ハチ公とネコとピラニアと人間の経済【ヤバい経営学】
ハチ公前の広場に落とされた千円札
千円札が落ちていたとしよう。渋谷のハチ公前の広場を思い浮かべてほしい。そこにピカピカのピン札が落ちている。三時間後にもう一度その千円札が落ちていた場所を見たとして、まだその千円札はそこに残っているだろうか?
なんとなくだが、千円くらいならネコババしても大事にならなさそうだし、小銭を拾うよりそれなりに得した気分になれそうだ。ちょうどいいランチ代になる。
というわけで、落ちている千円札は瞬く間に良心の呵責がない人に拾い上げられることだろう。まるでピラニアの水槽に落とされた餌の肉片のように直ちに霧散してしまう。
さて、僕はここで「だから人の多い場所でお金を落とさないようにしましょう」だとか「警察にお金を届けましょう」などとは言うつもりはない。ここでは防犯とか民度の話はしない。
落とした千円札が瞬く間に取られてしまうというのはなんの話か?つまりこれは市場経済の仮説モデルの話だ。
市場の効率性
株で儲けるには安く買って高く売る必要がある。本来ならもっと価値が高い企業が、安く売られているのを見つけて、値上がりしたタイミングで売る。だが、今わかっている事柄からは、どの株が将来値上がりするかわからない。なぜなら今公開されている情報はすべて株価に反映されているからだ。なので、不当に安くなっている企業の株(そして将来値上がりする株)を、今公開されている情報から見つけるのは困難である(公開されていない内部情報を使った取引はインサイダー取引になる)。
では、公開されている情報から将来予測をして今は安く売られている優良株を見つければ良いのではないか?だが、コトはそんなに甘くない。世界中のエリート中のエリートがその予測に躍起になって、株の売り買いをしている。つまり、「今の情報から予測される将来」の情報も株価に組み込まれるのだ。
これは儲け話が市場に落っこちていることなどほとんどない、ということを示す。本来の価値よりお得な値段のものなど市場に落ちていないということだ。もし今公開されている情報から不当に安い優良企業が落ちているということが分かれば、直ちにウォール街やシティのピラニアたちが群がって、その株価をすぐに買ってしまう。その結果、株価は現在の情報を反映した「適正な」ものになる。まるでハチ公前の広場に千円札が落ちていると分かったら、すぐに誰かに拾われてしまうように。
本当に市場は効率的か?
渋谷のハチ公前に千円札が落ちているのを見かけることはほとんどないし、優良企業の株がやたら安く売られているなんてことはほとんどない。ただ、さっきの効率的市場仮説は「仮説」というだけあって、その妥当性に議論が多く存在する。さっきの例え話でも、千円札を実際に手にして得する人はいる。また、公開された情報をいち早く活かして巨額の利益を手にするディーラーもいることだろう。しかし、それはほとんど幸運によってなされるものなので、市場の大部分は効率的であるはずだ。そういうラッキーは極めて稀である。
先ほどの街に落としたお金の例え話は、昔読んだ経済本[2]に書いてあったものだが、読んだ時はそれはもう納得した。そして市場経済ってうまくできてるな、と思った。市場の他の人々を出し抜くというのは、プロでも難しいのだ。なにせ、市場のみんながよってたかって得をしようとした結果、株価をその企業本来の「適正な」価格にしてしまう。僕はとりあえずデートレーディングはしないでおこうと決意した。市場というのは極めて緻密な集合知によって成り立っているのだな、とひどく感心した。
……と、このまま話をまとめたいところだが、経営学のエキスパートが書いた本[3]を読んだら、全く逆のことが書いてあってびっくりした。
その本では次の事例が紹介されていた。企業が株主に利益をもたらすとされてる施策(長期インセンティブ制度)を導入すると表明すると株価は上昇する。だが、その後実際に導入しなくても株価は高いままである。
僕は思った。「あれ?その時点での情報が株価に組み込まれるんじゃないの??緻密な集合知どこいった?」と。
この事例から導き出されるのは、企業本来の「適正な」価格など市場は判断できないということだ。もし企業の価値がわかるのであれば、株主に利益を与える施策を実施したかどうかの情報が株価に組み込まれるはずだ(それこそ企業の価値が高くなったのだから)。しかし、全くそうはなっていない。
これを指して本の著者はこう言っている。
僕はこれを読んで、「著者、めちゃくちゃ言うやん」、と思った。そして、やっぱりデートレーディングはしないでおこうと決意した。高度な集合知に打ち勝つのも困難だが、集団浅慮から抜け出すのもまた難しいだろうから。
人間はバカなの?
