見出し画像

私のダークサイド

息子の高校受験が終わった。
私が受験したわけでもないのに、とにかく、とても疲れた。
雨の日だけ塾の送迎をするくらいで、夜食も一切作らなかったし、勉強を教えることもなかったのに、この疲労感はどこから来たのだろう。
合格発表ののち、どっと疲れて、寝込んだ、というよりいっぱい寝る日々が続いて、今度は入学準備に脳内がシフトして、別の気忙しさがやってきた。自分の高校受験の時のことはうっすら思い出せるが、親の様子は思い出せない。私の親もこんなに疲れていたのだろうか…。

勉強に関して言うと、私の母はとても厳しかった。それは私が勉強が好きではなかったからだろう。私の両親はかなり勉強ができる人たちだったので、我が子も勉強はできて当然という空気が家の中にあった。事実姉は期待を裏切ることなく優秀で、近隣トップの公立高校に当たり前のように合格した。

しかし、私は勉強ができる子ではなかった。小学校5年生の割算のテストで0点をとったのがバレて、母は私を鬼の形相で叱り、その日は寝ることを許さず、明け方まで鬼の形相のまま私に割り算を教え続けた。もう本当に怖かった。おかげで割算は克服したけれど、以来私は、母が怖いから勉強をするようになった。母に言われるままに、近隣の唯一の進学校だった私立中学を受験し、その三年後にはなんとか姉と同じ公立高校へ入学することができた。

頑張れば母は怒らない。頑張れば成績は上がる。それが私の拠り所になっていき、高校へ入学してからは、そんな親元から早く離れたくて、受験勉強をしていた気がする。

これは私の捻くれた想い出だ。
勉強が好きではないまま、勉強をしていたせいか、自信が持てず、こんな私が大学になんて受かるはずがない…そんな気持ちで受験会場に向かうという夢を、社会人になってからも何度も見ていた。自分がしてきたことに納得していないのか、後悔の念があるのか、思いつめた自分に何度も夢の中で出会うのだ。

以前、母に聞いたことがある。母の世代で大学まで行く女子は珍しかったと思うのだけど、何故大学まで進んだのかと?
返ってきた答えはこうだった。

「東京で就職して、東京の人と結婚したかったから」

北海道生まれ。仙台で育った教育熱心な母の、学びの志は、驚くほど単純だった。そして母はその夢を叶えていた。
私はこの一言を聞いてから、大学受験の夢を見なくなり、自分の好きなことをして生きようと思うようになった。母親の、母ではない部分に初めて触れた気がした。

その後私は、演劇という好きなことを見つけ、学業・就職そっちのけで夢中になり、没頭しすぎて婚期が遅れ、30代半ばで今度は父親の鬼の形相を見ることになるのだが…それはまた別の話だ。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?