エッセイと小説交互にアップします!2020年10月 vol.4

 七十才の頃に恋をしたんです。その人は言った。
 私は今、九十才です。七十才の頃に彼女に出会って私は一目で恋に落ちました。

 必要な振込のため、郵便局へ行った私は順番待ちで片隅の椅子に座っていた。隣に座った背の高い老人が、静かな声で話をはじめた。
 振り替えると、老人は上等そうなシャツを着て、洒落た帽子をかぶっている、背筋をまっすぐと伸ばし座っている様子ややさしい語り口調からは、私を揶揄っているようにも思えなかった。


 彼女は小学校の校長を務めあげた職業婦人で、はつらつとした、気性のはっきりとした人でした。冗談が好きでね。本当に心底明るくて、私は彼女をいっぺんに好きになりました。それで私は手紙を何通も書きました。ラブレターというやつですよ。老人は目線をやわらかく落として続けた。
 彼女は夢のようにあっけなく死にました。出会って一年のことでした。
 カウンターに番号ごとの待ち時間が表示されている。まだ、自分の番には時間がかかる。私は冷房のかかった部屋に入ったことで、急にかき出した首筋の汗をぬぐった。窓の外は真夏のひかりが差している。カーテンの引かれた室内は薄暗くて、少し安心する。昼休みが終わるまでには、職場に戻る必要がある。そういう時こそ、焦らず待つのがいいのだと思う。
 彼女は妻の親友でした。妻も教員で、同じように校長まで勤め上げた女です。

 妻と彼女はほんとうに仲がよくて、長いことずっと友達だったんです。昔から学校のこと、子どもたちのこと、教育のこと、女性が働いていく環境について、ふたりはよく話し合い、お互いを支え合って生き抜いてきたんです。またふたりとも無類の読書家で特に海外文学が好きなところも気が合っていました。どんな話も筒抜けで、私よりもずっと妻は彼女が好きだった。
私たちは三人で食事を楽しんだり、すきな映画や音楽の話で盛り上がったり、山や海に出かけたこともありました。妻も彼女もずいぶん酒が強くてね。私は彼女たちのおしゃべりに最後まで付き合えたためしがありません。
私を置いて、ふたりで長い旅に出てしまったこともありました。でも、ふたりは旅先から便りを送ってくれました。そこには、外国のめずらしい風物や知り合った人々や特にひとに言う必要もないたわいもない思いつきや言葉にはならないいくつかの事柄について書かれていました。ふたりは自分たちのことを、春の海と秋の海のような関係だと言っていました。ふたりを見ていると、友情というのは不思議なものだと私はつくづく感じました。ふたりが話しはじめると喧嘩しているようにしか見えないのに、ふたりとも楽しそうに笑っていました。服装の趣味が悪いとか女性に気が利かないとか、私を責めるときは、ふたりの呼吸はばっちり合いました。
 彼女があっさりと死んだあと、私はほんとうに沢山のラブレターを書いた。それを読んでくれたのは妻でした。

 老人の顔をよく見ると、随分日に焼けていた。皺もしみもその顔にしっかりと刻まれている。老人は窓の外を見渡すように首を動かしながら続けた。
(昼休みのうちに職場に戻れるか、そればかりが気にかかった。)
 私は裕福な家庭で育ちませんでした。といっても、その頃は周囲に裕福な家庭はありませんでした。東京の夜間大学を出た後、セールスマンになりました。まだ、この街に信号が四つしかなかった時代です。すっかり焼野原でしたからね、この辺も。私は一生懸命働きました。休みの日は本を読むのが好きで、歴史や文化について学ぶことが好きでした。
 その後、私は鉄道会社に入って、最後にはその会社の代表取締役を務めるまでに至りました。偉くなるのは悪いことではないが、お抱えの運転手に送迎されるようになってしまって、好きな電車に乗れなくなったのは寂しいことでした。自分たちの走らせる鉄道を見るとき、この街もずいぶん復興したのだと胸を張りたい気持ちになりました。私はこの街のことをよく知っています。セールスマンをしていた頃に、自転車や徒歩でどこまでも動き回っていたからです。結局、私はこの街を走り回るのが好きだっただけかもしれません。その仕事もずいぶん前に引退し、子どもたちも、親の私が言うのは何ですが立派に育って、各々の仕事と家庭を持ちました。私は今でも、街であの鉄道を見ると、それを誇らしい気持ちで眺めます。人々の生活を乗せて、電車は走り続けます。
 妻も随分年を取って、いまではあまりお酒も飲めなくなりました。ふたりで毎晩缶ビールを一本開けます。それを分け合って飲むのが最近の楽しみなのです。

 妻とは色んな思い出を話します。昨日は、彼女と連れ立って三人で海に行ったことを妻が言い出して、妻の方が僕よりも細かいことを色々と覚えているので、その話を聞くのが私は好きです。
 海へ行ったのは五月の終わり頃で、よく晴れていて風のないとても静かな一日でした。私たちは皆まさか泳ぐわけでもありませんから、砂浜を歩いて端から端まで行きました。潮のにおいがして、足元の海は透明で、遠くの方は紺色をしていました。

キャベツみたいな海ね。
彼女が言いました。

 妻は海浜公園の管理室からパラソルを借りて、砂浜にそれを立てました。持参したシートを敷いてそこに寝ころぶと、さっさと一冊の詩集を取り出して読みはじめました。私は犬を連れて歩く人を眺めていました。あの犬、犬だからって海が好きだとは限りませんからねって顔していたわね。昨日妻は笑いながらそう言っていましたが、犬がそんな顔をしていたかどうか私は思い出せません。
 彼女が簡易的な将棋の駒と盤を持ってきていて、私と彼女はそれを差しはじめました。その頃には風が少し出てきていて、駒が何度か風に飛ばされて、私たちは笑いながら困ってしまいました。将棋の腕前は彼女の方が格上で、私を相手にするときは、彼女は必ず手を抜いていました。その日は私の方が勝ったそうです。それも覚えていないのですが、妻が昨晩教えてくれました。詩集をめくっていた妻が、一編の詩を朗読しはじめました。彼女がそれに耳を澄ませる。

「私たちが鏡の速度で老いていく一日に」

 最後、そのような一文で終わる外国の詩でした。かわいい詩だと彼女が微笑みました。さみしい詩よ。妻が言い返しました。

 私はもう色んなことを忘れてしまいました。今では本当に時々になってしまいましたが、彼女へのラブレターを書くことがあります。そのために今日は郵便局へ来ました。この手紙も妻が読んでくれると思います。
 カウンターの案内板が私の番号を表示した。私は老人に会釈をして、席を立った。振り向くと、逆光で老人の顔は見えなかった。老人の影が動き、軽く私に手を振った。私はカウンターに向かった。

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