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私のフォース

最近眠りが浅いのか、色々な夢を見る。
最近の新作は、小学校4年生のときの担任の先生が出てきた夢だ。
その先生は私の旧姓と同じ苗字の先生で、担任であると同時に水泳部の顧問として、卒業までお世話になっていた。
夢では偶然通りかかった家の中に先生がいて、私が嬉しそうに手を振るという、それだけのものだったけれど、目が覚めてから、先生が私に与えてくれた大きなものを想い出した。

この先生の専門は国語科だったみたいで、教科書授業のほかに独自に作文の授業をやっていた。
作文っていうのはね、文章の中に気持ちを込めるんだ。目をつむってその光景を思い浮かべてごらん。野球のボールは白球って言うよね。そのボールはどんな風に飛んでいるかな? 矢のようにかな、ふわっとかな?そのときの空はどうかな?青空って言うだけじゃつまらないよね。どんな青空かな。いろんな言葉に、ちょっとでいい何かを付け加えてみるんだよ!
と、確かそんな風に、「言葉にはロマンがある」と言いたげに、熱く語る授業だったのを覚えている。

私は教えてもらった通りに、片っ端から比喩表現を駆使した作文を作り上げた。授業の度に執筆した作文は、毎回灼熱の太陽のような、エネルギッシュな花丸がつけられて戻ってきた。私は作文が好きになっていた。

6年生の時、地元の新聞に掲載する小学生の作文の学校代表に、何故か私が選ばれた。あとから聞いた話では、その4年生の時の先生が私を推薦してくれたらしい。当時の担任から「私の好きな先生」というタイトルで書いてねと言われ、誰を書くの? と問われた。
私は迷いなく隣のクラスの、授業がとっても面白い先生のことを書くと即答した。晴れて私の作文は新聞に掲載され、たくさんの人に読んでもらうことができた。ライターとしての第一歩を私は小6で踏み出したのだ。作文の授業をしてくれた先生には感謝感謝である。

それにしても、誰のことを書くの?と問われたとき、当時の担任のことでもなく、作文の先生のことでもなく、隣のクラスの先生のことを書くと伝えたときの、担任の先生の悲しそうな顔が忘れられない。
これもあとからわかったことだけれど、担任の先生と作文先生は当時付き合っていたらしく、私たちが卒業してすぐに結婚をした。
自分のことを書いてもらいたかったのではなく、もしかして私を推薦してくれた作文先生のことを書いてほしかったのかもしれない。

ごめんね先生。でも、作文先生が私にくれたチカラは40年以上たった今でも健在です。

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