたことが大きかった。とてもとても忙しくて、時間がかかってしまったことも多々あったけれど、何より1番好きな「書く」ということを続けられたことが何より楽しかった。同業の方たちとも新たな交流ができて、今後の自分の方向性を模索し始めた1年でもあった。

● 一人旅の楽しさを知ったこと

息子が修学旅行で不在なのを利用して、車で一人旅に出た。独身の頃は一人で行動することにネガティブな気持ちを抱いていたこともあったが、息子がいないという開放感で勢いがつき、前から行きたかったところ、夫とかつて訪れたところをめぐり、日帰り温泉なんかも寄って、始終ウキウキしている自分がいた。
仕事で知り合った友人が、出店していたマルシェに立ち寄ったり、イベントに参加したり、東京の知り合いと旅先で会うというのも新鮮だった。
帰ってきてからも、楽しかった気持ちがずっと残っていて、次はどこに行こうか、次息子がいないのはいつだと、画策する日々だ。

● 甥っ子たちが揃って結婚式を挙げたこと

二人の甥っ子たちが、結婚した。どちらの挙式も本当に素敵で、その場にいるだけで、本当に幸せな気持ちになった。まさに幸せのおすそ分け。ありがとうの気持ちでいっぱいになった。

● 両親のプチ介護がはじまったこと

かろうじて、自宅で生活している両親だが、足腰が弱って自力で外出ができなくなり、介護申請やらなんやらで、週1回実家に帰るという日々が5月から半年ほど続いた。今は少し落ち着いて2週間に1回くらいの帰省。
介護制度の仕組みをまったく知らない状態から手探り状態だったし、何より思うように動けなくなって、今まで通りに行かなくなった両親の戸惑いと向き合うことは大きなストレスとなった。とうとう私にもやってきた介護の問題。姉と分担しながら、どうにかこうにかサポートを続けている。

● 懐かしい再会があったこと

ひさしぶり〜!! な友人と会う機会がけっこうあって、新鮮だった。
歳とったね〜 が第一声だったり、変わらないね〜と言い合ったり。
中学校の同級生、大学の同級生、演劇時代の仲間、仕事仲間…それぞれの時代に楽しく過ごした想い出が蘇ってきて、昔のことを一緒にたくさん思い出して、おしゃべりが止まらなかった。

● つながりたいと思っていた人たちと知り合えたこと

ああ、この人とおしゃべりしてみたいなあ…とか、親戚が自分の仕事に近い位置にいることがわかって会ってみたいなあ…とか、そんな風に思っていた方々と知り合うことができた。自分で行動をおこして、会いに行った。
温かく迎えてくれたことも、とても嬉しかった。私の中に新しい枝が生えてきたような、そんな感覚でこの新しい出会いを素直に喜んでいる。

● 夫が逝って10年。そして姪が逝ってしまったこと

夫が亡くなったのは2013年のこと。10年がたって、いなくなってしまった生活にもだいぶ慣れてきて、涙を流すことも減ってきていたが、今度は姪っ子が逝ってしまった。23歳だった。混合性急性白血病。4年近い闘病を続けていたが6月帰らぬ人となった。再び悲しみの底に落ちてしまった気持ちになったが、何より23歳という若さでこの世を去らなければならなかった姪の悔しさを思うと、悲しんでいられないとも思う。最後まで本当に頑張り続けた姪。気丈に戦い続けたその命の力を確かに自分に刻んでおきたい。

ここまで書いて、2024年になった。
テレビからはハッピーニューイヤーという言葉が何度も聞こえてくる。
どんな1年になるのだろう…ではなくて、どんな1年にしよう。
自分の力で、精一杯の1年をつくりたい。
無理だけはしないで、前に進もうと思う。

喪中なので、年明けのご挨拶は遠慮させていただきます。
本年もよろしくお願い申し上げます。



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