目覚めても眠たい耳が団地へと吹く海風をそっと聞いてる

 私はUFOを見たことはあるが、UFOを見たことのある事実は的確なスタンスで他人に伝えることがあまりに難しいため、普段そのことを口にすることはない。


 小学校五年の頃、夏休みに祖母の家に預けられた私は近所の子たちとよく海に行って遊んだ。祖母の暮らす団地のすぐ傍に海があったのだ。私は結構人見知りが強い子どもだったと思うが、今思えばよく見知らぬ子どもたちに混ざってあんなに来る日も来る日も遊びまわれたものである。


 そんなある日の帰り道に、UFOを見た。UFOは一体ではなく(UFOを数える単位がちょっと分からないが……)細かいのが何体もいた。空の遠いところをうねうねと飛び回って、ワープしたり追い掛け回したりしていた。一人ではなく、五~六人で目撃した。バトルしよったね。女の子が言った。すげえなあ、すげえなあと言いながら団地までの道を帰ったことを今でも覚えている。


 しかしわたしは特別UFOに興味があるわけでもなく、もちろん不思議っ子演出をしたいわけでもない。過去にUFOを見た事実を告げれば、一部のひとは過剰に盛り上がるだろうし、その他大勢のひとにはめんどくさいなあ、などと思われて終わってしまうだろう。誰かとUFOについての議論をするほどの情熱もないが、そうは言っても嘘つきと思われては、少し傷ついてしまう。ということで私は日ごろこのことについては、口をつぐんでいる。そもそも自分自身もそんなに興味がないので、黙っていることは別に苦痛でも何でもない。


 しかし今ここまで書いてきて気づいたが、私はあの時一緒にいた子どもたちの顔も名前も全く思い出せない。彼らは今どこにいて、何をしているのだろうか。あの時のことはもう忘れただろうか。

 誰にも言えず口をつぐんでいることでも、当事者同士なら臆することなく話ができるはずだ。すげえなあ、すげかったなあとまた喋ってみたいものだが、何せ誰一人顔も名前も思い出せない。街ですれ違ってもそれと気づくこともできないだろう。それともあの時一緒にいた子どもたちはみんな夢の中の登場人物だったのだろうか。


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