バカだと言われてしまった株式市場だけれど、その大部分は世界中のエリート中のエリートが運用している。投資銀行にはMITで博士号を取った人やハーバードでMBAを取った人がわんさかいるそうだ[2]。そして市場の大部分はこういったエリートがいる組織が投資しているお金で動いている。彼らは高度な教育を受け、合理的思考を極めた人達のはずだ(僕はこの種のエリート達と縁がないのでイメージしづらいが)。その人達の仕事の結果、バカと称される市場が出来上がる。皮肉なものだ。
なぜこのようなことが起こるのか。この本[3]の著者は、そもそも人間のビジネスに関する認識能力に対して懐疑的だ。経営者は皆がやっているからという理由で無意味な(それどころか有害な)制度を会社に導入するし、投資銀行のアナリストは顧客企業に対する利益相反を避けられない。人間がバカだから市場もバカになるということだ。エリート中のエリートがバカと言われるのなら、もうどうしようもない気がする。
とはいえ
とはいえ、僕の意見としては、人間の知能は底知れず高いのでは?と思っている。
最初に例に出したハチ公前広場にもう一度立ってみよう。ぐるりと見渡せば高層ビルのジャングルだ。あんな巨大な構造物をどうやったら建てることができるのか。大量の資材とエネルギー、そして高度な知性が必要だ。バカではどうやっても高層ビルを建てるのは無理だろう。
こうした巨大な建造物を建てるという行為は紛れもなく集合知の賜物である。建築の設計の基礎の部分は昔の学者が積み重ねてきた力学の塊だ。さらに現代の複雑な建物の設計にはコンピュータによる計算が欠かせないと聞く。コンピュータの歴史も人類の知識の結晶に他ならない。
もちろん、人間には愚かな部分も大いにあるのだろう。だが、その愚かさを自ら指摘できるくらいには人類は賢い。そして、指摘された部分を修正できる能力もある、と僕は思っている。古典力学が対応できない領域があると指摘されたことに対して量子力学の体系が作られた時のように。
備考(言い訳)
この記事は、「ヤバい経営学」[3]を読んだ僕の読書感想文である。昔知った経済理論と食い違う箇所があって面白いと思い、記事にした次第だ。
ちなみに、この本を知ったのはnoteで堀元見さんが書いていた「株式市場はバカ。インフルエンサーはなぜ壮大なビジョンを語り続けるのか。」と言う記事を読んだからである[4]。知性と悪ふざけと真摯さが入り混じったこの記事(珍しい組み合わせだ。悪ふざけと真摯さが入り混じることある?)の主引用が「ヤバい経営学」である。有料ではあるが、彼の記事の方が僕のものよりずっと面白いので、参考の欄にURLを記載しておく。
余談だが、この記事では彼の記事が引用している部分と同じ箇所を引用してしまった。論旨はもちろん異なるが、オリジナリティの欠如やインプットの少なさという観点でクリエイターとしての資質が疑われる。反省したい(そもそもクリエイターではないだろ、というツッコミがあるだろうし、その通りなのだが、とりあえずそれは横においておく)。
さらに余談だが、この記事書いてるとき、まったく話がまとまらなくてびっくりした。例えに色んな動物が出過ぎだ。そのため出てきた動物をとりあえず全部まとめてタイトルにするという荒技をやったが、大目に見てほしい。また、僕は微生物学が専門だけど、経済学や経営学の専門家ではない(そしてもちろん物理も詳しくない)。もし間違った記載や引用、解釈をしていたりしたら、その時はやっぱり大目に見てほしい。そして「人間てバカやん」と笑ってください。
参考
1.みずほ証券HP
https://glossary.mizuho-sc.com/faq/show/164
2.藤沢数希「なぜ投資のプロはサルに負けるのか?― あるいは、お金持ちになれるたったひとつのクールなやり方」ダイヤモンド社
3.フリーク ヴァーミューレン「ヤバい経営学―世界のビジネスで行われている不都合な真実」東洋経済新報社
4. 堀元見「株式市場はバカ。インフルエンサーはなぜ壮大なビジョンを語り続けるのか。」
https://note.com/kenhori2/n/n20eca4e4ca9c
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