労働の長き廊下よ同僚がてれわらいの形に揺れる

 同僚の田辺さん(仮名)はとても感じのよい女性で、三年ほど同じ係で仕事をしているのだが、私はずっと田辺さんに言い出せずにいることがある。最初に言えばよかったと、ずっと後悔しているのだ。なぜこんな事態を生じさせてしまったのだろうと。


 私が何を田辺さんに言えずにいるかというと、それは田辺さんの声が私には全然聞き取れないということだ。

 はじめ私は田辺さんの声がひと際小さいのだろうかと思った。そして、それを指摘するのを遠慮した。朝の挨拶をしてくれているのだ、とか何かを笑いかけてくれている、という全体的なニュアンスは分かるのだが、いつも会話の何か決定的な部分が聞き取れず話の核心を掴めた試しがない。私以外の人間はどうしているのだろうと思い観察するが、田辺さんの声の音量を指摘する人や、田辺さんとの会話に困っている人を見たことがない。私としても、他の人の声は問題なく聞き取れる。何かお互いの耳の能力と声域の相性のようなものが存在し、こんなにも私の耳は田辺さんの声を聞き取れないのだろうかと考察する。そう思うと余計に田辺さんの方に音量を上げてくれとは言えなくなってしまう。


 田辺さんの声はいつも冬の早朝に差す木漏れ日のように、あわくぽろぽろとこぼれて私の耳には届かない。田辺さんは機敏で、いつも私より早く電話を取るし、来客があった時に席を立つ速度も星のひかりのように早い。星のひかりの速さを私は知らない。でも、田辺さんのびしっと伸びた背中にはそう思わせるものがある。田辺さんの俊敏さから察するに、田辺さんはきっと何かスポーツをやっていたと思う。空いた時間があれば自分で次々仕事を見つけて、いつもテキパキ働いている。働き者だ。大勢で騒いでいるところを見かけたことはない。でも、結構個性的でおしゃれな服を着ているので、仲良くなったら面白いタイプなのではないかと推測している。私が困っているといつも近づいてきて、仕事を手伝ってくれる。親切な人だ。


 時々田辺さんがチョコレートなどを私の机に置いてくれるが、そういう時は「チョコレートをくれた」とはっきり理解することができる。私も机にしまってあるお煎餅などを田辺さんの机に置く。田辺さんがにこにこ笑ってくれる。優しい人だ。でも、決定的に田辺さんの声が私には聞こえない。なにかセンスある冗談を今、田辺さんは言ったのだと雰囲気では分かるのだが、肝心な部分が聞き取れない。


 そうこうしているうちに田辺さんとの付き合いも三年が過ぎた。こうなってくると、もう声が聞こえていないという事実を打ち明けられる日は来ないだろうと私は思う。しかし、三年の間に田辺さんの空気を察する能力を私は鍛えた。何かユーモアあふれる発言を田辺さんが今日もしていることが私には分かる。


 田辺さんは本当には、何を言っているのだろう。私はいつかそれを知りたいとぽろぽろこぼれるひかりのような声に耳を傾けている。

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